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青森市羽白沢田・十三森熊野宮(熊野神社)

旧村社「十三森熊野宮」は、寛文11年(1671)青森湊を開港した弘前藩士・森山弥七郎が勧請と伝わる古社。
明治9年(1876)村社に列し、祭神「伊弉諾尊 伊弉冉尊」を安置。

東向きの参道口、右に社号標「熊野神社」、一ノ鳥居(木製)。
青森市油川浪岸・熊野神社参道口の鳥居
















参道は北西から西に再度折れます。
昇龍・降龍の台石に「小さな狛犬」(建立年代不明)。
青森市油川浪岸・熊野神社狛犬と龍青森市油川浪岸・波岸熊野神社の狛犬と龍柱
空を見上げた狛犬と鬼のような顔付の龍。

昭和20年7.8月、市内はグラマン機等の来襲で大打撃を受け、青函連絡船も全滅(前述)し、境内も機銃掃射を受けました。
顔を上げ・・・・天下泰平の空を見上げてるようです。



目・口に彩色を施した昭和44年(1969)建立「狛犬」。
青森市油川浪岸・熊野神社狛犬吽青森市油川浪岸・熊野神社狛犬阿
二ノ鳥居(両部鳥居)
青森市油川浪岸・熊野神社鳥居
















手水舎。
青森市油川浪岸・熊野神社手水舎















鎮守の杜は社殿を囲うように形成されています。
入母屋千鳥破風向拝の「拝殿」。
青森市油川浪岸・熊野神社拝殿
















昭和20年(1945)浪岸青年団奉納の拝殿扁額「熊野宮」。
青森市油川浪岸・熊野神社拝殿扁額
















流造りの本殿。
青森市油川浪岸・熊野神社本殿

















欄間「龍と波」、木鼻「唐獅子」、持ち送り「昇・降魚」。
青森市油川浪岸・熊野神社本殿向拝
















社殿右の池に海上の神、縁結び等の祭神「市杵嶋姫命」を祀る境内社「弁天社」。
青森市油川浪岸・熊野神社境内社





























青森市新田・新田稲荷神社

由緒等は不祥ですが、旧新田村の鎮守として創建されたようです。
五穀豊穣 商売繁盛 家内安全等にご霊験あらたかな祭神「倉稲魂命」を安置。
境内は新田町集会所に隣接、扁額「新田稲荷神社」を掲げた一ノ鳥居。
青森市新田・新田稲荷神社社頭
















このような手の込んだ2段の注連縄は初めて拝見しました。
米俵2俵を載せた注連縄から飾り房(縄タッセル)が下がり、別に七宝編みに似た縄暖簾が施されています。
青森市新田・新田稲荷神社鳥居の注連縄
















二ノ鳥居から境内。
青森市新田・新田稲荷神社境内















目・口に彩色が施された昭和14年(1939)建立「狛犬」。
青森市新田・新田稲荷神社狛犬吽青森市新田・新田稲荷神社狛犬阿
切妻向拝「拝殿」には蟇股、簡素な木鼻が施され、扁額は掲げられていません。
青森市新田・新田稲荷神社拝殿

















流造りの本殿。
青森市新田・新田稲荷神社本殿
















木鼻「唐獅子」、欄間「2匹の狐」。
青森市新田・新田稲荷神社向拝欄間















社殿右に木製鳥居、石塔群と馬頭観音堂が祀られています。
青森市新田・新田稲荷神社境内社と石塔群
















国土安寧、五穀豊穣、人々を導き、道の神として信仰されている月・日陽刻の「奉齋月讀神  天照大神 猿田彦大神」(昭和31年建立)、「庚申塔」。
青森市新田・新田稲荷神社石塔群2



























青森市沖館・沖館稲荷神社

旧村社沖館稲荷神社は正規町天皇(戦国末期)の代、陸奥国平定の命を受けた佐藤讃岐大輔藤原久信と二人の息子と共に上方表より、旧沖館村と旧古川村の産土神として御神体を背負って奉ったのが起源とされます。

商売繁盛 五穀豊穣 家内安全 交通安全等にご霊験あらたかな主祭神「倉稲魂命 須佐之男命 大巾姫命」、配祀「大山見津命」を安置。

参道口左に社号標「村社 稲荷神社」、朱の両部鳥居。
青森市篠田・沖館稲荷神社社頭
















一ノ鳥居扁額。
青森市篠田・沖館稲荷神社一の鳥居扁額















参道口の玉・子取りの昭和24年(1949)建立「狛犬」。
青森市篠田・沖館稲荷神社狛犬吽青森市沖館・沖館稲荷神社狛犬阿
扁額を掲げた「ニノ鳥居」(台輪鳥居)、次いで「三ノ鳥居」(台輪鳥居)。
青森市篠田・沖館稲荷神社二の鳥居
















子・玉取りの平成16年(2004)建立「狛犬」。
青森市篠田・沖館稲荷神社狛犬吽(2対目)阿青森市篠田・沖館稲荷神社狛犬阿(2対目)
猿田彦大神・月夜見命等の石塔群。
青森市篠田・沖館稲荷神社石塔群
















手水舎。
青森市沖館・沖館稲荷神社手水舎
















後方に宝珠を載せた「報徳の心碑」、「道具の供養碑」。
青森市沖館・沖館稲荷神社の石塔















明治40年(1907)建立「神使 狐」、阿形は玉?を銜えているようです。
青森市沖館・稲荷神社拝殿前の狐吽青森市沖館・沖館稲荷神社拝殿前の狐阿
社殿は権現造り、「拝殿」は入母屋唐破風向拝。左に社務所。
青森市篠田・沖館稲荷神社拝殿
















懸魚「雲」、欄間「龍」。
青森市沖館・沖館稲荷神社」拝殿彫刻




















木鼻「龍」。
青森市沖館・沖館稲荷神社左木鼻青森市沖館・沖館稲荷神社右木鼻
履殿(本殿)。
青森市沖館・沖館稲荷神社本殿

























青森市安方・善知鳥神社

青森市が善知鳥村と称されていた頃、善知鳥中納言安方が19代允恭天皇の代に当地を平定し、陸奥国外ヶ浜鎮護の神として宗像三神を勧請したのが起源。
中納言没後、見知らぬ鳥が飛んで来るようになり、親鳥が「ウトウ」と鳴くと、雛が「ヤスカタ」と鳴くことから善知鳥の名が付けられたとされます。
後、荒廃しましたが、大同2年(807)坂上田村麻呂が東夷東征夷の際に再興、以来、歴代領主の篤い崇敬を受け庇護されてきました。
江戸期に弘前藩主津軽家の祈願所となり、寛永18年(1641)3代津軽信義が社殿を再建している。
明治6年(1873)郷社に列し、9年(1876)県社に、40年(1907)稲荷神社、海津見神社を合祀。
漁業守護 家内安全 交通安全 国家守護等にご霊験あらたかな祭神「市杵嶋比賣命 多岐都比賣命 多紀理比賣命」を安置。
又、往時、青森湊から境内の青々とした社叢がよく見え、海運の目印となったことから「青森」の地名発祥地とされ、青森のパワースポット、青森総鎮守として広く信仰されています。

東向きの表参道、左に明治24年(1891)建立の社号標「善知鳥神社」(右写真)。
青森市本町・善知鳥神社参道口青森市本町・善知鳥神社社号標
参道口右に大正11年(1922)建立「青森市道路元標」、築地塀前に「奥州街道終点記念の碑」。
※奥州街道終点には諸説ありますが、江戸初期の「幕府撰慶長二本國」には、津軽藩出張機関が置かれた青森市安方が最終点とされている。
青森市本町・善知鳥神社前の奥州街道終点記念碑と道路元標















一ノ鳥居(神明鳥居)。
青森市本町・善知鳥神社一ノ鳥居















右に「免お登松碑」、後方に夫婦松。
青森市本町・善知鳥神社参道右の石塔
















扁額「善知鳥神社」を掲げた「二ノ鳥居」(両部鳥居)、左に社務所。
青森市本町・善知鳥神社ニノ鳥居
















昭和7年(1932)建立「狛犬」。
青森市本町・善知鳥神社狛犬吽青森市本町・善知鳥神社狛犬阿
境内入口、善知鳥沼に架かる擬宝珠の朱の神橋、左に手水舎。
青森市本町・善知鳥神社手水舎
















手水石。
青森市本町・善知鳥神社手水石
















社殿は鉄筋コンクリート造り、「拝殿」。
青森市本町・善知鳥神社拝殿
















宮司謹書の拝殿扁額「善知鳥神社」、その下に絵馬「うとう鳥が結ぶ家族の絆」、「善知鳥村より始まるわが故郷安寧の祈り」、「ウトウ」の神殿幕が掛けられています。
青森市本町・善知鳥神社拝殿扁額と神殿幕














拝殿内。神殿幕には社紋「津軽牡丹」。
青森市本町・善知鳥神社拝殿内















神明造りの「本殿」。
青森市本町・善知鳥神社本殿











 



社殿前右に、かつてこの地を “ 善知鳥の里 ”と称した名残を示す「謡曲善知鳥之旧蹟碑」。
謡曲「善知鳥」は、親鳥が「うとう」と鳴くと雛鳥が「やすかた」と応え、生業とはいえ、その習性を利用し善知鳥を捕っていた漁師が、殺生の罪で責め立てらる苦患の有様を見せる執心の夢幻能。
藤原定家が伝承を詠んだ歌「陸奥の外ヶ浜なる呼子鳥 鳴くなる声は うとうやすかた」。

右に当社・当地を詠んだ「ウトウ」陽刻の「菅江真澄歌碑」。
う地奈びく多むけのぬさもふりはへて 加ゞしくも見ゆ類ミつ垣(うちなびくたむけのぬさもふりはへてこうごうしくもぬ見ゆるみずがき)
長閑奈そと可者万風 鳥すら毛世ハ安潟をうと有聲して」(のどけしなそとがはまかぜ 鳥すらも世は安潟とうとう声して
青森市安方・善知鳥神社の謡曲善知鳥の旧石碑と石碑

















後(北)方に境内社「三光稲荷神社」(祭神倉稲魂命)。
青森市安方・善知鳥神社境内社稲荷神社















左に柳町の「旧青森営林局」から移された「営林局の邸内社」が祀られています。
当時の庁舎は青森市森林博物館として公開されています。
青森市安方・善知鳥神社境内社と石塔
















邸内社の左に月の神、道の神、「日・月」陽刻の「猿田彦命 月夜見命」、「猿田彦大神」。
青森市安方・善知鳥神社境内右の石塔
















左に水を司る神「善知鳥龍神宮」。
青森市安方・善知鳥神社境内社龍神宮
















後方の善知鳥沼に善知鳥龍神宮の流造り「本殿」。
青森市安方・善知鳥神社境内社龍神宮本殿
















境内東・北・西を囲む「善知鳥沼」は、往時は葦や茅が生い茂り、これに荒川・入内川が流れ込む湖沼でした。
青森市安方・善知鳥神社境内右側、善知鳥沼
















社殿右(北)側の「善知鳥沼」沿いに宮川翠雨書碑・増田手古奈句碑・西行法師歌碑・芭蕉句等があります。
芭蕉句碑「名月や 鶴脛高き 遠干潟 者世越」(めいげつやつるはぎたかきとおひがた はせを
青森市安方・善知鳥神社善知鳥沼沿いの芭蕉句碑
















本殿右に「青森郵便局創業の地記念碑」。
明治5年(1872)境内に青森郵便役所として業務を開始、境内には青森町役場、青森警察署が所在したことから、当社が青森市の中心であった名残です。
青森市安方・善知鳥神社本殿右の青森郵便局創業の地記念碑1















本殿後方(西)の善知鳥沼に架かる神橋。
青森市安方・善知鳥神社本殿後方、善知鳥沼の神橋
















神橋を渡った中島に水と豊穣の神「弁財天宮」。
青森市安方・善知鳥神社本殿後方の沼の弁財天宮
















沼の南端に鳥居が立つ龍神様のお休み所「唐破風社殿」、鳥居の奥に「龍神の水」。
青森市安方・善知鳥神社本殿左奥の龍神の水とお休みどころの社殿
















龍口から流れ出る「龍神の水」。
青森市安方・善知鳥神社本殿後方の龍神の水
















西南の役戦没者慰霊碑「死節碑」(右)、「海軍の碑」、「善知鳥神社再建記念碑」。
青森市安方・善知鳥神社境内の西南の役戦没者慰霊碑














御宝殿、前に絵馬掛け。
青森市安方・善知鳥神社御宝殿の絵馬掛け
















本殿後方(北側の善知鳥沼と西側の善知鳥沼の間)に裏参道「鳥居」(両部鳥居)。
青森市安方・善知鳥神社西参道の鳥居1















御朱印。
青森市安方・善知鳥神社御朱印




























可愛いサロンエプロン

コットン生地のスカートの様なサロンエプロンです。
エプロン

裾を丸くカーブ、右側だけ前後2枚を5㎝重ね、左側はボタン止めにしました。
以前買い込んであったバイヤステープ(コットン)で縁取りし、ポケットは脇ポケットの様にしてあります。



ベルト部分には後ろで縫い付けたテープを前に回してリボンに結びます。
















青森市原別・原別稲荷神社

原別稲荷神社は、永和年中(1395~9)南北朝期の武将・北畠顕能(伊勢北畠氏の祖)が創建したのが起源とされ、江戸中期の万治年中(1658~61)再建されています。
明治6年(1873)村社に列し、大正14年(1925)神饌幣帛供進社に指定。(由緒板)

五穀豊穣 商売繁盛 家内・交通安全 厄除・出世開運 縁結び 病気平癒等の御神徳として信仰されている祭神「倉稲魂命 猿田彦大神 大宮能女命」を安置。
参道口は錦の様な美しさ、右に社号標「稲荷神社」、注連縄が掛かる一ノ鳥居(両部鳥居)。    
青森市原別・原別稲荷神社社頭















一ノ鳥居扁額。
青森市原別・原別稲荷一の鳥居扁額















五ノ鳥居が立ち、三ノ鳥居の右に梵字を刻む寛政9年(1797)建立「庚申塔」、「馬頭顴音」(明治後期)、「猿田彦大神」等4基が祀られています。
青森市原別・原別稲荷神社三の鳥居右の庚申塔と猿田彦
















巻物・稲穂又は玉を銜えた昭和39年(1964)建立「神使 狐」。
青森市原別・原別稲荷神社狐吽青森市原別・原別稲荷神社狐阿
五ノ鳥居。
青森市原別・原別稲荷神社五の鳥居
















参道左に境内社「八大龍王大神堂」。
青森市原別・原別稲荷神社境内社八大龍王大神堂
















八大龍王大神「御神体」。
青森市原別・原別稲荷神社境内社八大龍王大神堂の御神体
















北150mが陸奥湾です、右手に漁業、海上安全の神を祀る境内社「恵比寿大明神」。
青森市原別・原別稲荷神社境内社恵比寿大明神
















手水舎。後方(北)は公園となっています。
青森市原別・原別稲荷神社手水舎
















手水石。
青森市原別・原別稲荷神社手水石
















鉄筋コンクリート造の社殿は昭和55年(1980)再造営。拝殿は入母屋千鳥破風一間向拝、高欄を廻らし、欄間に蟇股、扁額は掲げられていません。
青森市原別・原別稲荷神社拝殿
















拝殿・本殿が一体化した社殿。
青森市原別・原別稲荷神社本殿
















一対の文化元年(1804)奉納(右)、大正13年(1924)奉納の石灯籠。
青森市原別・原別稲荷神社石灯籠
















境内はきれいに整備されていて、地域の方々から篤く信仰されていることが分かります。
境内から参道方向。
青森市原別・原別稲荷神社境内から参道


























スリットネックブラウスとパンツ&マスク

パンツの残りを利用したスリットネックブラウスです。
ベージュニットスリットネックブラウス


生地
ポリエステルストレッチ(ベージュ)






スリットネック7㎝、袖は左右に1本づつのタック入りで丈31㎝、
脇スリット13.5㎝、着丈62㎝。









パンツ&マスク
ベージュニットパンツ







パンツは前開き、左右脇斜めポケット、後ろウエストにゴム入り。


























青森県青森市のマンホール

青森県青森市・ねぶたカラー


青森駅付近で撮影。







カラー汚水用には「ねぶた」(国無形民俗文化財)、踊り手「跳人」がデザインされています。







青森県青森市・ねぶた祭り




















青森市・汚水外枠付き(隼人)


大字野内菊川で撮影。







受枠付き汚水用。








青森市・汚水親子(亀甲)


大字浅虫蛍谷で撮影。






汚水親子蓋(亀甲)。









青森県青森市・佞武多の武者絵


新青森駅付近で撮影。







佞武多の「武者絵」の汚水用。









「三井寺合戦・新田四天王大暴れ」
ねぶた(展示1)











青森市・JIS汚水8亀甲


大字野内菊川で撮影。






「市章」、JIS規格汚水用(亀甲)。









青森市・汚水親子(毘沙門亀甲)


造道で撮影。






「市章」、汚水用親子蓋(毘沙門亀甲)。







青森市・汚水(スリップ対応)


大字久栗坂山辺で撮影。








「市章」、「おすい」文字、上に「10-25◎」の汚水用(スリップ対応)。






青森市・汚水斜め分割式









「市章」、中心円の下に「1」文字の斜め分割式汚水用(手毬・ドット)。









青森市・汚水(歩道用)


本町で撮影。






「市章」、「青森市」文字の歩道タイル仕様の汚水用。









青森市・汚水(歩道タイル)


青森駅付近で撮影。






「市章」、歩道タイル仕様の汚水用。









青森市・汚水枡凸毘沙門亀甲


西田沢で撮影。





「市章」、汚水枡(テトラ)。






青森市・汚水枡(亀甲)1


大字浅虫蛍谷で撮影。




「市章」、汚水枡(亀甲)。







青森市・汚水枡(鍵穴2)1






「市章」、汚水枡(丸/台形)








青森市・汚水枡(プラ凹)


浅虫坂本で撮影。




「市章」、汚水枡(プラ)。






青森市・汚水枡」(プラ凹


新青森駅付近で撮影。




「市章」、汚水枡(プラ)。






青森市・雨水親子1


沖館で撮影。






「市章」、受枠付き雨水用。








青森市雨水斜め分割式











「市章」、「雨」文字入りの斜め分割式雨水用。







青森市・JIS雨水


造道で撮影。







「市章」、JIS規格雨水用(鎖)。








青森市・カラー消火栓(丸・黄)凸


造道で撮影。







「市章」、カラー消火栓(毘沙門亀甲凸・「火」の字)









青森市・カラー消火栓(丸・黄)


浅虫坂本で撮影。






同デザインの凹のカラー消火栓。










青森市・カラー消火栓(角・黄)


青森駅付近で撮影。




「市章」、斜め分割式角形カラー消火栓(毘沙門亀甲凹/破線)。






青森市・空気弁


浅虫坂本で撮影。






「市章」、空気弁(毘沙門亀甲)。










青森市・空気弁斜め分割


久栗坂山辺で撮影。





「市章」、斜め分割式の角形空気弁(ブロック・ドット)










青森市・仕切弁(丸大型)


油川大浜で撮影。





「市章」、仕切弁(毘沙門亀甲)。










青森市・仕切弁


浅虫坂本で撮影。





「市章」、小型仕切弁(和風柄)。






青森市・仕切弁小型


奥内宮田で撮影。




「市章」、「S S弁」文字の仕切弁.






青森氏・防火水槽


六枚橋で撮影。






「市章」、「防火水槽40」、「消防士と梯子車」の防火水槽。









青森市・電気


青森駅付近で撮影。





「市章」、電気用(毘沙門亀甲)。










青森市・流出弁


浅虫内野で撮影。




「市章」、カラー流出弁(ドット)。











奥州街道㊱小湊駅~野内駅

青森駅から小湊駅へ戻り、小湊宿後半から歩きます。

行程:青森駅・・・小湊駅(7:25)~小湊宿(後半)・東福寺・平内町役場(竹内与右衛門家跡)・天明飢饉供養塔・小湊宿出口~丁字路(平内中央病院前)~人形坂~長橋集落~ホタテ貝~ホタテの山~田園の道~山口旧道~山口集落~R4号合流点~西平内駅~家ノ下旧道~明治天皇御小休所跡碑~県9号合流~地蔵堂~R4号沿いの旧道~大石平バス停~鴎島の景~ほたて広場(土屋御番所跡・ほたて供養塔・ほたて貝祈願掛け所)~鴎島の景~ほたて大橋と鴎島・ほたて大橋と夏泊半島~鍵懸坂~白根崎漁港~鍵懸坂~標識「青森市」~R4号・県269号分岐~坂本の町並み~汐溜まりと湯ノ島の景~あさむしゆうやけ橋~浅虫温泉駅~浅虫橋手前~麻蒸し乃湯と「はだか湯」物語碑~柳の湯(弘前藩主本陣跡)~浅虫温泉源泉公園足湯~椿館~辰巳館~湯ノ島~陸奥護国寺~R4号~善知鳥トンネル~一番古戦場跡碑~明治天皇御小休所跡碑~善知鳥トンネル出口~久栗坂~久栗坂交差点~山辺集落~蛇塚漁師新田村発祥の地碑~根井川河口~根井村発祥地碑~田屋八幡宮~浜田集落~笊石漁師新田村発祥の地碑~観音寺通り分岐~観音寺~川上神社~明治天皇御野立所跡碑~貴船神社~野内宿・野内番所跡・町並み・当古寺・野内宿枡形(出口)~野内交差点~野内駅(14:50)

青森駅」 明治24年(1891)9/1開業。
ねぶた祭・A・FACTORY・新幹線の「青森駅スタンプ」。
青森駅青森s











「東津軽郡平内町」(小湊字小湊~〃愛宕~〃赤明堂)
小湊駅から御家中(㉟で述)の通りを過ぎ、青森B/K前の三叉路を南下、先の十字路を右折すると天正11年(1583)創建「東福寺」。
横内城主堤弾正、平内の豪商武内与右衛門、津軽三味線の名人高橋竹山の菩提寺で、平内町最古の寺です。
平内町小湊小湊・東福寺山門平内町小湊小湊・東福寺本堂











「平内町役場」玄関左に「明治天皇行在所趾碑」、街道沿いの松の左に標柱「武内家跡地碑」。
竹内与右衛門家は、幕末~明治中期に酒・木綿・木炭・材木・金融業を生業とした平内の豪商で、明治天皇御巡幸の折の行在所となりました。
平内町小湊・小湊町役場の明治天皇行在所碑・竹内家跡地碑
















小湊交差点でR4号を横断、小湊宿外れの左段上に「奉書写大乗妙典全一字一石供養塔」と刻む「天明飢饉供養塔」。
天明7年(1787)東福寺11代住職が、天明期の飢饉の犠牲者菩提で建立した供養塔で、多くの餓死者が出た元禄・宝暦・天明・天保期の大飢饉は、津軽の四大飢饉と云われる。
平内町小湊愛宕・天明の飢饉供養塔















小湊宿出口・愛宕の町並み
平内町小湊・小湊宿出口














平内中央病院前の丁字路を左折、すぐ先の標柱「奥州街道」で右折すると、左側に田圃や山並みが見渡せる道となります。
平内町小湊赤明堂・平内病院角の奥州街道碑
















(藤沢人形坂~〃長橋~〃上萢~山口明神)
蛇行しながら緩やかに下る人形坂
平内町藤沢人形坂・人形坂集落の下り
















蔵等がある旧家が多い長橋集落
平内町藤沢長橋・長橋集落















途中の民家前に大量のホタテ貝が積まれています、種付け用でしょうか、
平内町藤沢長橋・ホタテの山















R4号を西進、右のローソン向かいの広場に「ホタテ貝」が山のように積まれています。
平内町藤沢上萢・ホタテの山
















左右に田園が広がる一本道、先で明神川を渡ります。
平内町大字山口・R4号の一本道















交差点手前で左前方の山口旧道へ。
平内町大字山口山口・信号手前の旧道分岐
















山口集落。
平内町大字山口山口・旧道の山口集落















約650mでR4号に合流、合流点左に標柱「奥州街道」、すぐ先に「717K」ポストと標識「西平内駅→」があります。
平内町大字山口山口・旧道の国道合流点
















国道右奥に昭和14年(1939)10/1開業「西平内駅」無人駅。
ほたて広場の「駅スタンプ」。
平内町大字山口からの・西平内駅西平内駅S










(中野家ノ下)
街道は、西平内郵便局の先で大きく右カーブし、青い森鉄道を跨線橋で渡ります。
約1.1K進み、茂浦入口バス停の先で右前方の「家ノ下旧道」へ。
平内町大字中野家ノ下・茂浦入口バス停先の旧道分岐
















約400m先の右民家に「明治天皇御小休所跡碑」(写真の右)。
平内町中野家ノ下・家ノ下旧道の明治天皇御小休所碑
















県9号に合流、左折して150m先の夏泊入口交差点(R4号)を右折しますが、左折して国道を少し戻ると「地蔵堂」があります。
平内町中野家ノ下・家ノ下旧道が県9号合流点1平内町中野家ノ下・R4号の地蔵堂












(中野大石平~土屋大石平~〃淀川~〃鍵懸)
夏泊入口交差点の170m先で国道と並行する左側の旧道へ。
平内町中野大石平・R4号沿いの旧道















R4号から左に反れていく辺りで「通行止め」になっていますが、そのまま進みます。
平内町中野大石平・国道左の旧道の通行止め















約600m進むと、「大石平バス停」前に看板「ほたて広場 直進1.6K」。
平内町土屋大石平・大石平バス停とほたて広場1.6K看板
















淀川集落を南下すると、前方に陸奥湾に浮かぶ「鴎島」が見えてきました。
陸奥湾平内町土屋淀川・旧道からの鴎島















陸奥湾で水揚げされたホタテ、魚介類・農産物等を販売している「ほたて広場」、レストランもあるようですが休業でした。
平内町土屋鍵懸・ほたて広場















ほたて広場は、初代藩主が平内領の西口に設置した口番所跡です。
平内町土屋鍵懸・ほたて広場の土屋御番所跡















「土屋御番所由来」説明板。
平内町土屋鍵懸・ほたて広場の土屋御番所跡説明板














広場西側に、天与の恵みと先駆者の感謝で建立された「ほたて観音堂 ほたて供養塔」。
平内町土屋鍵懸・ほたて広場のほたて供養塔とほたて観音堂1














北側に「ほたて貝祈願掛け所」、後方に平成19年(2007)完成「ほたて大橋」(橋長410m・R4号)
平内町土屋淀川・ほたて広場のホタテ貝祈願掛け所と土屋バイパス
















「ほたて絵馬」、「青森ほたて貝絵馬由来説明板」
平内町土屋鍵懸・ほたて広場のほたて貝祈願掛け所内のほたて絵馬平内町土屋鍵懸・ほたて広場のほたて貝祈願掛け所説明板
北側の土屋バイパス(R4号)高架を潜ると、正面に「紺碧の海と鴎島の景」。
平内町土屋淀川・鴎島















広場を過ぎると、右手に「ほたて大橋」と「鴎島」(無人島)、後方に夏泊半島(右写真)。
平内町土屋鍵懸・ほたて大橋と鴎島平内町土屋鍵懸・ほたて大橋と夏泊半島












右のR4号と並行する緩い上りの鍵懸坂を南下していきます。
平内町土屋鍵懸・鍵懸坂
















ほたて大橋西詰めの三叉路で高架を潜ると、平内町西端となる「白根崎漁港」。
平内町土屋鍵懸・白根崎漁港















車も通らない静かな旧道。
平内町土屋鍵懸・R4号の左の旧道















そろそろ青森市に入る頃、雑草ををかき分け国道沿いへ、すぐ先に標識「青森市」があります。
青森市浅虫・旧道からR4号の標識













「青森市」(大字浅虫坂本~蛍谷~内野~山下)
青森市浅虫交差点でR4号に合流、すぐ先の右(西)高台に"浅虫の龍神様"と称される「八大龍神宮」、先のY字路で街道は左の県269号へ。
この分岐には「奥州街道碑」、「奥州街道図」があります。
青森市浅虫坂本・R4号と旧道都の分岐点















浅虫坂本の町並み。
青森市浅虫坂本・坂本の町並み















浅虫温泉駅手前、右側の汐溜まりから「湯ノ島」。
「湯ノ島」は約600~700万年前の火山活動で生まれ、東側に弁財天が祀られています。又、オオムラサキ(国蝶)の生息地でもある。
青森市浅虫蛍谷・潮溜まりと湯ノ島
















浅虫温泉駅前の「あさむしゆうやけ橋」。
駅後方(東)から浅虫温泉駅~R4号迄に架けられた、浅虫海釣り公園への高架橋です。
青森市浅虫蛍谷・浅虫温泉駅前の高架橋















浅虫温泉駅」(東北の駅百選)。 
明治24年(1891)9/1豊北本線浅虫駅として開業、昭和61年(1986)11/1現駅名に改称。
浅虫温泉駅















駅南側に「浅虫温泉駅前足湯」。
浅虫温泉駅の南側の足湯















右の「海扇閣」後方(西)の松林に「竹下夢二歌碑」。
浅虫の海の渚にしらじらと 茶碗のかけらひかる初秋 いにしえの津軽少女のまなざしに あをみるひとのこころかなしも」(五月の旅より)。
浅虫蛍谷・海扇閣西側、竹下夢二歌碑















浅虫橋(浅虫川)手前を左折、川沿いに進むと左に石碑「麻蒸し乃湯とはだか湯物語」。
浅虫蛍谷・通りの石碑浅虫蛍谷・麻蒸し乃湯と「はだか湯」物語












浅虫川の右手に「旅館 柳の湯」。
弘前藩主が青森、外ヶ浜を巡察の折、浅虫温泉に立ち寄り入浴、御小休した本陣跡です。
浅虫蛍谷・柳の湯(本陣跡)















左に浅虫の「飲泉所、温泉卵場」、奥に「温泉源泉公園足湯」があります。
浅虫蛍谷・浅虫飲泉所・温泉卵場・足湯















東側に津軽藩が陣屋とし、版画家・棟方志功や作家太宰治縁の旅館「椿館」。
前には版画家・棟方志功の「張り子人形」があります。
浅虫内野・椿館1浅虫内野・椿館の棟方志功モニュメント











浅虫川を渡った県269号沿いに、延宝2年(1674)創建の曹洞宗古刹「夢宅寺」(本尊薬師如来)。
4代津軽信政が薬師堂に祈願し、眼病平癒したことから夢宅庵と称され代々藩主の祈願所となりました。明治7年(1874)現寺名に改められ、津軽三十三観音霊場第23番札所(本尊観世音菩薩)となっています。
浅虫山下・夢宅寺















浅虫温泉は、“東北の熱海“、“青森の奥座敷”と称された歴史が息づく温泉街です。 
江戸後期の旅行家・菅江真澄の紀行本「率士が濱傳ひ」に、源流で麻を蒸し繊維を採り、織布にする為に利用したことから麻蒸と称したのが、後に浅虫となったと記されています。

街道右手に木造建物、板塀が風情を醸す老舗旅館「辰巳館」。
浅虫山下・辰巳館前の温泉街
















浅虫入口交差点でR4号に合流して左折、正面に「湯ノ島」。
浅虫山下・浅虫入口交差点正面の湯ノ島
















津軽高野山バス停の先を左に入ると高野山真言宗「陸奥護国寺」(本尊弘法大師)、山門前に「十七番 谷地山道歩道高野山入口「陸奥護国寺前」と刻む石碑、門を入ると「高野山碑」があります。
本州最北の高野山霊場で、津軽弘法大師十八番札所となっています。
浅虫山下・陸奥護国寺山門
















風光明媚な景色を楽しみながら西へ、街道は先で大きく左カーブし正面に善知鳥崎が見えてきました。
浅虫山下・海沿いのR4号
















善知鳥崎正面に昭和54年完成「善知鳥 (うとう)トンネル」(全長112m)。
トンネル右側が磯伝いを通る古道で、入口右に「一番古戦場跡碑」(右写真)。
文治5年(1189)奥州藤原氏(主君)の敵討ちで、大河兼任が鎌倉軍に対し最後の防戦地とした所です。
浅虫山下・善知鳥トンネル手前浅虫山下・善知鳥トンネル右の古戦場跡碑
往時、トンネル辺りを善知鳥前と称し、「往来嶮岨の地で、怪岩波に洗はるる山下の小徑に梯を掛け、恐怖戦慄しつつ辛うじて通過した」と記録されているように、波打ち際の岩に桟を掛け渡っていました。
「吾妻鏡」にはここが津軽と南部の境であったと記され、奥州街道の交通の難所として、越後の親不知・子不知と共に二代検路と云われていました。
浅虫山下・善知鳥トンネル右の古道からの湯ノ島


波打ち際から湯ノ島













古道を進むと左に「明治天皇御休所跡碑」。
浅虫山下・善知鳥トンネル右の古道の明治天皇碑
















トンネルを回り込むように進むと、トンネル出口(南)に「善知鳥崎」説明板が設置されています。
浅虫山下・善知鳥トンネル出口の説明板















(久栗坂山辺~浜田~山辺)
久栗坂交差点」で右の県259号(久栗坂造道線)へ。
青森市久栗坂山辺・右の県259号へ















久栗坂山辺の集落に入り、青森敬仁会病院前バス停向かい(右)に標柱「蛇塚漁師新田村発祥の地碑」(右写真)。
蛇塚漁師新田村は、浜田・中地区の笊石漁師新田村(後述)と共に藩政期(貞享元年(1684)頃に新たに開発され、元禄7年に根井村となり、明治9年(1876)久栗坂村(旧根井村)との合併で久栗坂村に、明治期に野内村になりました。

静かな「山辺・下地区の町並み」(旧蛇塚漁師新田村)。
青森市久栗坂・集落青森市久栗坂山辺・久栗坂集落入口の根井村発祥地碑
根井橋から根井川河口
青森市久栗坂山辺・根井川河口















渡り詰めで浜田地区となります、久栗坂〒の先を左折して青い森鉄道を渡ったY字路に標柱「根井村発祥の地碑」、左奥に「田屋八幡宮」。
根井村は元禄7年に久栗坂村との合併で久栗坂村となり、明治期に根井村(前述)との合併で久栗坂村に、後に野内村として発足。久栗坂浜田・田屋八幡宮手前の三叉路の標柱「根井村発祥の地碑」
















田屋八幡宮」(祭神誉田別命)は江戸初~中期創建と伝わる旧根井村の鎮守です。
久栗坂浜田・田屋八幡宮
















浜田・中地区の集落」(旧笊石漁師新田村)を進み、小川の先の左に「笊石漁師新田村発祥の地碑」(右写真)。
笊石漁師新田村は、藩政期に蛇塚漁師新田村(前述)と共に新たに開発された村です。
久栗坂浜田の町並み久栗坂浜田・笊石漁師新田村発祥の地碑
観音寺通りバス停の先で右前方の「観音寺通り」へ。
久栗坂浜田・観音寺通りへ1















鼻繰崎の東端に、江戸初期の創建と伝わる浄土宗「観音寺」(本尊阿弥陀如来)。
境内入口右の「錦木之塚碑」(右写真)は、夫を慕い当地へ来た善知鳥中納言安方の妻・錦木が病没、憐れんだ村人達が埋葬した墓と伝わっています。
久栗坂浜田・観音寺入口久栗坂浜田・観音寺の錦木之塚碑
本堂千鳥破風の懸魚「兎」、向拝欄間「玉に足を掛けた唐獅子、仰向けの唐獅子と子獅子・牡丹」彫刻。
珍しい兎の懸魚は、本堂が造営された明治36年(1903)の干支に因むそうです。
久栗坂浜田・観音寺本堂彫刻



















彩色を施した木鼻「唐獅子」、持ち送り「菊」、
久栗坂浜田・観音寺左木鼻久栗坂浜田・観音寺右木鼻
境内左に観世音菩薩、英霊碑等石塔石仏群、後方(西)の矢倉山は三十三観音の功徳が得られるという津軽三十三観音霊場巡りが出来ます。
久栗坂浜田・観音寺境内の石仏石塔群
















県道の北側の道を上り街道へ。
久栗坂浜田・観音寺からの旧道















右に水を司る高龗神を祀る慶長元年(1596)創建「川上神社」、右に嘉永元年(1848)建立「庚申塔」が祀られています。   
久栗坂山辺・川上神社参道口















(野内浦島~鈴森~菊川)
県道を約2K進んだ辺り、右高台に「明治天皇御野立所跡碑」、さらに南下していきます。
青森市野内浦島の県道259野内浦島・県259沿いの明治天皇碑











貴船川を渡った先で青い森鉄道高架を潜ると「野内宿」に入りますが、この三差路を右へ進み貴船神社へ。
野内鈴森・野内宿入口
















鷲尾山の入口に大同2年(807)坂上田村麻呂が創建と伝わる「貴船神社」(祭神高龗神)。
源義経に縁ある社で、弘前歴代藩主の祈願所として篤く信仰されてきた古社です。
野内浦島・貴船神社社頭
















「野内宿」は、黒石藩に近接しその先に盛岡藩が控えていた為、宿場入口に野内関所や奉行所が設置される等、行政の中心地でした。
左に津軽三関(碇ケ関関所(羽州街道沿い)・大間越関所(大間越街道沿い)として重要視された「野内番所跡」。
元和元年頃(1615~24)弘前藩は盛岡藩に接することから、宿場入口に人物や荷物改めを行う槍状の柵を巡らした野内番所を設置、向かい(北)の黒石藩(支藩)番所と共に街道両側で厳重な構えを取っていました。
又、同敷地(間口24間・奥行20間)に奉行所も設置され、町奉行2名、勤番目付1名が派遣され町内出身者が町同心等を出任していました。
野内関所跡
















野内宿の町並み。
野内菊川・野内宿町並み















右に一間一戸の鐘楼門の浄土宗「当古寺」(本尊阿弥陀如来立像)。
明暦3年(1657)旅僧助給が当地を訪れた際、霊地と悟り野内庵を結んだのが起源。明治元年(18689当古庵に改め、昭和中期(1948)当古庵から現寺名となる。
津軽八十八ヵ所霊場第24番札所で、鎌倉期作の本尊は県宝に指定されています。
野内菊川・当古寺















野内宿は古い建物等はありませんが、野内郵便局~野内小学校前の「名残の松並木」が旧奥州街道の趣を感じさせます。
名残松並木野内菊川・街道の
















先で大きく左~右カーブする野内宿枡形跡(出口)
野内菊川・野内宿出口の枡形















野内交差点を左折(県123号)。
野内駅」  明治16年(1893)7/16 開業 無人駅。
野内駅















野内駅(15:36発)から青森駅へ、新青森駅からはやぶさ38号(16:38発)で帰途に着きます。
10月21日(晴)。







青森市野内鈴森・貴船神社

野内神社は青森湾を見下ろす鷲尾山の中腹に鎮座。
大同2年(807)坂上田村麻呂が勧請したのが起源とされます。
文治5年(1189)源義経が衣川の戦で戦線を離れて蝦夷へ渡る途次、航海安全を祈願したと伝わる古社。後に荒廃しましたが、慶安2年(1649)野内宿の庄屋蝦名万助により再興され、社殿が造営されている。
元禄9年(1696)4代藩主津軽信政が、風雨順調 五穀豊穣の祈願所として領内四社の一つに定め、野内龍の口(現在地)に社殿造営される等庇護されたことから隆盛し、以後歴代藩主の祈願所として毎年の藩主代拝が行われました。

又、義経との再会を果たした妻浄瑠璃姫が当地で病没、義経の臣・鷲尾三郎径春が境内裏山の窪地に埋葬して菩提を守りましたが、経春も当地で没した事から「鷲尾」の地名の由来となったとされます。
神仏分離で現社名に改め、明治6年(1873)村社に列し、42年(1909)神饌幣帛料供進社に指定。
雨乞い 止雨乞いの神として信仰されている祭神「高龗神」を安置。

参道口に「神橋」(大正14年1925)、「一ノ鳥居」(石台輪鳥居)、[二ノ鳥居」(台輪鳥居)の右に社号標「貴舩神社」。
野内浦島・貴船神社社頭1
















狛犬。
野内浦島・貴船神社参道口の狛犬吽野内・貴船神社参道口の狛犬阿
阿形の後方に「馬像」。
野内・貴船神社参道口の狛馬

















右奥に英霊碑、「貴舩神社 拜殿改築記念碑」。
野内鈴森・貴船神社参道口の社号標と英霊碑
















左側に寛政9年(1797)建立「保食神」、横に「犬」陽刻碑。
野内・貴船神社参道口左の石塔
















参道、境内入口に三ノ鳥居。
野内浦島・貴船神社参道
















拝殿前の小型の2対目、「牡丹」が陽刻された台石に明治17年(1884)建立「狛犬」。
野内・貴船神社拝殿前の狛犬吽野内・貴船神社拝殿前の狛犬阿
吽形(左)の体躯が少し傾き、左右対称に巻き毛があります、阿形の尾の巻き毛が中心に食い込んでいます。
野内・貴船神社拝殿前の狛犬吽バック野内・貴船神社拝殿前の狛犬阿バック
一間向拝の拝殿。
野内・貴船神社拝殿
















拝殿扁額「貴舩神社」。
野内・貴船神社拝殿扁額














蟇股「波」。
野内・貴船神社拝殿蟇股1













流造りの本殿。
野内浦島・貴船神社本殿

















社殿右(参道正面)に商売繁盛 五穀豊穣の神「倉稲魂神」を祀る境内社「稲荷神社」。
野内浦島・貴船神境内社稲荷神社































青森市久栗坂山辺・川上神社

川上神社は旧奥州街道(県259)沿いの丘陵の頂に鎮座。
慶長元年(1596)村開発の折、田地から出た観世音像を津軽家中野宮一郎兵衛と村民が崇敬し、観音堂を建立し祀ったのが起源とされます。
明治初期、水を司る神「高龗神」を勧請して現社名に改称、6年(1873)村社に列しています。25年(1892)東南の地から現在地に遷座され、42年(1909)神饌幣帛料供進社に指定。

参道口に一ノ鳥居、左に社号標「川上神社」、右に嘉永元年(1848)建立「庚申塔」。
久栗坂山辺・川上神社参道口















鎮守の杜に覆われた急参道を上ると一対の石灯籠、二ノ鳥居。
久栗坂山辺・川上神社参道とニノ鳥居
















狛犬(建立年代不明)は正面(参道方面・東)向きで、頭だけを社殿(西)方向に向けています。
久栗坂山辺・川上神社狛犬吽久栗坂山辺・川上神社狛犬阿
中型で背中は鬣が無く、尾の形も全く異なっています。
久栗坂山辺・川上神社狛犬吽バック久栗坂山辺・川上神社狛犬阿バック
向拝欄間「波」、木鼻「象」の「拝殿」。
久栗坂山辺・川上神社拝殿
















流造りの「本殿」。
久栗坂山辺・川上神社本殿

















左に明治20年(1887)建立「川上神社」、同年建立「二十三夜塔」、後方に「山神」が祀られています。
参道口の社号標「川上神社」が大正4年(1915)建立ですから、これは先代の社号標と思われます。
久栗坂山辺・川上神社境内左の石塔群
















社殿の右手(北)に石塔「山頂薬師堂」、横に病気平癒の神「薬師堂」。
久栗坂山辺・川上神社の山頂薬師堂
















薬師堂の御神体。
久栗坂山辺・川上神社山頂薬師堂の御神体
















北側からの拝殿。
久栗坂山辺・川上神社拝殿(北から)
















振り返る狛犬と参道方向。
久栗坂山辺・川上神社境内から狛犬方面
















参道口方向。
久栗坂山辺・川上神社境内から参道






















青森県のマンホール

青森県・空気弁丸


青森市大字浅虫蛍谷・浅虫温泉駅付近で撮影。





内円に「毘沙門亀甲(凸)模様」、「県章」、「空気弁」文字、
外周に「火」文字の様なデザイン模様の空気弁。









青森県・空気弁凹


青森市油川大浜で撮影。






「県章」と「毘沙門亀甲」が凹の空気弁。










青森県・空気弁(テトラ)


大字浅虫山下で撮影。





「県章」、毘沙門亀甲(凹)模様の空気弁。










青森県・空気弁角


大字浅虫坂本で撮影。



「県章」、毘沙門亀甲・線模様の斜め分割式の角形空気弁。






青森県・凍雪害







「県章」、カラー凍雪害。
※融雪溝の流量を調節する為の弁の蓋。







青森県・CCB


浅虫温泉駅付近で撮影。






「県章」、「和風模様」に「CCB(C・C・BOX)」文字の電線共同溝。








青森県・電線共同溝


大字浅虫坂本で撮影。






「県章」の下に「電線共同溝」文字の電線共同溝。








青森県・汚水(亀甲凹)


矢作で撮影。






「県章」、亀甲模様の汚水用。










青森県・汚水1








「県章」、アミダ模様の汚水用。











青森県・汚水


原別で撮影。






「県章」、汚水用。
















奥州街道㉟新町バス停~小湊駅

青森駅まで夜行バスを使用、青森駅から野辺地駅(7:40着)へ、駅前からバスで前回終了点「新町バス停」で下車。
早朝から抜けるような秋晴れ、今回は1泊2日で歩きます。

行程:野辺地駅…新町バス停(8:02)~野辺地家庭裁判所野辺地出張所~野辺地川~野辺地戦争戦死者墓所~鳥井平集落~石塔群~馬門宿・宿入口・野辺地湾・馬門の町並み・馬門御番所跡碑~馬門交差点~標識「青森・平内」~馬門御番所跡・高札場~南部・津軽両藩の藩境塚、境界碑・奥州街道碑・菅江真澄歌碑~標識「平内町」・700Kポスト~津軽藩関所跡碑~狩場沢旧道分岐~熊野宮~浜懸集落~地蔵堂~陸奥湾の景~狩場沢駅~金比羅宮~名残松並木~明治天皇碑~左エ門次郎旧道分岐・石塔石仏~諏訪神社明治天皇御野立所御跡碑~口広広沢旧道分岐~口広集落・ホタテガイ~海岸沿い~清水川集落~清水川駅~大川添分岐~清水川漁港~清水川八幡宮~清水川~奥州街道碑~沼館旧道口~沼館尻集落~雷電宮参道口~白馬大橋~雷電橋・新雷電橋~松島・小松島の景~渡橋~松島・太鼓橋・雷電林集落~雷電宮~小湊宿・宿入口・小湊神明宮・小湊川・引ノ越山・小湊町並み・丁字路・御家中・浄尊寺のケヤキ・御家中の松・代官所跡碑・奉安殿・高橋竹山碑・小湊代官所跡土塁~小湊駅(15:35)…青森駅(泊)

「上北郡野辺地町」(上小中野)
野辺地町駅後方(西)に、豪雪から線路を守る為に植林された国内初の「防雪林」。
明治26年(1893)林学博士・本多清六氏の提言による約2キロの杉林で、野辺地防雪原林として鉄道記念物に指定されています。 駅前に「浜町の常夜燈」(レプリカ)。
野辺地駅西の防雪林野辺地駅前の常夜燈












(野辺地~馬門道)
県243号(馬門野辺地線)の「家裁野辺地出張所」です、この手前(三叉路)を北上すると常夜燈公園がある野辺地港です。
野辺地町野辺地・家庭裁判所野辺地出張所















300m北東で陸奥湾に合流する野辺地川「河口」。
野辺地字馬門道・野辺地川の河口
















(鳥居平)
先の右に「野辺地戦争戦死者墓所」(県史跡)。
野辺地字下御手洗瀬・野辺地戦争戦死者墓所















明治元年(1868)野辺地戦争で、南部軍(盛岡藩・八戸藩)と津軽軍(弘前藩・黒石藩)の多くの兵士が戦死、翌年、弘前藩が建立した「四基の墓石」(統隊2基・銃卒2基)には27兵士の名が刻まれています。
野辺地字下手洗瀬・野辺地戦争戦没者墓碑
















鳥居平集落。
野辺地町字鳥平・鳥井平集落















集落中程、右に昭和9年(1934)建立「事代主之神」、大正14年(1925)建立「延壽明神」、海上安全・漁業守護の神です。
野辺地町字鳥居平・石塔群















(字馬門~八ノ木谷地~柴崎)
『馬門宿』は、南部藩に属する30戸余りの小規模な宿場でしたが、津軽藩との境から馬門番所が設置され、藩領を明確にするための藩境塚が築かれました。明治元年、野辺地戦争による戦火で全て焼失した為、往時を偲ぶ建物等は残されていません。
近沢川を渡ると野辺地湾沿いに広がる「馬門宿」に入ります。
野辺地町字馬門・馬門宿入口















江戸後期、尾去沢鉱山の銅を大阪に積みだし賑わった「野辺地湾」。
野辺地町字馬門・野辺地湾の景
















先の変則十字路(左角・熊谷商店)を左折、すぐ右に標柱「馬門御番所跡碑」。
南部領・津軽領を行き来する人や物資の出入を監視する為、盛岡藩が津軽藩境に設けた番所(後述)で、津軽領へは馬門番所で取り調べ後、藩境塚を越え陸奥湾沿いの奥州道を通り、津軽領の狩場沢番所で更に許可を受けねばなりませんでした。
野辺地町字馬門・馬門後番所跡碑















馬門交差点でR4号に合流。
野辺地町字中渡・馬門交差点
















標識「青森39K、平内14K」。
野辺地町字八ノ木谷地・国道の標識















野辺地町外れに看板「野辺地町 又のお越しを」と「699.9K」ポスト。
看板右の藩境塚Pに南南東1.3Kに置かれた馬門番所が復元されています。 
野辺地町柴崎・藩境塚P前の看板















冠木門と「馬門番所」(トイレ)、左に宝暦6年(1756)高札を掲げた「高札場」(右写真)。
「高札」には『1、武具類くろかね類 1、紅花紫根黄連 1、蝋漆油 1、綿麻 からむし 布 1、箔椀同木地 1、銅鉛硫黄塩硝皮之類 1、男女 牛馬:右之連無手形他領へ出候事堅く破停止異脇道者 於有之ハ可捕上 為御褒美持料可被下候者成』とあり、武具類や火薬等の持ち出しを堅く禁じていました。
野辺地町柴崎・馬門御番所跡野辺地町柴崎・高札場(復元)












海岸沿いに通称「四つ森、四ツ塚」と称される高3.5m 底面径約10mの「藩境塚(県史跡)。
江戸期、両藩の境界となる二本又川を挟み、手前(南)に南部藩塚(字芝崎)2基、奥(北)に津軽藩塚(狩場沢字開口)2基が築かれています。(築造年代不明)。
野辺地町柴崎・藩境塚(東側から)















二本又(ふたまた)川(境の川)の河口に、南部藩「従是東南盛岡領」(右)、津軽藩「従是西北津軽本次郎領分」の「境界碑」が立てられています。
野辺地町柴崎・二本又川を挟み境界碑















津軽領へは二本又川を渡り、藩境塚の間を通って陸奥湾沿いに進んでいましたが、奥州道は海岸沿い辺りで途絶えているようです。
野辺地町柴崎・藩境塚先の海沿いの旧道















西側からの南部・津軽両藩の藩境塚
野辺地町柴崎・藩境塚(西)
















街道(R4)に戻ると、Pの先の名残松の傍らに「奥州街道碑」、
北側に菅江真澄歌碑あら波のよるきしこぼれさしながら、にでらで花のかけやうつさん」(右写真)。
野辺地町柴崎・藩境塚前の奥州街道碑野辺地町柴崎・菅江真澄歌碑
「東津軽郡平内町」(大字狩場沢関口~浜懸~檜沢~堀差)
すぐ先で平内町に入り、標識の先に「700Kポスト」があります。
平内町は夏泊半島に位置し、江戸期は盛岡藩と隣接する黒石藩の飛び地でした。
東津軽郡平内町・平内町標識と700Kポスト東津軽郡平内町・平内町標識の下の700Kポスト











弘前藩は西に土屋関所、東に狩場沢関所を設置。 約400m北上した右の「リサイクルショップ」前に「津軽藩関所跡碑」、傍らに石宮が祀られています。
平内町狩場沢・リサイクルショップ前の津軽藩関所跡碑















先で標柱「奥州街道」がある狩場沢旧道へ、
海岸沿いに北上した街道は、北北西に向きを変えながら高台の旧道へ繋がっていたようです。
平内町狩場沢・旧道分岐点















街道は坂ピークの三叉路で右(北)に折れ国道と並行しながら北上しますが、すぐ先の左に江戸前期創建の旧村社「熊野宮」(祭神伊弉諾神 伊弉冉神)。
平内町刈場浜懸・熊野宮















鳥居を潜ると商売繁盛 家内安全の神「恵比寿堂」(左)と「稲荷堂」、子授け・良縁の「金精大明神」が祀られています。
平内町狩場沢浜懸・熊野宮の恵比寿堂平内町狩場沢浜懸・熊野宮の金精堂
浜懸集落」を北上し、「地蔵堂」で右(東)に折れR4号に合流。
平内町狩場沢浜懸の集落平内町狩場浜懸・浜懸旧道の地蔵堂










カモメの群れと陸奥湾。
平内町狩場沢浜懸・海
















すぐ先に「狩場沢漁港」。
平内町狩場沢浜懸・狩場沢漁港入口標識















400m北上、左奥に「狩場沢駅」明治27年(1894)1/4開業 無人駅。
平内町狩場沢・狩場沢駅1















先で大きく左カーブする手前で右前方へ進むと、漁業 航海の神を祀る「金比羅宮」(祭神大物主命)、社殿前に大正4年(1915)建立「猿賀神社碑」。
平内町狩場沢檜沢・金比羅宮分岐平内町狩場沢檜沢・金比羅宮











緩い上りとなり、702.4Kポスト辺りから「名残の松並木」になり、300m先から歩道が無くなります。
平内町狩場沢堀巻・名残松並木
















堀差川を渡り、703.8Kポストの手前左の雑木内に「明治天皇碑」。
平内町大字口広・703.8Kポスト手前の明治天皇碑1















(口広左エ門次郎~川向口広沢~田野沢)
約1K先の口広自動車整備工場の先で右前方へ。この旧道分岐点には、国道(西)側を向く「石仏石塔」(地蔵菩薩・延命地蔵尊・庚申塚)が祀られています。
平内町口広左エ門次郎・口広自動車の先の旧道分岐平内町口広左エ門次郎・旧道分岐の石塔石仏











右に江戸前期創建と伝わり、中期に現在地に遷座された古社「諏訪神社」(祭神建御名方神)。
平内町口広左エ門次郎・諏訪神社















国道に合流、広沢に入ると左に「明治天皇御野立所御跡碑」。
平内町口広沢・明治天皇小野立所御跡碑
















先の交差点で右前方の広沢旧道へ。
平内町口広川向口広沢・旧道分岐
















広沢集落を進むと左に「ホタテ貝」の山。
平内町口広川向口広沢・集落平内町口広川向口広沢・口広集落のホタテ貝











旧道は平内町口広交差点の手前で国道に合流、海岸沿いの道になります。
平内町口広・海岸沿いの一本道
















(大字清水川~大川添~浜子)
清水川集落を進み、前方に見える標識「清水川駅入口」を左折。
平内町清水川・清水川集落















清水川駅」 
大正11年(1922)11/10 鉄道省・清水川信号場として開業、昭和11年(1936)6/20現駅名に改称。
夏泊半島、ホタテの「清水駅スタンプ」。
清水川駅清水川駅s











清水川横断歩道橋の先で右前方の旧道へ。
平内町清水川往来道添・旧道分岐















平内町はホタテ養殖の発祥地、ガードレールも「ホタテ」です。
平内町清水川・ホタテのガードレール














清水川漁港」は、平内漁港の “一部落一漁港建設実現運動”で誕生した漁港。
平内町・清水川漁港















左に江戸初期創建の旧村社「清水川八幡宮」(祭神誉田別命)、境内には狛馬一対が奉納されています。
平内町字大川添・清水川八幡宮社頭














R4号に合流、すぐ先で「清水川」を渡ります。
清水川は大毛無山及び三角岳北麓に源を発し、北上して陸奥湾に合流している。
東津軽郡平内町・清水川
















今日の気温は19℃です、田園地帯を進むと左の平内町P前に「奥州街道碑」。
東津軽郡平内町大字浜子・平内P前の奥州街道碑
















(大字沼館~小湊前萢~小湊雷電際)
沼館尻バス停の先で右前方の旧道へ進みますが、青い森鉄道で分断されている為、220m先の左階段を上りR4号へ。
東津軽郡平内町大字沼館沼館尻・旧道分岐1
















沼館尻集落。
東津軽郡平内町大字沼館沼館尻・沼館集落















コンビニ前の三叉路を右折した左が「雷電宮」参道口です、社号標「郷社 雷電宮」、後方に石灯籠や「一ノ鳥居」があります。
現在も参道を歩いてけるのか分からない為、跨線橋を進むことにしました。
平内町小湊前萢・雷電宮参道口
















昭和46年竣工・県9号(夏泊ホタテライン)の跨線橋「白馬大橋」を北上。
東津軽郡平内町大字沼館沼館尻・白馬大橋
















雷電橋の歩道橋」から左手に汐立川に架かる「新雷電橋」(右写真の奥)。
東津軽郡平内町大字沼館沼館尻・雷電橋歩道平内町・雷電橋歩道から雷電橋と新雷電橋












夏泊半島の東端一帯は、小湊川の土砂が堆積した三角州が形成されている為、沖合まで遠浅の浅所海岸と呼ばれ、又、白鳥の飛来地から国特別天然記念物に指定されています。
雷電橋から右手前方、白鳥の飛来地で知られる「松島・小松島の景」。
平内町・雷電橋歩道橋から松島
















(福館雷電岸)
渡り詰め左は「雷電宮」です、右を入り擬宝珠を取り付けた木製の「渡橋」で松島へ。
平内町・松島への渡橋手前















松島には「秩父宮妃両殿下白鳥台覽記念碑」、2度雷電宮を訪れた江戸後期の紀行家・菅江真澄歌碑「この河の渡も浪のいとふかし 世にあさとこと名のみなかれて」、又、村上三良句碑「白鳥に 夜星夕星 置きそめし」等の石碑があります。
平内町・松島と渡橋



松島から西側の「雷電橋方面」。












渡橋の右手に、小松島へ架けられた木製「太鼓橋」。
平内町小湊雷電際・松島の太鼓橋
















松島から「浅所海岸」沿いに広がる「雷電林集落」。
平内町・松島から雷電林集落方面
















雷電橋の渡り詰め左に、奈良後期創建と伝わる古社「雷電宮」(祭神別雷神)。
古くから浅所海岸に飛来するハクチョウが神の使いと崇められてきた平内領の総鎮守です。
平内町福館雷電岸・雷電宮参道口















(小湊前萢~〃小湊~〃下夕田)
『小湊宿』は天正15年(1587)津軽領となり、江戸初期の明暦2年(1656)五千石を分地された黒石津軽家初代・信英の黒石藩領(弘前藩支藩)になる。
安永4年(1775)宿場中心に代官所を設置し、周辺に武家屋敷を配して御家中と呼ばれた小城下町を形成、明治維新まで統治されました。
街道(三叉路)に戻り右折すると「小湊宿」です。
平内町小湊前萢・小湊宿入口1















右に五穀豊穣・国土安泰にご霊験あらたかと信仰されている慶長年間(1596~614)創建「小湊神明宮」(祭神天照皇大神」。
平内町小湊前萢・小湊神明宮















小湊川」は県中央部を流れて野辺地湾に合流。
河口部(浅所海岸)は、海水の逆遡上が見られ汐立川とも呼ばれる延長11.3Kの川。
平内町小湊・小湊川















左側には独特な形をした「引ノ越山」(266.7m)。
昔から安山岩が露出した岩山で、昭和62年頃から採石業者が線路の敷石等の為に削り、現在の山容になったそうです。
平内町小湊前萢・小湊橋から左の引ノ越山
















小湊宿中心街、「小湊の町並み
平内町小湊小湊・小湊の町並み
















青森B/K小湊支店前の丁字路です、街道は左折しますが右折して小城下町「御家中」へ。
平内町小湊喜湊・丁字路















代官所、武家屋敷が配されていた御家中の通り
平内町小湊喜湊・御家中















左に「浄尊寺」、山門の右に樹齢500年「ケヤキ」(町天然記念物)。
平内町小湊小湊・浄尊寺平内町小湊小湊・浄尊寺の御家中のケヤキ










北側に「御家中の松と欅碑」、道を挟んだ北側が平内代官所跡地(平内町民俗資料館・勤労青少年ホーム・図書館)です。
平内町小湊小湊・御家中の松と欅碑
















通りの中央に樹齢400年・樹高19m「御家中のクロマツ」(町天然記念物)。
平内町小湊小湊・御家中の松
















「平内町民俗資料館」前庭に「小湊代官所跡地碑」、横に生物学者「畑井新吾司顕彰碑」。
代官所・官立平内小学」説明板(右写真)。
平内町小湊小湊・平内町民俗資料館敷地の小湊代官所跡と畑井新吾司博士碑平内代官所説明版1













左奥に平内町の日清・日露戦争・満州事変、太平洋戦争の英霊423柱を祀る「奉安殿」と慰霊碑
平内町小湊小湊・平内町民俗資料館の慰霊碑
















南側(勤労青少年ホーム)の前庭に、津軽三味線の第一人者「高橋竹山碑」。
平内町小湊小湊・平内町民俗資料館内の武橋竹山碑
















南側に往時を忍ばせる遺構「土塁」。
平内町小湊小湊・小湊代官所当時の土塁の遺構1平内町小湊小湊・小湊代官所当時の土塁の遺構












小湊駅」  明治24年(1891)9/1開業。
夏泊半島、浅所海岸のオオハクチョウの「小湊駅スタンプ
小湊駅1小湊駅s1










小湊駅(15:48発)から青森駅(16:23着)へ、今夜は駅前の東横インに宿泊します。
10月20日(晴)











青森県東津軽郡平内町福館雷電岸・雷電宮

平内領総鎮守「雷電宮」は夏泊半島の東端に鎮座。
延暦20年(801)蝦夷討伐の折、坂上田村麻呂が別電命を勧請したのが起源とされ、後、南部から東岳、荒田へと移され、文禄3年(1594)現在地に遷座されました。
江戸期、黒石藩歴代藩主(津軽家)の保護の下、平内領(黒石藩飛地)の総鎮守として篤く崇敬され、又、松前藩主、幕府巡検使も参拝したと伝わります。
明治4年(1871)小湊神社に改称、6年(1873)郷社に列した際に大雷神社に改められ、12年(1879)現社名に改称。

境内地周辺の浅所海岸は、オオハクチョウの飛来地として知られていますが、ハクチョウを神使と崇める古くからの信仰から、雷電宮の神の使いとされています。
厄除、災難除、商売繁盛、家内安全、交通安全等にご霊験あらたかな祭神「別雷神」を安置。

「※南1.3Kの小湊前萢(県9号沿い)の参道口には、社号標、一ノ鳥居がありますが、跨線橋(白鳥大橋)の竣工後は恐らく参道は使われなくなったと思われます。」

境内入口右に社号標、1対の石灯籠。
石灯籠の後方に鳥居の台石が残されている為、以前は鳥居が建っていたようです。
平内町福館雷電岸・雷電宮参道口















社号標「雷電宮」。
平内町福館雷電岸・雷電宮社号標
















境内は汐立川の東岸辺沿いにあり、参道左に龍口の手水石を置く「手水舎」。
手水舎平内町福館雷電岸・雷電宮
















手水舎向かいには、雷から町民を守護するという故事から " 降雷大杉 "と称される樹齢350年を超す御神木「大杉」。
平成17年(2005)11月の落雷で上部が消失、正に人々を雷から一心に守ったといえる御神木と言えます。
平内町福館雷電岸・雷電宮御神木大杉
































右手に「社務所」、前に明治33年(1900)建立「明宮殿下御婚儀記念碑」、近くには神徳景行碑や御祭禮再興記念碑等があります。
平内町小湊雷電際・雷電宮社務所















一ノ鳥居(木製両部鳥居)。
平内町小湊雷電際・雷電宮鳥居















鳥居扁額「雷電宮」。
平内町福鳥居扁額













二ノ鳥居(台輪鳥居)
平内町福館雷電岸・雷電宮二の鳥居
















子・玉取りの昭和27年(1952)建立「狛犬」。
平内町福館雷電岸・雷電宮狛犬吽平内町福館雷電岸・雷電宮狛犬阿
「拝殿」は入母屋造り、前に菅江真澄歌碑「みつしほの浪のしらゆふ あさな夕かけていく世になり神の宮」。
平内町小湊雷電際・雷電宮拝殿
















向拝蟇股。
平内町小湊雷電際・雷電宮拝殿蟇股1















本殿」。
扉左右に「黒い狛犬」、浜床左右に「白い狛犬」(右写真)。
平内町福館雷電岸・雷電宮本殿平内町福館雷電岸・雷電宮本殿の狛犬2対












杉にケヤキが寄り掛かるような「相生の杉ケヤキ」。
平内町福館雷電岸・雷電宮の相生の杉ケヤキ

















参道は両部鳥居を潜った先で右(社殿)へ分岐、そのまま進むと二つの木造建物があります。
生憎、参拝日は社務所が閉まっていた為、この建物については不明です。
1平内町福館雷電岸・雷電宮境内左の建物















奥の建物の入り口右に歌碑「敷島のやまと心をみがけ 人いま世の中に事はなくとも
平内町福館雷電岸・雷電宮境内左の建物
















社殿後方には鳥居左に「稲荷社」、正面に境内社[郭内稲荷神社」(祭神宇迦之御魂神)。
万治3年(1660)小湊村士族・新岡左五右エ門が福館城郭内に勧請、明治6年(1873)境内に合祀されました。
平内町福館雷電岸・雷電宮境内社稲荷神社















水を司る神「龍神宮」。
平内町福館雷電岸・雷電宮境内社竜神宮


















大町桂月歌碑「白鳥の羽音と共に千代までも 御陵威絶えせぬいかずちの宮
平内町福館雷電岸・雷電宮大町桂月歌碑
















境内の「汐立川船着場」。
平内町福館雷電岸・雷電宮境内の船着き場

























青森県東津軽郡平内町字清水川・清水川八幡宮

清水川八幡宮は、清水川駅より北西900mの旧奥州街道沿いに鎮座。
元禄元年(1688)創建と伝わる古社、明治6年(1873)村社に列している。
必勝祈願、商売繁盛、安全祈願等にご霊験あらたかと信仰される祭神「誉田別命」を安置。

参道口に社号標「清水川八幡宮」、狛犬、白の八幡鳥居。
平内町字大川添・清水川八幡宮社頭














鳥居扁額「八幡宮」
東津軽郡平内町大字清水川・清水川八幡宮鳥居扁額1













狛犬。
東津軽郡平内町大字清水川・清水川八幡宮狛犬吽東津軽郡平内町大字清水川・清水川八幡宮狛犬阿
二ノ鳥居、狛犬は参道口の狛犬と同じです。
東津軽郡平内町大字清水川・清水川八幡宮二の鳥居と狛犬2対目1















手水舎には龍口を置く手水石。
東津軽郡平内町大字清水川・清水川八幡宮手水舎
















拝殿は入母屋造り 千鳥破風 正面一間軒唐破風向拝、手前に「御神木」。
東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮社殿

















拝殿扁額「八幡宮」。
東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮拝殿扁額
















懸魚「鳳凰」、欄間蟇股「植物」。
東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮拝殿彫刻



























木鼻「唐獅子・象」、持ち送り「波」。
東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮拝殿左木鼻東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮拝殿右木鼻
本殿(履殿)。
東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮本殿
















境内には慶應4年(1868)建立「献灯」1対、社殿前に1対の「馬」。
東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮狛馬














大きな鈴を下げ、優しい表情の馬。
東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮の狛馬左東津軽郡平内町大川添・清水川八幡宮の狛馬右








青森県東津軽郡平内町のマンホール

平内町は夏泊半島に位置し、ホタテ養殖の発祥地で日本一の生産量を誇ります。
青森県東津軽郡平内町・漁集排


大字口広で撮影。





中心円の上に「町章」、「陸奥湾」の「ホタテ漁船3艘」、
周囲に「ホタテ貝」、下部に「漁集排」文字の漁業集落排水用。









青森県東津軽郡平内町・漁集排親子1









漁集排の親子蓋(亀甲)。









2青森県東津軽郡平内町・漁集排親子








漁集排の親子蓋(変形S字)。









青森県東津軽郡平内町・汚水


大字沼館で撮影。






中心に町の鳥「ハクチョウ」、左右の山並みに町の木「マツ」、左上に町の花「ツバキ」、
下部に「ホタテ貝」、間に「平内町」文字の汚水用。








青森県東津軽郡平内町・汚水枠付き


大字小湊で撮影。






外枠付き汚水用。









青森県東津軽郡平内町汚水親子枠付き








外枠付き汚水用親子蓋(亀甲)。










青森県東津軽郡平内町汚水親子1


大字沼館で撮影。





汚水用親子蓋(亀甲)。









東津軽郡平内町・汚水親子(変形S字)


藤沢人形坂で撮影。






汚水用親子蓋(変形S字)。









東津軽郡平内町・集排(ツバキ)


大字山口で撮影。





中心に「町章」、周囲の「格子模様」に町の花「ツバキ」、
下部に「ひらない町 しゅうはい」文字の農集排。










東津軽郡平内町・集排枠付き(バラ)









外枠付農集排。









東津軽郡平内町・集排親子外枠付き(変形S字)


大字中野で撮影。






外枠付き農集排親子蓋(変形S字)。








東津軽郡平内町・集排親子(テトラ)








農集排親子蓋(テトラポット)。








青森県東津軽郡平内町・公共汚水枡1


大字清水川で撮影。





「町章」、公共汚水枡。








青森県東津軽郡平内町・公共汚水枡2








「町章」、2色使いの公共汚水枡。








青森県東津軽郡平内町・公共汚水枡(プラ・径30)


大字小湊で撮影。






「町章」、公共汚水枡(プラ)。








青森県東津軽郡平内町・汚水枡(プラ1)


大字山口で撮影。




「町章」、汚水枡(プラ・凸)。






凸青森県東津軽郡平内町・汚水枡


大字口広で撮影。




「町章」、汚水枡。






青森県東津軽郡平内町・汚水枡(プラ)







「町章」、汚水枡(プラ)。







青森県東津軽郡平内町・汚水枡(プラ・凹)


大字小湊で撮影。





同デザインの汚水枡(プラ・凹)。






青森県東津軽郡平内町・汚水枡







「町章」、汚水枡。














青森県むつ市のマンホール

青森県むつ市・仕切弁


八戸駅西口付近で撮影。






「市章」、カラー仕切弁
(越境マンホールです)









青森県上北郡野辺地町のマンホール

青森県上北郡野辺地町・汚水(常夜灯)


浜掛で撮影。





汚水用には「陸奥湾」をバックに「浜町の常夜燈」、町の木「サクラ」、町の鳥「カモメ」、
周囲に町の花「ハマナス」、下部に「のへじ おすい」文字がデザインされています。







青森県上北郡野辺地町・汚水H








汚水ハンドホール。








青森県上北郡野辺地町・汚水親子1








大サイズ・汚水用親子蓋(テトラポット)。









1青森県上北郡野辺地町・汚水親子2









汚水用親子蓋(テトラポット)。









青森県上北郡野辺地町・JIS雨水1



野辺地で撮影。







「町章」、JIS規格の雨水用。








青森県上北郡野辺地町・汚水枡






中心に陸奥湾・森をイメージした「CI(コーポレートアイデンティティ)マーク」の汚水枡。







青森県上北郡野辺地町・汚水枡(プラ凹)







汚水枡(凹・プラ)








青森県上北郡野辺地町・汚水枡(プラ凸)







汚水枡(凸・プラ)。











奥州街道㉞千曳駅~新町バス停

宿泊ホテルを6:15にチェックアウト、三沢駅まで徒歩(約20分)で向かい千曳駅へ戻ります。

行程:三沢駅(6:54発)…千曳駅(7:14着)~県8号分岐~夫雑原の1本道~八甲田山系の景~夫雑原集落~十字路~夫雑原生涯学習センター~夫雑原一里塚跡~林間道~長者久保集落入口~両部鳥居~旧道口~山間道~野辺地町境の標柱~坊ノ塚山道~坊ノ塚一里塚・旧道~野辺地町の景~坊ノ塚鳴子館遺跡碑~鳴子館坂~新鳴子坂橋~県道合流~野辺地宿・枡形跡・下町集会所・青面金剛・愛宕公園(花鳥号・愛宕神社参道口・エゾヒガン・御前水・敷石・友好之碑・愛宕神社・啄木歌碑・芭蕉句碑・弁慶の足跡・野辺地湾の景・烏帽子岳の景)・西光寺・海中寺の手水石・県279号の三叉路(上道との合流点)・常光寺・花鳥碑・野村家住宅(行在所)・野辺地町役場・本町枡形跡・野辺地神明宮・野辺地代官所跡碑・野辺地城跡・旧本町通り・旧金沢町北の枡形跡・旧新町通り・旧新町組丁・野辺地八幡宮・八幡町踏切・浜町の町並み・宿北口の遠見番所跡碑・旧道分岐・水神宮・蔵町碑・旧道の町並み・大砲台場跡碑・海岸通り・護岸・常夜燈公園(浜町の常夜燈・みちのく丸)・・・・新町バス停(14:30)・・・野辺地駅・・八戸駅

三沢駅」(東口)  明治27年(1894)4/1 古間木駅として開業、昭和36年(1961)3/1 現駅名に改称。
三沢駅と三沢基地のジェット機の「駅スタンプ」。
三沢駅三沢駅スタンプ











「上北郡東北町」(夫雑原(ぶぞうはら)~大平~長者久保)
「千曳駅」ホーム。 正面が県8号。
千曳駅ホーム
















県8号(八戸野辺地線)を約1.2K戻り、「日本中央の碑発見地」の先の三差路へ。
上北郡東北町字夫雑原・県8号の分岐















5分程上ると昨日の分岐点から上ってきた旧道と合流、左(北東)に折れると左右が肥料用トウモロコシ畑が広がる1本道に。
東北町夫雑原の旧道1
















左手に八甲田山系。
東北町夫雑原・旧道左の八甲田山系と畑
















夫雑原集落に入ると、サイロや牧舎等の酪農・畜産農家
牛は1日に、トウモロコシの茎・実を細断しサイロで発酵させた飼料穀物等を30K食べるそうです。
東北町夫雑原・酪農農家
牧舎横に牛糞を混ぜた堆肥の様な物が置かれています。
東北町夫雑原・農家の肥料作り















15分程で右角の北東トラクター利用組合の十字路を直進。
東北町夫雑原・十字路















約1K進み、左の夫雑原地区生涯学習センターは町立夫雑原小学校跡(平成11年(1999)千曳小学校に統合)です。
かつてはこの北側に夫雑原一里塚がありました。
)東北町夫雑原・夫雑原地区生涯学習センター(元町立夫雑原小學校)















学習センターの北側(右)の道を80m進んだ辺り。
東北町夫雑原・夫雑原一里塚跡1
















ぽつんと右に一軒の民家があり、この前が夫雑原一里塚跡(破壊で消滅)です。
東北町夫雑原・夫雑原一里塚跡
















北上する一本道
東北町大平地区の一本道・
















下って上る。
東北町大平地区の林間道
















約4.2K進むと「長者久保集落」に入ります。
東北町長者久保・長者久保集落入口















街道左の民家横に「朱の両部鳥居」、西北西250mの山中に鎮座する神社の参道口です。
東北町田面木・鳥居
















集落外れで車道は右(東)に折れ、街道は「直進」(北上)です。
東北町長者久保・旧道口
















数分先で土道となり、すぐに林間の緩い上りに。
東北町長者久保の山間の旧道















「上北郡野辺地町」(字坊ノ塚~種川)
先のY字路は左へ、数分進むと右山林に所有者が立てた標柱「野辺地町大字野辺地字坊ノ塚54-1」(↤・右写真)、この辺りで野辺地町に入ります。
野辺地町雑吉沢・東北町長者久保の境の野辺地町標柱野辺地町雑吉沢・長者久保との境の標柱
蛇行しながら上り下りを繰り返す山道を進むと、左側が開けてきました。
野辺地町坊ノ塚・旧道
















5分進むと右に慶長15年(1610)築造「坊ノ塚一里塚」(県史跡)。
東西の塚が現存し、径約9m・高さ2.2mで、西塚は3分の1損壊しています。
野辺地町坊ノ塚・坊ノ塚一里塚両塚
















両塚の間に残る「旧道の遺構」。
野辺地町坊ノ塚・坊ノ塚一里塚の間に残る旧道痕跡1
















鳴子館坂から左に野辺地の町が見えます。
野辺地町坊ノ塚塚からの野辺地の町
















すぐ先左に文字が消えかかった標柱「坊ノ塚遺跡鳴子館跡碑」。
平安期から鎌倉期にかけ、この一帯には集落跡や堀跡等の遺跡があり、鳴子館と称されていたそうです。
野辺地町坊ノ塚・標柱「坊ノ塚遺跡鳴子館跡」















鳴子館坂を下る。
野辺地町坊ノ塚・鳴子館坂1
















R279号(下北半島縦貫道路)に架かる「新鳴子坂橋」、次いで鳴子板橋を渡ると右に「鳴子板橋の名称由来」説明板。
鳴子板橋の名称は、江戸期、幕府や藩要人が当地を訪れた際、町の要人がこの付近まで送迎に出た故事に由来すると記されています。
野辺地町坊ノ塚・新鳴子坂橋1















県246号(水喰野辺地線)に合流、横断して東50mの旧道へ。
野辺地町下町・県道合流
















(舟橋~寺ノ沢)
「野辺地宿」は、領内の銅や海産物の搬出等南部盛岡藩の西回り航路の経済的拠点として発展。又、津軽領(弘前藩)と隣接する軍事的拠点(下北半島)で交通の要衝でした。江戸後期(天和2年1682)に五日市が開かれていることから、野辺地代官所を中心として整備された升目状の道と町はそれ以前に形成されたとされ、現在の町並みの基となっています。
旧下町の野辺地宿入口
野辺地町字下舟橋・野辺地宿入口枡形















右の下町集会所(右写真)に、明和5年(1768)造立「六臂青面金剛」(右)、同年造立「不動明王」、集会所左側に祠が祀られています。
野辺地町下町・下町集会所の青面金剛と不動明王野辺地町・下町集会所












先の交差点を右折して北側の愛宕公園へ向かいます。
愛宕公園案内図」。
野辺地町・愛宕公園案内図
















菊の御紋の鞍を付けた名馬「花鳥号像」。
明治9年(1876)御巡幸の際、行在所(役場地内)で倒れ常光寺(後述)に埋葬されました。
野辺地町字寺ノ沢・愛宕公園の花鳥号
















園内北側に「愛宕神社参道口」。
野辺地町字寺ノ沢・愛宕公園の愛宕神社参道口

















社号標の後方に本州最北端の桜、樹齢300年・樹高18mの「エゾヒガン」(町天然記念物)。
野辺地町・愛宕公園の愛宕神社参道口道のエゾヒガン11
















参道が右に折れる正面に、御巡幸の際に調理用に使用された湧き水「御膳水」。
野辺地町・愛宕公園の御前水
















石段の「敷石」は、野辺地町の廻船問屋・野村治三郎が小豆島上庄町から運び、本町通りに敷き詰めていた「花崗岩」で、愛宕公園の石畳として日本遺産構成文化財に指定されています。
野辺地町・愛宕公園の愛宕神社参道の敷石
















大阪城の再築城の際、普請を命じられた西国大名は石垣に小豆島土庄町産出の花崗岩を使用。土庄町「大阪城残石記念公園」と当園は、その時の残念石(残石)の縁から友好公園となり「友好之碑」が建立されています。
野辺地町・愛宕公園の友好の碑















火伏の神「愛宕神社」(祭神迦遇突智命)は、町内治安の為に文政2年(1819)野辺地代官が代官所内に祀り守護神として崇敬したのが起源、後、町の有力者達の強い懇望で社殿を創建、全町民に篤く信仰されてきました。
境内左に境内社「愛宕稲荷神社」(祭神倉稲魂命)、「不動明王」が祀られています。
野辺地町・愛宕公園の愛宕神社鳥居野辺地町・愛宕公園の愛宕神社拝殿












石川啄木は、常光寺住職(葛原対月和尚:母の兄)が伯父だったことから野辺地を数回訪れています。
神社西側に啄木歌碑潮かをる北の濱辺の砂山の かの濱薔薇よ今年も咲けるや
野辺地町・愛宕公園の啄木歌碑















野辺地の俳人達が文政12年(1829)建立「芭蕉句碑」、
貞享5年(1688)「笈の小文」の旅で、門人坪井杜国を同行し吉野山で詠んだ句「花さかり 山は日ごろの 朝ほらけ」。
句碑台石の窪みは、平泉から逃れた義経が外ヶ浜町(旧三厩村)で北海道へ渡った故事から「弁慶の足跡」(右写真)とされています。
野辺地町・愛宕公園の芭蕉句碑野辺地町・愛宕公園の芭蕉句碑の弁慶の足跡










愛宕公園(標高60m)は、明治17年(1884)大石武学流第一人者の庭師・高橋亭山により町を一望できる高台に造られ、ソメイヨシノ(約700本)、本州最北のエゾヒガン等の桜の景勝地として知られています。
北側にはこれから向かう「野辺地湾と野辺地の町並み」。
野辺地町・愛宕公園愛宕神社からの陸奥湾
















西南西に檜山騒動の地となった「烏帽子岳」(720m)の景。
野辺地町・愛宕公園からの烏帽子岳
















道を挟んだ西側の「海中寺」には、弘化2年(1845)讃岐国塩飽島の船主・橘屋吉五郎(後述)が奉納した「手水石」があります。
野辺地町・海中寺の手水石















「西光寺」(本尊阿弥陀如来)は、天正年間(1573~92)越前国の武士が庵を結び、慶長18年(1613)京都本願寺末寺として開山。
入母屋一間向拝の「本堂」は嘉永4年(1851)再造営、参道左の「シダレザクラ」(町・県天然記念物)は樹齢250年以上で県屈指の古木。
野辺地町・西光寺本堂と枝垂れ1















(野辺地)
街道へ戻り県279号(むつはまなすライン)に合流。 この三差路(左道)が、中野追分(中野交差点)で下道(県173号)と別れ、R4号を北上する上道との合流点です。
野辺地町・上道との合流点の三叉路1
















本町通りの右奥に寛永9年(1632)創建「常光寺」(本尊釈迦如来)、石川啄木に縁ある古刹で、野辺地城代日戸内膳行秀の菩提寺です。
野辺地町・常光寺本堂















参道右手に名馬「花鳥号」を讃える「名馬御瘞碑」(町有形文化財)。
明治9年の御巡幸で、行在所に到着後に花鳥号が斃死。翌日、馬体に縫った白布(四反)に包まれ、隣接する当寺に埋葬されました。花鳥号を讃え死を弔う為、宮内省から送られた石碑は明治11年(1878)に建立されている。
野辺地町野辺地・常光寺の花鳥号墓















碑面には明治期の書家・長三洲書「御馬を瘞むる銘」が刻まれています。
野辺地町・常光寺の花鳥号墓の銘文
天閑の驪 米洲より来たる 鉄蹄星眸 逸気秋に横つ 
号して花鳥と曰ひ 廼ち鑾輅に服す 
我が馳駆を範のごとくすれば
龍顔屢顧みる 九年親巡して青森に至る・・・・











北側の旧袋町通り沿いに「旧野村家別邸」(行在所)」(国有形文化財)。
野村家は代々藩の御用商人、廻船問屋を営む北東有数の北前船主。
6代治三郎は自宅に庭園と一体化した数寄屋風住宅を新築、明治9・14年(1876・1881)の行幸の際の行在所となりました。
離れは明治23年(1890)大火後に建てられた切妻造・鉄板葺木造平屋、庭口側は全面開口部の数寄屋風建物で、内部四部屋は田の字型に配され、格式高い意匠となっています。
野辺地町・野村家別邸玄関
















玄関を入ると、庭園の池が見渡せる座敷に「拝謁の場面」が再現されています。
床脇付床の間を背に中央に玉座(明治天皇)、奥に右大臣岩倉具視、手前に宮内卿徳大寺実則、右に野村治三郎。
野辺地町野辺地・野村家拝謁の場面
















池の周りを一周出来る庭園は、旧水戸藩庭師・梅翁設計による築庭です。
「庭園」、「池」、座敷(床の間入口)の「欄間彫刻(近江八幡の景)」、「陶磁器製のテーブルセット」(左から)。
野辺地町・野村家別邸庭野辺地町・野村家別邸の庭園の池野辺地町・野村家別邸欄間野辺地町・野村家別邸の陶器テーブルセット
右隣に「野辺地町役場」。
野辺地町・野辺地町役場















街道へ戻り、30m南の「本町枡形」(三叉路・黄⮢)を左折して城内小路へ。
野辺地町野辺地・代官所への枡形1
















右に豪族・田中津右衛門が町の発展祈願の為、屋敷の内神として勧請した「野辺地神明宮」(祭神天照皇大神)。 後の元禄2年(1689)氏子中が天照皇大神を勧請して現在地に遷座。
藩主が巡視の際に参拝し、代官からも庇護されてきました。
境内右に境内社「館内稲荷神社」が祀られています。
野辺地町野辺地・野辺地神明宮















突き当りの中央公民館 図書館 歴史民俗資料館がある一帯が「野辺地城跡(金鶏城)」です。
野辺地氏が築城又は改修したと伝わる中世の平山城で、野辺地川を北方の外堀とし、三方を深い空堀で囲み、城下町側に虎口を設けていました。
野辺地は尾去沢鉱山の銅を搬出する経済的拠点で、隣接する弘前藩との軍事的な交通の要衝から、慶長20年(1615)の一国一城制でも廃城せず、要害屋敷として残されました。
1野辺地町野辺地・野辺地城址・野辺地代官所跡














享保20年(1735)城跡に馬門番所・湊番所を配下に、津軽藩・南部藩境を守る要とする代官所(御仮屋)を設置。
盛岡から代官2名を派遣し、代官所の三方(南・東・北)に諸士屋敷10軒が配されていました。
入口右に「野辺地代官所跡碑」。
野辺地町野辺地・野辺地代官所跡碑
















本町枡形へ戻り左折、野坂屋、杉山屋等の6軒の商人宿があった「旧本町通り」。
野辺地町野辺地・本町通り
















旧本町通りを進んだ青森B/K手前の十字路交差点です、この交差点手前右手に「市神」が祀られ、交差点近くの右に「高札場」が置かれていました。
この通りには、江戸期から明治期にかけ野村治三郎が、瀬戸内海を航海した北前船で運んだ花崗岩が約350mに渡り敷き詰められていました(下写真)。
野辺地町・青森B銀行手前からの本町通り
















御影石が敷き詰められた「大正期の本町通り」(写真)
野辺地町・大正時代の本町通り(写真)















街道は、旧本町通りの北側の交差点を左折(県243号)ですが、横断して旧金沢町へ。
次の信号交差点で直角に右折する「宿北口の枡形跡」です。右(東)に折れると、左右には町を守る為の同心屋敷15軒が軒を連ねていた組丁となります。
野辺地町・旧金沢町北の枡形跡

















旧本町通りに戻り左折(西)すると「旧新町通り」です。
江戸期、金沢町に接する新町通りの東側は、廻船問屋等商家が軒を連ね、商人宿や往来宿がありました。
1野辺地町・旧新町通り
















野辺地八幡宮と接する西側の「旧新町組丁」には、15軒の盛岡藩同心屋敷が連ねていたことから御同心丁、御組丁とも呼ばれていました。
野辺地・旧新町組丁















正面に慶長3年(1598)創建の総鎮守「野辺地八幡宮」、社前で「新町組丁枡形」を右折すると八幡丁です。
野辺地町・野辺地八幡宮と八幡丁への道
















先で大湊線を八幡町踏切で渡ります。
「大湊線」は大正10年(1921)開業、「はまなすベイライン大湊線」の愛称で呼ばれる野辺地駅~大湊駅(むつ市)を結ぶ単線。
野辺地町野辺地・大湊線の八幡踏切














70m先の標識「常夜燈→」で右へ。
野辺地町野辺地・標識常夜籠」















右折すると数軒の商人宿があった「浜町」です。
野辺地町浜町の町並み















宿北口にあたる海岸通りに合流、交差点の南西角に標柱「遠見番所跡碑」。
江戸期、幕府が外国交易を禁じていた為、外国船の監視や沿岸警備、又、商船による他藩への持出し禁止の荷の検査を行う番所で、左に「高札場」が置かれていました。
野辺地町・海岸通りの遠見番所跡碑
















正面の常夜燈公園に寄る前に、50m先の右前方の細い道へ。
野辺地町野辺地・海岸通りの裏側の道へ















集落の右高台に浜町の氏神「水神宮」(祭神水波能売神)。
舟大工が野辺地合船場の清水が涸れた為、水神宮を建立し水神を祀ると清水が湧き出したと伝わり、北前船等の飲用水に利用されていました。
野辺地町野辺地・水神宮
















左に「蔵町碑」。
領内の大豆や銅は、北前船で日本海航路上の大阪・北陸の湊に運ばれていた為、一帯には藩の銅蔵や大豆蔵、商人の土蔵や板蔵がありました。
野辺地町野辺地・蔵町碑
















旧道の町並み。
野辺地町野辺地・旧道の集落















先で十字路を左折して海岸通りに合流、左角に「大砲台場跡碑」。
安政3年(1865)外国船に備える為,、三本木の水路開発者・新渡戸博・十次郎父子(㉜に記載)の設計で、台場を掘り下げ海からの目視を難しくする工夫を施していました。
野辺地町海岸通り・大砲台場跡碑















海岸通り沿いには大小・色とりどりのブイや網、護岸等の漁港風景。
野辺地町・海岸通りの護岸1















常夜燈公園入口。
野辺地町野辺地・常夜燈公園入口
















園内に正面「常夜灯」、背面「金比羅大権現」、側面「文政十丁亥歳 正月吉良日」、基礎部「野村治三郎 橘屋吉五郎」と刻む「浜町の常夜燈」(高さ3.8m・町史跡)。
文政10年(1827)廻船問屋野村治三郎が、塩飽島の船主・橘吉五郎(海中寺で述)の協力で海路を運び、航海安全の燈明台として建立した日本最古の常夜燈です。
野辺地町・浜町の常夜燈























明和2年(1765)盛岡藩直営とした野辺地湊には湊役所、遠見番所、銅蔵・大豆蔵、廻船問屋の船荷蔵等がありました。
大阪・蝦夷を結ぶ日本海航路の窓口で、尾去沢鉱山の銅、領内の海産物・大豆等を積み出し、青森湊で米を、松前でニシンの魚肥を買い入れ兵庫・大阪等で売り払い、帰りは塩・木綿・日用雑貨を買い入れた入航船で賑わい、沖合の停泊船からはしけ船で荷を運んでいました。
常夜燈の右手に、北前弁才船「みちのく丸」(復元)。
野辺地町・常夜燈公園のみちのく丸

















「みちのく丸」説明。 「西廻り・東廻り航路図」  
みちのく丸説明野辺地町・航路図
野辺地湾を背に往時を忍ばせる「常夜灯とみちのく丸」。
野辺地町・常夜燈公園の浜町の常夜燈とみちのく丸

















新町通りへ戻り、新町バス停(14:53発)から野辺地駅(15:00着)へ向かいます。
野辺地町・新町🚏
















野辺地駅」  明治24年(1891)9/1開業。日本初の防雪林と青い森鉄道の「駅スタンプ」。
野辺地駅s青い森鉄道・野辺地駅










改札口付近に「浜町の常夜燈」(レプリカ)。
八戸駅ホームの常夜燈
















八戸駅西口
八戸駅からはやぶさ36号(16:41発)で帰途へ。
八戸駅西口

















10月30日(晴)。





青森県上北郡野辺地町・野辺地八幡宮

「野辺地八幡宮」は、旧奥州街道沿いに鎮座する野辺地の総鎮守。
慶長3年(1598)創建と伝わり、正徳4年(1714)6代藩主南部信濃守利幹の時に本殿を再造営、天保14年(1843)拝殿が再造営されています。古くよりの神仏習合で、別当成就院が祭祀を司り、関ヶ原の戦いの落ち武者林善成が修験僧となり代々継いでいます。
明治5年(1872)郷社に列し、40年(1907)神饌幣帛料供進社に指定。
境内西に大湊線が走り、南は野辺地川が流れ、深い社叢に囲われた広い境内は厳かな神域となっています。
交通安全・航海安全・海運祈願、商売繁盛、延寿息災等にご霊験あらたかな祭神「誉田別命(応神天皇)」を安置。

旧奥州街道沿いの社頭、社号標「野辺地八幡宮」、島木に神紋「三つ巴紋」、扁額「野辺地八幡宮」を掲げた朱の一ノ鳥居(台輪鳥居)。
野辺地町・野辺地八幡宮社頭
















参道沿いに火袋周りに「唐獅子」、中台に「十二支」、竿に「玉を銜えた龍」彫刻が施された一対の石灯籠。
野辺地町・野辺地八幡宮参道

















昭和12年(1937)建立「狛犬」。
野辺地町・野辺地八幡宮狛犬吽野辺地町・野辺地八幡宮狛犬阿
右に社務所。
野辺地町・野辺地八幡宮社務所
















ニノ鳥居(明神石鳥居)。
野辺地町・野辺地八幡宮ニノ鳥居
















ニノ鳥居の銅扁額「八幡宮」。
野辺地町・野辺地八幡宮ニノ鳥居扁額
















左に「手水舎」、横に先代の自然石社号標「八幡宮」。
野辺地町・野辺地八幡宮手水舎
















拝殿前に平成6年(1994)建立「狛犬」。
野辺地町・野辺地八幡宮拝殿前の狛犬吽野辺地町・野辺地八幡宮拝殿前の狛犬阿
平成4年(1992)造営「拝殿」は、入母屋、千鳥破風、正面一間軒唐破風向拝付き。
野辺地町・野辺地八幡宮拝殿
















拝殿扁額「八幡宮」、左右柱に「唐獅子」。
野辺地町・野辺地八幡宮拝殿扁額
















懸魚「鳳凰」、欄間「玉を持つ龍」。
野辺地町・野辺地八幡宮拝殿軒唐破風懸魚と欄間彫刻
























木鼻「象・唐獅子」、持ち送り「波」。
野辺地町・野辺地八幡宮拝殿左木鼻野辺地町・野辺地八幡宮拝殿右木鼻
拝殿内。
野辺地町・野辺地八幡宮拝殿内
















履殿の「本殿」(県宝)は正徳4年(1714)造営、一間社流造、正面一間向拝付きで中国故事等の彫刻が施されています。
野辺地町・野辺地八幡宮本殿履殿
















境内右(北)に安政4年(1857)勧請された末社「天満宮」(祭神菅原道真公)、学問、技芸の神として信仰されています。
野辺地町・野辺地八幡宮境内末社天満宮野辺地町・野辺地八幡宮境内社天満宮本殿












吽形は子取り、玉取りの阿形は舌を出す平成15年(2003)建立「狛犬」。
野辺地町・野辺地八幡宮境内末社天満宮狛犬吽野辺地町・野辺地八幡宮境内末社天満宮狛犬阿
左(南)に末社「金比羅宮」(祭神大物主神)。
野辺地湊役所支配頭・熊谷秀平と「仙台屋」(安田彦兵衛)等の廻船問屋達が、海上安全祈願で境内に勧請。

「履殿」は平成10年(1998)造営、盛岡出身の宮大工・畠山清八作による文政5年造立「本殿」(県宝)は千鳥破風、一間軒唐破風向拝付き、欄間「鳳凰」、木鼻「象・唐獅子」、向拝柱「昇・降の龍」等の優れてた彫刻が施されています。
野辺地町・野辺地八幡宮末社金比羅宮野辺地八幡宮末社金比羅宮本殿












子・玉取りの平成15年(2003)建立「狛犬」。
野辺地町・野辺地八幡宮末社金比羅宮狛犬吽野辺地町・野辺地八幡宮末社金比羅宮狛犬阿
南側に日・月陽刻「庚申」「萬代之敷石碑」など石塔群。
野辺地町・野辺地八幡宮石塔群















北側からの境内。
野辺地八幡宮境内
































     
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