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宮城県刈田郡蔵王町のマンホール

蔵王町は蔵王連峰の裾野に位置し、町域の約6割を山林や原野が占めています。
町の木「ゴヨウマツ」、町の花「モモの花」。
宮城県苅田郡蔵王町・JIS汚水


宮一本松で撮影。





中心に「町章」、枠付きJIS規格汚水用(テトラポット)。










宮城県苅田郡蔵王町・


宮町で撮影。





長方形に「実をつけたモモの木」、下部に「汚」文字の汚水枡(径30cm)。








宮城県苅田郡蔵王町・消火栓(小)







二色の丸型カラー消火栓(ドット)。








宮城県苅田郡蔵王町・仕切弁(5分割)


宮一本松で撮影。



4分割のカラー中心円に「町章」、周囲は5分割(モルタル)の仕切弁。








宮城県苅田郡蔵王町・仕切弁






カラー仕切弁(ドット)。








宮城県苅田郡蔵王町・仕切弁1


宮町で撮影。





中心円が凹型のカラー仕切弁(ドット)。








宮城県苅田郡蔵王町・排水弁1







中心円を大きく,ドット数も少ないカラー排水弁。








宮城県苅田郡蔵王町・排水弁


宮一本松で撮影。





カラー排水弁(ドット)。







宮城県苅田郡蔵王町・消火栓








外周(ドット)をカラーにした角形消火栓(アーガイル)。





















宮城県白石市のマンホール

宮城県白石市・カラー汚水(白石城)


東北本線白石駅前で撮影。





カラー汚水用には「白石城」、
左右に市の花「ヤマブキ」、「清流」、下部に「おすい・しろいしし」文字がデザインされています。








宮城県白石市・汚水(白石城・大文字)


上久保で撮影。






汚水用。









宮城県白石市・汚水(ヤマブキ)枠付き



斎川新町尻で撮影。






「市章」、満開の市の花「ヤマブキ」、枠付き汚水用。








宮城県白石市・汚水(ヤマブキ)



本町で撮影。






「市章」、市の花「ヤマブキ」、上下に「しろいし・おすい」文字の汚水用。







宮城県白石市・農集排親子


越河で撮影。







「白石城」、石垣に「市章」入りの農集排の親子蓋(テトラポット)。






宮城県白石市・農集排









同デザイン農集排。









宮城県白石市・農集排汚水桝








同デザイン農集排の汚水枡。






宮城県白石市・汚水枡プラ



五賀荒屋敷で撮影。





「市章」、汚水枡(プラ)。






宮城県白石市・汚水枡JIS


亘理町で撮影。





汚水枡(台形の放射状模様)。







福島県白石市・汚水枡JIS








上部に「市章」の汚水枡(アーガイル)。







宮城県白石市・汚水親子JIS



本町で撮影。





角型斜め分割蓋、中心に「市章」を入れた手毬模様の汚水用親子蓋(ドット)。









宮城県白石市・仕切弁


上久保で撮影。





「市章」、カラー仕切弁。






宮城県白石市・仕切弁vp75








「市章」、「VP75」のカラー仕切弁。







宮城県白石市・仕切弁VP100







「市章」、「VP100」のカラー仕切弁。







宮城県白石市・仕切弁枠付き








「市章」、5分割(コンクリート)枠の仕切弁。







宮城県白石市・カラー排水弁







「市章」、「VP75」のカラー排水弁(2色)。








宮城県白石市・カラー空気弁JIS



南町で撮影。




「市章」、角型カラー空気弁(ドット・アーガイル)。







宮城県白石市・空気弁JIS


斎川町屋敷で撮影。




外枠(コンクリート)内に「市章」入りの角空気弁(アーガイル)。






宮城県白石市・角消化栓(分割)


越河寺で撮影。






「市章」、斜め分割角型消火栓(ブロック)。






宮城県白石市・角JISカラー消火栓


福岡長袋で撮影。





「市章」、角カラー消火栓(ドット)。







宮城県白石市・角消化栓(文字)


城北町で撮影。





「白石」、「水道」文字の角型消火栓(アーガイル)。






宮城県白石市・丸カラー消火栓JIS



本町で撮影。







「市章」、カラー丸消火栓(七宝・ドット)。











福島県二本松市・二本松提灯祭り

日本三大提灯祭りの一つ・二本松神社例大祭「二本松提灯祭り」(10/4~6)に行ってきました。
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提灯祭りは、本町・亀ヶ谷の若連が神輿渡御したことに始り、時を経て提灯を下げた太鼓台の引き回しとなり、竿灯祭り、尾張津島天皇祭と共に日本三大提灯祭りの一つに数えられています。
太鼓台の提灯への採火は17:30頃、2時間近くある為、市内をブラブラしたりして旧日本松藩鎮守「二本松神社」へ。

7町内(郭内・根崎・竹田・亀ヶ谷・本町・松岡 若宮)の提灯を下げた鳥居、参道口から境内迄の石段左右に御神紋「違棒 三ツ巴」の提灯が灯されています。
福島県二本松市・二本松神社例祭の社頭
















今回は、祭礼で拝殿に掲げられている貴重な奉納絵馬を拝見することが出来ました。
嘉永4年(1851)9代藩主丹羽長富公が奉納「源頼政鵺退治の図」(有形民俗文化財)、右に歴代藩主の守護神扁額「八幡宮」、見えませんが右に領民の守護神扁額「熊野宮」、神輿2基が安置されています。
福島県二本松市・二本松神社拝殿内(提灯祭)
















祭り初日(4日)、昼間に各町内を回った7地区の太鼓台は、夕方に本町通り(県355・旧奥州街道)・亀谷交差点(出発点)に集まります。
亀ヶ谷交差点に向かう若宮地区太鼓台。
二本松市・提灯祭(若宮)
















若衆が着る鯉口シャツ(縮緬地)には尾長鳥と桐。
二本松市・提灯祭の若衆法被
















松(枩)岡地区の先頭は、「日本松少年隊」の袴姿で若き獅子達が盛り上げます。
二本松市・提灯祭の二本松少年隊
















町紋(本町・亀谷・竹田・枩岡・根崎・若宮・郭内)幕が掲げられた出発点(亀谷交差点)北側、太鼓台はこの向かいに並びますが、すでに多くの人たちで埋め尽くされています。
二本松市・提灯祭の亀ヶ谷枡形
















出発点に集まった太鼓台、其々の屋根係は片手を横に滑らしながら“ワッショイ”の掛け声で祭りムードをさらに盛り上げます。
二本松市・提灯祭の亀ヶ谷交差点
















通りに拍手とざわめきが・・・二本松神社の御神火が到着、各太鼓台に渡されます。
福島市二本松市・提灯祭の御神火















300個の提灯一つ〃のローソクに点火していきますが、全灯まで思っていた以上の早さでした。
日本松市・提灯祭の火入れ
















信号機も消された暗闇に浮かび上がる灯り、やはり電気とは一味違う和らかさが趣あります。
この後、切通しを上る引き回しを見たかったのですが、帰宅時間を考え又の機会に。
二本松市・提灯祭7町内の提灯屋台
















駅への途次、二本松神社の社頭。
二本松市・二本松神社社頭の祭礼提灯




















福島県伊達郡国見町・鹿島神社

鹿嶋神社(藤田町尻二38-1)は、東北本線藤田駅の500m東の奥州街道沿いに鎮座。

社伝によりますと、奈良期(710~84)頃、按察使兼鎮守府将軍・大野朝臣東人が蝦夷平定の途次、守護神として常陸国(茨城県)鹿嶋大明神を勧請し、300m程北の藤田字古鹿島の地に創建したのが起源。
文治5年(1189)、源頼朝は阿津賀志山(厚樫山)合戦の折、当社に戦勝祈願をしたと伝えられています。

享保期(1716~35)現在地に遷座しましたが、後、永禄年間(1558~70)に社殿が焼失しました。 慶長年間(1596~615)再建され、享保期(1716~35)現在地に遷座して医薬神社と共に奉られました。

又、相殿に祀られている「医薬神社」は、天長期(824~34)頃、空海上人が当地巡廻の折、村人達の眼病被害を救う為、薬師如来を刻んだ霊石を当地に祀った所、祈願すると夜明けと共に平癒したことから“明けの薬師”と呼ばれたと伝わっています。
後、兵火による焼失の為、次第に荒廃し、薬師像だけが風雨に曝され“裸薬師”とも称されました。
祭神「武甕槌命」、配祀「大名持命 少彦名命」を安置。

社頭は旧藤田宿枡形(出口)にあり、石段を上ると社号標「鹿島神社」、前に自然石を刳り抜いた「手水鉢」が置かれています。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社社頭
















吽形は玉取り、阿形は牡丹に足を乗せた昭和10年(1935)建立「狛犬」。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社吽狛犬伊達郡国見町藤田北・鹿島神社阿狛犬
社殿は明治14年(1881)改築され、「拝殿」は五間の入母屋造り。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社医薬神社拝殿
















拝殿には、左に扁額「毉薬神社」、右に扁額「鹿嶋神社」が掲げられています。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社医薬神社扁額伊達郡国見町藤田北・鹿島神社扁額
拝殿内の鹿島神社の祭壇。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社拝殿内

















芸者風の美人画を描いた明治期の「奉納絵馬額」
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社拝殿内の奉納絵馬















医薬神社扁額、背中に紙垂を立てた白馬の「奉納絵馬額」
伊達郡国見町藤田北・鹿島医薬神社拝殿内


















切妻造り・妻入りの幣殿、本殿は神明造り。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社本殿
















境内左(北)に竹駒稲荷神社。
前に震災で倒壊した燈籠台石だけが残されています。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社境内社竹駒稲荷神社















当社祭礼の起源は古く、弘治4年(1558)「梁川八幡宮祭礼規式」によると、長鉾や旗鉾行列が既に行われていたそうです。
例祭(10月)では、各地区の山車が神輿を挟み、山車同士をぶつけ合いながら宮入を送る“もみ合い”が行われ、国見町無形民俗文化財に指定されています。
向かい(東)に神輿殿、牡丹、龍(昇・降)、唐獅子、鳳凰等が彫られた鮮やかな[神輿]を安置。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社の神輿
















拝殿右に勝利祈願・出世開運の神・境内社「八幡神社」、右下が奥州街道です。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社境内社八幡神社
















北側(本殿裏)に石祠、庚申等石塔群が祀られています。
伊達郡国見町藤田北・鹿島神社本殿裏の石塔





















ギンガムチェックチュニック&ワイドパンツ

この時期にピッタリ、どんなボトムスにも合うギンガムチェックのチュニック、少しワイドのパンツを作ってみました。
チュニック&パンツ



























チュニック:白×黒のコットン・ポリ。
前立て・カフス・前見頃の肩部分をバイヤス地使用。
ショールカラー、ゆったりした袖付け、着丈70㎝。

パンツ:ライトグリーン(中厚コットン)
左右脇ポケット付、前開き、ウエストゴム入り。
ギンガムチェックチュニックパンツ(グリーン)




福島県伊達郡桑折町諏訪・桑折諏訪神社

桑折諏訪神社(諏訪字諏訪10)は東北本線桑折駅の500m南、奥州街道沿い(県124)に鎮座しています。
伊達氏は、文治5年(1189)頼朝の奥州征伐・石名坂の戦功の戦功で伊達郡を拝領、桑折西山城(万正寺本丸)の守護神として、諏訪大社を勧請して城内に創建したのが起源とされ、慶長初期、伊達家が仙台に移る際、現在地に遷座されました。
明治中期、社殿が焼失しましたが、大正後期に再建されています。
祭神「建御名方命」を安置。

参道口にはこのような門が立っています、右には萱葺をトタン屋根にした民家が宿場の趣を添えています。
伊達市桑折町諏訪・諏訪神社参道口

















すぐに社号標「諏訪神社」、右手の広い駐車場奥に御柱庫があります。
伊達市桑折町・諏訪神社参道の社号標
















木製扁額「諏訪神社」を掲げた瓦屋根の木製両部鳥居。
伊達郡桑折町諏訪・桑折諏訪神社鳥居
















鳥居の右柱側に天保10年(1839)造立「手水鉢」。
伊達市桑折町諏訪・諏訪神社鳥居横の手水鉢















参道は手水舎前で直角に東に折れます。
伊達郡桑折町諏訪・諏訪神社参道
















手水鉢の竜口。
伊達市桑折町諏訪・諏訪神社手水鉢の龍口
















狛犬は大正12年(1923)建立。
伊達郡桑折町諏訪・諏訪神社吽狛犬伊達郡桑折町諏訪・諏訪神社阿狛犬
社殿は大正13年(1924)再建、拝殿は入母屋造り。
前には大社同様に7年毎の御柱祭(寅・申)で立てられた2本の御柱があります。
伊達郡桑折町新町・桑折諏訪神社
















流造りの本殿。
伊達郡桑折町諏訪・諏訪神社本殿
















本殿右(北)に境内社諏訪稲荷神社。
伊達郡桑折町諏訪・諏訪神社境内社稲荷神社
















右手に境内社3社小牛田山神社(木花咲耶姫神)、神輿庫、淡島神社、金比羅大権現。
伊達郡桑折町諏訪・諏訪神社境内社
















御神木が社殿に寄り添う様に。
伊達郡桑折町諏訪・諏訪神社社殿と御神木


















奥州街道⑨伊達駅~越河駅

街道歩きの前に、伊達駅からタクシーで阿武隈川東岸の伏黒河岸寄蔵へ行きましたが見つからず、付近の方も知らないとのこと。散財とタイムロス(30分)で終わったドライブでガックリ。
前回の天王通りから歩きます。
[行程]
伊達駅(7:25)…起点:天王通り交差点(7:50)~旧家~桑折町標識~桑折一里塚跡碑~桑折高架橋工事(相馬福島道路)~産ケ沢川~寛延三義民顕彰碑~西根下堰~伊達朝宗墓所~桑折宿・枡形・宝積寺・桑折諏訪神社・桑折寺山門~枡形・辨才天碑他・桑折諏訪神社・西町の町並み・旧伊達郡役所・桑折陣屋絵図・徳川領桑折陣屋跡・伝来寺・桑折町道路元標・桑折宿本陣跡碑・本町町並み・店蔵・大安寺・法円寺・桑折ふれあい館・無能寺・万正寺の大カヤ・観音寺・看板建築・桑折駅・羽州街道追分~谷地一里塚跡碑~半田山の景~石塔群~田園風景~旧家~堰下古墳~藤田宿・枡形・町並み・奥山家・観月台タワー・聖徳太子神社・藤田駅・出口の枡形・鹿島神社~弁慶の硯石~旧道分岐~国見神社~義経の腰掛松~厚樫山~阿津賀志山(厚樫山)防塁跡~旧奥州道中国見峠長坂跡~小牛田神社~庚申塔~消滅旧道~貝田宿・消滅旧道の合流点・石塔群・旧道の名残・枡形・三ツ石・貝田秋葉神社・旧鉄道レンガ橋・名主問屋跡・検断屋敷跡・石蔵・口番所跡・最禅寺・宿出口の枡形~東北本線沿いの道~貝田駅~水雲神社~白石市標識~県界碑~下紐の石~越河番所跡碑~深山神社参道口・史跡歌枕伝説ルート図~越河宿・枡形・明治天皇御駐蹕碑・町並み・定光寺・観音堂・諏訪神社参道口・諏訪神社・芭蕉句碑・町並み・越河宿碑・白鳥神社・完工の碑・越河駅(16:48)


「伊達市」(中畑~瀬戸場)
天王通りの交差点(R399)を横断すると、右に袖塀・左右に潜り戸の薬医門を構え、黒瓦と白漆喰が見事に調和した旧家
伊達郡桑折町の旧家















数分先にも赤レンガ塀の重厚な旧家。
伊達郡桑折町広前・旧家















「伊達郡桑折町」(赤坂~一里担)
黄金色の田圃を見ながら約1.1K北上、伊達市境の新堀川に架かる瀬戸田橋を渡ると「桑折町標識」、信号交差点の先で伊達氏発祥の地・伊達郡桑折町に入ります。
伊達郡桑折町標識















すぐ左(佐藤金網前)に「桑折一里塚跡碑」(標柱)。
伊達郡桑折町赤坂・桑折一里塚跡碑
















すぐ先で、常盤自動車道・東北自動車道を結ぶ桑折高架橋工事(1,218m)が行なわれ、相馬福島道路が竣工すると、相馬まで45K・30分だそうです。
伊達郡桑折町・桑折高架橋工事(相馬福島道路)
















(田植)
北西の半田山に源を発する産ケ沢川は、ゲンジボタル生息地として知られ、約2.5K北の南半田(産ケ沢川流域)地域では6~7月上旬に蛍の乱舞が見られるそうです。
伊達郡桑折町田植・産ケ沢川















寛延2年(1749)の大凶作で増税を課せられ、農民一揆の首謀者として長倉村・斉藤彦内、鎌田村・猪狩源七、伊達崎村・蓬田半左エ門3名がここ産ケ沢刑場で処刑されました。
産ケ沢川橋の渡り詰め左に、3名の名を刻む昭和54年(1979)建立「寛延三義民顕彰碑」。
伊達郡桑折町田植・寛延三義民顕彰碑
















信号交差点の先で左の田植橋を渡ると「西根下堰」(土木学会選奨土木遺産)。
阿武隈川西岸は西根郷と呼ばれ、江戸初期、上杉景勝の臣佐藤新右衛門家忠・古川善兵衛重吉命2名が私財を投じ、摺上川を水源として箱トイを使用した下堰用水路(元和4年1618)13.3K、上堰用水路(元和10年1624)29Kを開削、これにより農地1300haが開田されました。
伊達郡桑折町万正寺字下堰端・西根下堰
















(万正寺下万正寺)
常陸国伊佐荘を領していた藤原朝宗は、常陸入道念西と称し文治5年(1189)源頼朝の奥州征伐で息子4人と共に出陣し、石名坂の戦功により伊達郡を拝領、これを機に当地に来住して伊達氏と称しました。
先の「←町史跡つつじケ丘遺跡 大五輪遺跡300m」標識で左折、北側の民家奥に伊達氏始祖「伊達朝宗墓所」。
ここは、4代政依が曾祖父(初代念西)の菩提で建立した伊達五山(臨済宗)「満勝寺 東昌寺 光明寺 光福寺 観音寺(後述)」の一つ・「満勝寺跡」で、伊達藩は、参勤の折は必ず墓参したと伝わります。
伊達郡桑折町・伊達朝宗墓所
















玉垣内に文政4年(1822)11代藩主・伊達斎義公が建立した五輪塔(左写真)、後方(北)の竹垣内に自然石の伊達朝宗墓
伊達郡桑折町万正寺下万正寺・伊達朝宗墓(五輪塔)伊達朝宗墓(自然石)
(新町)
桑折宿は、弘前藩等の東北諸藩が参勤で利用した東北地方の根幹となる羽州街道の追分があり、多くの物資が運ばれ商業が発達、付随して多文化の流入等交通の要衝でした。
又、日本三大銀山の一つ・半田山(863m)の開発や、蚕糸産業などで栄えたと云います。本陣1軒、宿並みには往時を窺がえる蔵が残されています。

街道は先で緩やかに北東へ向きを変え、三叉路で北に折れる桑折宿入口の枡形
伊達郡桑折町・桑折宿入口の枡形
















右に天台宗宝積寺
参道口右に馬頭観世音といぼ神様、本堂前に地蔵堂、馬頭尊、眼病守護の菅谷不動尊像があります。
伊達郡桑折町新町・火伏不動尊宝積寺
















正面の桑折寺前で右(県124号)に折れる「枡形」。(枡形の東から撮っています)。
伊達郡桑折町・桑折宿出口の枡形
















枡形正面に、永仁5年(1297)時宗真教上人により創建された「桑折寺」、後、宝永2年(1705)光林寺と改め、後に香林寺に、明治中期に現社名(旧寺号)に復している。
東側に伊達十二番札所の観音堂、馬頭観世音等の石塔群があります。
伊達郡桑折町・枡形正面の桑折寺
















山門」は、天文17年(1548)15代伊達晴宗が高館西山城から米沢城へ移る際、城内から移築された城門の一つで、室町期造営の切妻唐破風の唐門(四脚門)(県有形文化財)。
伊達郡桑折町・桑折寺山門
















山門扁額「伊達院」。
伊達郡桑折町・桑折寺山門扁額












すぐ先に手押しポンプを取り付けた古井戸辨才天 梵字を刻む湯殿山が祀られています。
伊達郡桑折町・湯殿山・弁財天碑
















(諏訪~西町)
右に桑折諏訪神社」(祭神建御名方命 八坂刀売命 八重事台主命)。
宝積寺の東側に鎮座し、参道(90m)が直角に右に折れる手前に木製両部鳥居
伊達郡桑折町諏訪・桑折諏訪神社鳥居
















当社は、伊達氏が西山城の守護神として城内に創建、慶長初期に伊達家が仙台に移った為、現在地に遷座されました。
大正13年(1924)造営「拝殿」前に、7年毎の御柱祭(寅・申)の御柱2本が建てられています。
※詳しくはこちらを
伊達郡桑折町新町・桑折諏訪神社
















(西町)
西町の町並み
伊達郡桑折町西町・桑折宿町並み
















(陣屋)
街道は先の信号交差点を左折しますが、右折した正面に「旧伊達郡役所」(国文化財)。
明治16年(1883)県令三島通庸により施工された円窓等のバルコニー・塔屋を頂く擬洋風建築で、大正15年(1926)7/1の郡役所制度廃止までの43年間使用されました。敷地西側に俳聖芭蕉像があります。
伊達郡桑折町・旧伊達郡役所
















旧伊達郡役所を含む一帯は、延享4年(1747)築かれた「徳川領桑折陣屋跡」です。
桑折周辺の信達地方は米沢藩上杉氏領でしたが、寛文4年(1664)3代上杉綱勝の急死により、米沢藩領は信夫郡と置賜郡一部が幕領となり、福島城内に幕府代官所が置かれました。
後、福島藩本多氏が領しましたが、天和2年(1682)再び幕領に、堀田氏の福島藩入部に伴い幕領を治める為、貞享3年(1686)柘植伝兵衛を初代代官として桑折陣屋(幕府代官所)が設置されました。
元禄13年(1700)松平忠恒が桑折藩を開き、代官を派遣して当地を治めていましたが、半田山で発見された有望な鉱脈を幕領とする為、延享4年(1747)上野篠塚に転封させ、佐渡奉行の支配下としました。
以後、明治元年(1868)新政府に引き渡されるまで代官が派遣されていました。

「佐渡風土記」付図「半田銀山陣屋ノ図」は、鉱脈が発見された頃に描かれたとされ、郡役所左(北)に町屋を配し、西側に百姓屋、後方(現・陣屋の杜公園)の陣屋内に鉱山関連の施設があったことが窺えます。
伊達郡桑折町・桑折陣屋絵図

















旧伊達郡役所の後方(南東)、陣屋の杜公園入口(北西)に「徳川領桑折陣屋跡碑」。
伊達郡桑折町陣屋・徳川領桑折陣屋跡
















(道場)
西側に伊達家所縁の梵鐘がある真宗「伝来寺」。
伊達郡桑折町道場前・伝来寺
















梵鐘は、文正元年(1466)11代伊達持宗が4代政依の菩提で鋳造し、菩提寺である東昌寺(仙台市青葉区)に寄進。
後、城内に移されましたが破鐘となり、寛文元年(1661)城主片倉景長が再鋳造し、銘文には「奥州伊達郡無為山東昌禅寺鐘」と刻されています。
伊達郡桑折町道場前・伝来寺梵鐘















(本町~北町~上町)
桑折町は、昭和30年(1955)伊達郡睦合村 〃伊達崎村 〃半田村と合併しました。
信号交差点(県124)を横断した右に「桑折町道路元標」。
伊達郡桑折町本町・桑折町道路元標
















2軒先の右空き地入口に「桑折宿本陣跡碑(佐藤家)」(標柱)。
伊達郡桑折町本町・桑折宿本陣跡碑

















宿の中心「本町の町並み」。
伊達郡桑折町本町・桑折宿本町の町並み

















右に室町中期(1492~500)創建の浄土宗古刹「大安寺」(本尊阿弥陀如来座像)、山門は3代松平忠恒寄進の梵鐘(文政元年1818再々鋳造)(町有形文化財)を吊る桑折町では珍しい竜宮門です。
10世良寛上人と信仰深かった名僧無能上人は、当寺で得度を受けています。
伊達郡桑折町沢・大安寺竜宮門















境内には名代官(江戸後期)で知られた「竹内平右衛門信将墓」、佐藤家4代で奥州俳壇で活躍した桑折宿本陣・佐藤佐五左衛門(号馬耳)、西堰根の開削者・佐藤家初代佐藤新右衛門等が眠ります。
伊達郡桑折町沢・大安寺内の代官竹内平右衛門信将墓















明治期築の店蔵、以前は観光案内などが行われていたようです。
伊達郡桑折町本町の店蔵
















北町に入ると、左奥に江戸初期(慶安3年1650)創建の浄土宗「法圓寺」(本尊大日如来)。
伊達郡桑折町本町の法円寺
















本堂前に、東北地方最古の石碑「田植塚」(町史跡)があります。
享保4年(1719)、桑折の俳人・桑折宿本陣佐藤馬耳(佐五左衛門宗明→襲名して4代新右衛門となる)は、当地方の俳壇盛隆を願い、元禄2年(1689)芭蕉が奥の細道紀行の途次、須賀川宿本陣・問屋相楽等窮宅で詠んだ「風流のはじめや奥の田植唄」の真蹟を埋め、「芭蕉翁」と刻む碑を建立。

前に芭蕉句碑「風流の 初や おくの田植宇多(唄)」、塚右に馬耳句碑「釜ふいて 閉〃無事や 年能(の)暮」、田村不碩「咲つめて 是も悔あり 花葵」、田植塚碑等があります。
伊達郡桑折町本町・法円寺の田植塚
















「田植塚記碑」の「朝日山法圓寺圖」には、山門、田植え塚、境内左に蓮池や宮嶋天神、右手に位牌堂や護摩堂等の伽藍が描かれ、
ミち能く伊達桑折能里 朝日山法圓寺能 田植塚盤 者せ越一と勢 奥羽農抖薮耳 風流乃者しめや奥能田うへ謌と事捨給ひし 真跡を土中尓埋ん天 霊嵬を祀良ん个り 於呼馬耳子ハ 丸額乃武可しよ里 風雅を好ミ 也加て寸合能味をし類尓堕天 故翁の正風を志多ひ 今能流行尓 おくれ春 ・・・・」と刻まれている。
伊達郡桑折町・法円寺の芭蕉田植塚記














斜向かいに千本格子の建物「北町ふれあい館」、入口左に「桑折町ふれあい番所」看板を掲げ社協関係に使用されているようです。
伊達郡桑折町北町・北町ふれあい館
















上町に入ると、左に「明治天皇桑折御小休所碑」が立つ浄土宗「無能寺」(本尊阿弥陀如来立像)。
慶長元年(1596)良然上人により創建され正徳寺と称しましたが、福島県を中心に大きな影響力を与えた無能上人を輩出したことから、弟子不能が師の徳を崇め寺号を改め再興、後、修行僧達の宗学の律院となり多くの名僧を輩出、浄土宗奥州地方教科の中心寺院として栄えました。
冠木門を潜ると、参道は正面の山門手前で枡形になっています。
伊達郡桑折町上町・無能寺
















境内に、明治14年(1881)明治天皇東北巡行の折、「おほきみのみかげの松の深みどり 夏も涼しき色にみえつつ」と詠まれ、命名された「御蔭逎松」。
樹齢450年・樹高6m・樹冠が東西南北に広がる笠形で、町天然記念物・県緑の文化財に指定されています。
伊達郡桑折町上町・無能寺の笠松
















墓碑に南無阿弥陀仏を刻む「無能上人墓」、傍らに名号塔。 又、塙代官時代、子間引き等の防止・公金貸付で農村復興に尽力した桑折陣屋の代官「藤方彦市郎墓」があります。
伊達郡桑折町上町・無能寺の無能上人墓
















(万正寺大榧大榧~〃坂町)
街道から外れ、700m北西の東北自動車手前に「万正寺の大カヤ」(県天然記念物)。
根元の1m上から5mまでに、枝が四方に10m垂れ下がり県内随一の樹木とされています。
伊達郡桑折町万正寺大榧大榧・万正寺の大榧
















目通り幹囲7.2m。
伊達郡桑折町万正寺の大榧の幹
















東北道高架を潜ると「桑折西山城」が築かれた丘陵南麓に、弘安年間(1278~88)4代伊達政依が父義弘の菩提で建立した伊達五山の一つ「観音寺」(本尊聖観世音)、五山で唯一現在地に留まった為、伊達氏ゆかりの品々が数多く残されています。
江戸初期の宗門改で浄土宗に改宗され、信達観音霊場十九番札所(聖観世音)、奥州〃十二番札所(聖観世音)となっています。
御詠歌「はるばると歩みむかへて観音寺 大悲大悲の風をしるべに

境内西側に観音寺を別当とする元禄2年(1689)建立「観音堂」(町有形文化財)。
平安初期(大同年間806~9)、坂上田村麻呂が蝦夷東征の戦死者の霊を弔う為、聖観世音菩薩を安置したのが起源。
奥の細道三十三霊場第二十六番札所(阿弥陀如来立像)となっています。
伊達郡桑折町万正寺坂町の観音寺の観音堂
















宝形造り・一間向拝には、頭貫から飛び出して珠を持つ正面向きの「龍」、木鼻「唐獅子」、虹梁上に大きく長い「蓮」等の見事な彫刻が施されています。
伊達郡桑折町万正寺坂町・観音寺観音堂の向拝
















観音堂と同時期建立とされる「山門」。
伊達郡桑折町万正寺坂町・観音寺山門
















大棟左右に鬼門除けの「」。
伊達郡桑折町万正寺坂町・観音寺山門の鬼















街道に戻り、桑折駅近くに看板建築
伊達郡桑折町北町・看板建築

















(南半田六角)
桑折駅 明治20年(1887)12/15開業 業務委託駅。
東北本線桑折駅桑折駅S











駅前から羽州街道追分(県353)へ。
桑折駅前から羽州街道追分への路地入口
















奥州街道と羽州街道(左)の追分
往時、羽州街道は追分を北西に進み、国見町 白石市 七ケ宿町を経て出羽国(山形・秋田)に続く脇往還で、上山藩・山形藩・天童藩等13藩が参勤に利用していました。
伊達郡桑折町谷地字追分・奥州街道と羽州街道との追分
















追分手前左に、正面「桑折宿追分」、左面「左 羽州街道至山形」、右面「右 奥州街道至仙台」と刻む昭和59年(1984)建立「道標」。
伊達郡桑折町谷地・羽州街道追分左の道標
















追分公園には四阿、「右 奥州仙臺道」、「左 羽州最上道」と刻む宝永5年(1708)建立「追分道標」、庚申塔、又、ト而翁の徳を慕い社中が安永8年(1779)建立した「夕暮に 恋の通ふ 柳かな」と刻まれた「柳の句碑」(左)が、俳諧が盛んだった往時を偲ばせています。
伊達郡桑折町・羽州追分の石碑や四阿
















羽州街道沿いに小坂峠、赤瀬の大カヤ、半田山、西山城址等への道筋
伊達郡桑折町南半田六角・羽州街道追分の案内図
















(谷地石塚~〃梨ノ木町)~南半田大保)
追分を右(県353)に取り、宿を出ると先の三叉路(斎藤歯科医院P)右に「奥州街道谷地一里塚跡碑」(標柱)。
伊達郡桑折町谷地石塚・谷地一里塚跡碑
















左(西)には天領時代、通貨鋳造銀山として佐渡相川銀山・但馬生野銀山と並ぶ日本三大鉱山の一つ・標高863m「半田山」、名称“はんだ付け”の由来となった山です。
この山は江戸期~明治期にかけての地滑りで地肌が剥き出しでしたが、明治末期からの治水事業により、緑豊かな山に生まれ変わったそうです。
伊達郡桑折町・街道から左に半田山
















閑静な道を約1K程進み、集落外れの久保八幡集会所前に庚申塔、廿六夜塔等石塔群
伊達郡桑折町谷地梨ノ木町・石塔群

















田園風景
伊達郡桑折町梨木町の田園風景
















(南半田大保~北半田水口)
佐久間川に架かる第二高津橋(石橋)。
佐久間川は半田山に源を発し、桑折町を東西に横切り国見町の東で阿武隈川に合流している。
伊達郡桑折町南半田大保・佐久間川
















次いで普茂川を渡ると元は茅葺屋根だったのでしょうか、左に大棟に気抜きが造られた養蚕旧家
江戸期より桑折は養蚕業が盛んだった事から、阿武隈川沿いに桑畑が広がっていましたが、衰退後は果樹園に変わったそうです。
伊達郡桑折町北半田水口・旧家
















「伊達郡国見町」(泉田堰下)
すぐ先で国見町に入り、信号交差点手前の北側に古墳中期(5世紀前半)築造「堰下古墳」(国見町史跡)。
径22m・高さ3mの円墳で、県北地方最古です。
伊達郡国見町泉田・堰下古墳















(藤田太子堂~〃南~〃北~〃町尻二)
先で信号交差点(県46号・七ケ宿街道)を横断、すぐ先の三叉路を右へ。
ここが藤田宿入口の枡形です。
伊達郡国見町藤田太子堂・藤田宿入口枡形















藤田宿は本陣3軒(金沢屋・油屋・問屋)、代官所の取締まりが緩かった為、半田鉱山の抗夫や近辺の人々で賑いました。寛永10年(1633)西根上堰の開削で水田開発が進み、奥州・羽州街道の宿駅として栄え、徳江川岸からは江戸への御城米が積み出されていました。
藤田宿の町並み
伊達郡国見町・藤田宿町並み
















宿中程の左奥に「奥山家住宅」(国有形文化財)。
奥山家は天保年間(1830~43)呉服店を、明治~昭和期に金融業・不動産業を営み財を成した伊達地方有数の豪商。
大正10年(1921)3代忠左衛門が当家迎賓館として八角の塔屋を頂く洋館と東側に純和風の主屋が建てられました。
伊達郡国見町・奥山家住宅














街道からは外れますが、この路地を更に上ると観月台公園のシンボルタワー・観月台文化センター
園内西に江戸中期築「旧佐藤家住宅」が移築され、春には桜の名所として町民に親しまれています。、
伊達郡国見町藤田南・観月台文化センターのシンボルタワー
















西側に「聖徳太子神社(左)・富士神社」。
伊達郡国見町・聖徳太子神社と富士神社
















藤田駅  明治33年(1900)9/5開業 業務委託駅。
伊達郡国見町藤田南・藤田駅藤田駅S










街道に戻り、先の信号交差点を過ぎた先辺りから緩やかに右カーブ、ここが藤田宿出口の枡形です。
伊達郡国見町藤田南・鹿島神社前の藤田宿出口の枡形

















枡形左の「鹿島神社」は、奈良期(710~84)頃、鎮守府将軍大野朝臣東人が蝦夷平定の折、常陸国・鹿島明神を勧請したのが起源とされる古社、享保期(1716~35)古鹿島から現在地に遷座。
社殿は明治14年改築、拝殿右に「鹿島神社」、左に「医薬神社」の両扁額が掲げられています。
天長期(824~34)頃、空海が眼病被害を救済する為、薬師如来を刻む霊石に祈願し、その夜明けに平癒したことから“明けの薬師”と呼ばれ、明治期に医薬神社に改められ相殿に祀られました。    ※詳しくはこちらを
伊達郡国見町・鹿島神社拝殿
















(石母田硯石~守山西上野)
街道は緩やかな下りに、R4号合流手前で左折、先の三叉路の標識「⇐弁慶の硯石」に従い果樹林を道なりに進みます。
伊達郡国見町石母田硯石・弁慶の硯石案内板
















丘陵の頂に奇岩「弁慶の硯石」。
水谷亭舟漫「信達二郡村誌」に、「硯の海を穿って常に水を湛えたり・・涸るることなしと、相伝いて弁慶が硯という・・・」と載せられ、義経に仕えた法師(弁慶)が、義経軍兵の名を記す硯として使用し、中央の窪みの水が涸れる事無くと言い伝えられている。
伊達郡国見町石母田硯石・弁慶の硯石
















町立県北中学校の先で右前方の旧道へ。
伊達郡国見町森山西上野の旧道口















(石母田国見山下~石母田笠松~〃国見山下~字国見山中地内)
先で十字路を左折、R4号高架を潜ると右の丘陵上に「国見神社」(祭神大国主命)。
由緒等は不明ですが、明治維新(元年)に郷社へ、同8年に石母田村の村社に列した伊達郡西根郷の総鎮守、五穀豊穣・子孫繁栄等に御霊験あらたかと信仰されています。
伊達郡国見町森山西上野・国見神社社頭














100m左(北西)の履屋に、義経が平泉へ下向の折に腰掛けたと伝わる義経の腰掛松の初代の株が保存され、傍らに義経社(石祠)が祀られています。
伊達郡国見町石母田笠・義経の腰掛松
















初代(説明板図)は、樹高4m・枝張35mの笠松状の樹形をしており、唐崎の松(近江国)、曽根崎天神の松(摂津国)と共に天下の三名松として名声を博しましたが、文政4年(1821)焼失しました。
伊達郡国見町石母田笠・義経の腰掛松(初代・説明板)













隣に文政6年(1823)上名倉から植樹された2代目(~平成26年(2014)枯死)を接木した「3代目腰掛の松」が歴史を今に伝えています。
伊達郡国見町石母田笠松・義経の腰掛松(3代目)と説明板
















後方(北)に古戦場としても知られる「厚樫山」(289m)、別名「国見山」と呼ばれ、町名の由来となっています。
伊達郡・厚樫山の景
















北東に「阿津賀志山防塁跡」(国史跡)。
文治5年(1189)頼朝軍との奥州合戦で、藤原秀衡は阿武隈川から南北約3.2Kに渡る防衛陣地「阿津賀志山防塁」を築きました。 防塁は始点の厚樫山中腹より東北自動車道、東北本線を挟んだ南350m地点に位置し、三重の土塁と二丈空堀(堀幅24m)でなる箱薬研堀状をなしていました。
伊達郡国見町石母田国見山下・阿津賀志山の防塁跡














(大木戸阿津賀志山)
南側、R4号沿いに「阿津賀志山防塁」看板と説明板
伊達郡国見町大木戸阿津加志山・R4号沿いの防塁看板
















(大木戸長坂~〃海道上~高城古屋敷)
防塁跡前から左(東)へ、桃畑が続く長坂を進むと難所「旧奥州道中国見峠長坂跡」(町史跡)。
伊達郡国見町大木戸長坂地内・国見峠長坂跡
















国見峠は、厚樫山の東腹部に位置し、古代は京都・奈良、中世以降は鎌倉・江戸等、東山道、奥の大道、奥州道中、陸前街道と呼ばれ、奥州地方の幹線道として使われ、仙台藩 盛岡藩等の参勤で使用されていました。
又、「奥の細道」紀行で、芭蕉はこの峠越えの折、「路縦横に踏んで伊達の大木戸を越す」と記しています。(説明板一部抜粋)
この時は雑草で覆われていて気が付きませんでしたが、説明板手前に旧道があったようです。又の機会に訪れることにしました。
旧奥州道中長坂跡説明板
















国見峠長坂跡の先でR4号を横断、三叉路を左折すると緩い上りの左段上に「小牛田神社」、境内に庚申塔 二十三夜搭等石塔群が祀られています。
伊達郡国見町・小牛田神社
















閑静な道に。
伊達郡国見町大木戸海道上・旧道(町道)

















すぐ先からは、両側にリンゴや柿の果樹園
伊達郡国見町大木戸海道上・果樹園
















R4号に合流手前の植込み内に享保期建立「庚申塔」が祀られています。
伊達郡国見町高城・R4号手前の馬頭観世音















手前でR4号高架を潜りますが、往時の街道は交差点から前方の畑を抜け、宿入口の枡形へと伸びていましたが消滅(↑)しています。
伊達郡国見町・貝田宿への消滅旧道
















(貝田熊坂~〃寺脇)
交差点から伸びた旧道は、宿入口の枡形跡の手前で合流します。
伊達郡国見町・貝田宿入口旧道からの合流点
















この合流点左に大きな自然石の「庚申塔」、数メートル先の右に庚申(嘉永4年) 湯殿山 庚申塔等の石塔群が祀られています。
伊達郡国見町・貝田宿入口手前の旧道の石塔群
















更に進むと右手に数軒の民家、かつての旧道は緩やかなカーブを描きながら交差点方向に伸び、果樹園手前で消滅していました。
伊達郡国見町・貝田宿への旧道

















貝田宿の歴史は古く、天正期には既に藤田宿と越河宿の間宿として設置されたと伝わります。
宿中央を南北に流れる牛沢川(姥神沢)の東西に4丁(約435m)、道幅4間(約7.3m)、戸数60戸前後の町並みが形成され、本陣 脇本陣 検断 問屋 口番所が置かれていました。又、県最北で宿場で仙台領に接していた為、口番所で通行を厳しく取り締まっていました。
明治後期~大正期に度々の大火で、最禅寺を除き江戸期の建物は残されていませんが、石垣で区切られた屋敷割りは今も残され、屋号は当時のままに受け継がれています。

右に「貝田宿」の屋根付看板、「貝田宿入口」の枡形。
伊達郡国見町貝田・貝田宿入口の三石
















宿看板の傍らに「三ツ石」。
伊達郡国見町・貝田宿入口の三ツ石















貝田宿の東西には鎮守2社があります。 
丁字路を左折、三叉路正面に文政10年(1827)現在地に遷座された「貝田秋葉神社」。
秋葉大権現と金華山神社を祀る板倉造り「本殿」は平成元年(1989)造営、火伏の神として信仰される貝田宿の鎮守です。
伊達郡国見町貝田・貝田秋葉神社
















神社前から右(北東)へ伸びる町道は、明治20年(1887)開業のJR東北本線(黒磯~塩釜間)の線路跡です。
線路跡の真中辺りに駅名標「貝田」と「車輪」が展示されていますが、この真下を横切る牛沢川(姥神沢)に貝田姥神沢旧鉄道レンガ橋(町有形文化財)が架橋されています。
伊達郡国見町貝田・貝田宿の貝田姥神沢駅
















開業から大正9年(1920)まで使用された「旧鉄道橋」(煉瓦積アーチ構造 開口幅2.4m・川床から4.8m・橋幅10.4m)。
伊達郡国見町・貝田・貝田姥神沢旧鉄道レンガトンネル















街道へ戻ると左に名主・問屋跡
伊達郡国見町貝田・名主問屋跡
















宿中程の左に「貝田宿説明板」、向かいは「検断屋敷跡」です。
伊達郡国見町貝田・貝田宿説明板
















左に昭和6年(1931)築「石蔵」、耐火性に優れた国見石を用いた寄棟造り2F建。
伊達郡国見町貝田・貝田宿の国見石の石蔵

















明治22年(1899)伊達郡大木戸村 喬木村 光明寺村 貝田村4村で大木戸村(現・国見町)が発足、牛沢川手前に「大木戸村道路元標」。
伊達郡国見町貝田・道路元標















宿外れの三叉路に道標「←貝田番所0.1K ←貝田姥神沢旧鉄道レンガ橋160m 本道至県境→」、ここを左折します。 
伊達市国見町貝田・貝田宿外れの丁字路















坂を上った三叉路分岐点に、明治28年(1895)建立「明治期の和算家・岡田盛正翁碑」。
左の道は煉瓦橋が架橋された明治期の旧東北本線鉄道線路です。
伊達郡国見町貝田・岡田盛正翁碑
















三叉路左に「貝田口留番所跡」(岡田庄兵衛・天保3年時)。
県最北端の貝田宿は、仙台藩領に接していた為、口番所で旅人達の通行や物資の出入り等を厳しく取り締まっていました。
伊達郡国見町貝田・口番所跡
















その先で右カーブする貝田宿出口の枡形
伊達市国見町貝田・貝田宿出口の枡形















枡形左に宗洞宗「最禅寺」。
天正16年(1588)楢葉郡富岡村・竜雲寺の末寺として創建され、セガイ造りの本堂は明和2年(1765)造営。
本堂内に安置されている観音堂は、伊達秩父三十四観音第31番札所として信仰され、境内には庚申塔・二十三夜搭等石仏石塔群が祀られています。
伊達市国見町貝田・貝田宿枡形内の最禅寺
















街道は、枡形の先の東北本線辺りから線路沿いに貝田駅辺りまで進み、R4号に伸びていましたが途中で消滅しています。
頭を垂れた稲穂が続く東北本線沿い
伊達国見町貝田・東北本線沿い
















貝田駅  大正11年(1922)6/5貝田信号場として開設、昭和27年(1952)6/10駅に昇格・無人駅。
伊達郡国見町貝田・東北本線貝田駅















貝田駅の150m程南にこんもりとした森が見えます、農道を進み旧貝田村の村社「水雲神社」へ立ち寄ります。
伊達郡国見町貝田・水雲神社への農道
















杜に佇む「水雲神社」は、東に鎮座する秋葉神社と共に貝田宿の鎮守として祀られました。社殿には、明治期の和算家・岡田盛正(口番所で述)が明治31年奉納の「算額」が掲げられている。
又、春の祭礼は東の秋葉神社、秋の祭礼は水雲神社で執り行われています。
伊達郡国見町貝田・水雲神社
















「白石市」(越河)
200m先で白石市に入り、左側の東北本線に並行しながら峠へ向かいます。
白石市越河・白石市標識(R4号)
















左歩道のガードレール外に、左面「福島懸」、右面「宮城懸」と刻まれた「懸界碑」があります。
白石市越河・R4号ガードレール内の懸界碑

















峠の右に「下紐石」。
元は越河番所辺りにあったとされる大石で、平安期、坂上田村麻呂が峠に下紐の関を置き、歌枕にも挙げられたと伝わります。
白河市越河・下紐の石
















「下紐の石」説明板
白石市越河・下紐の石説明板














東北自動車の手前左側辺りが伊達藩南口の「越河番所跡」です。
越河宿は仙台藩領の南端の宿の為、藩境には多くの家臣(境目足軽)が配されていました。
白石市越河・越河番所跡(左側)
















東北本線左の谷側に「越河番所跡碑」(標柱)。
白石市越河・越河番所跡碑















(越河深山越~町屋敷~越河寺~〃中妻)
峠からは緩やかな下りに、越河宿入口手前の三叉路信号交差点左に「深山神社」、参道口に庚申塔・山神等石塔群が祀られています。
長い参道を上ると右に折れ、雑木に覆われた尾根道の様な参道の先に社殿があるのですが、薮蚊の大軍で諦めました。
白石市越河・深山神社参道口















参道口に越河宿周辺の「史蹟 歌枕 伝説ルート図」。
白石市越河・史跡・歌枕伝説ルート図















越河宿は仙台藩領の南端の宿の為、藩境には多くの家臣(境目足軽)が配され、物資や通行を取り締まっていました。今も宿場当時の屋号(角屋・松田屋・油屋等)を残した民家が多くあります。
越河宿入口の枡形
白河市越河・越河宿入口枡形
















左に東北御巡幸の折、立ち止まれた「明治天皇御駐蹟碑」。
白石市越河・越河宿の明治天皇御駐蹟碑
















静かな町並み。
白河市越河・越河宿旧家
















すぐ先で左折、東北本線を渡った西側に臨済宗「定光寺」(本尊釈迦如来)、刈田観音札所第9番です。
白石市越河寺・定光寺本堂
















境内南に扁額「光日堂」を掲げた「地蔵堂」。
白石市越河寺・定光寺の観音堂
















堂前に元文5年(1740)造立「青面金剛」。
一見すると4臂に見える6臂合掌、腰に2臂があるのは珍しいと思います。
白石市越河寺・定光寺の観音堂前の青面金剛


















街道へ戻り、先の左に「諏訪神社参道口」、参道が西に真直ぐに伸びています。
白河市越河・諏訪神社参道口
















定光寺北側の山腹に祭神「建御名方神」を安置する「諏訪神社」。
古くは、山下播摩屋敷に奉祭されていましたが、岩城領主が戦勝祈願し、天正17年(1589)所願成就の御礼に現在地に遷座、社殿を造営し、境内に杉木を植樹。明治5年以降、本社に習い7年毎の御柱祭が行われます。
白石市越河中妻・諏訪神社
















高台の境内右手に「芭蕉と季吟句碑」。
咲みたす モモの中より 初さくら  はせを」  「さくら桜 松は御前に 夏の月 季吟
北村季吟は江戸前期の俳人・歌人で、芭蕉の師として知られています。
白石市越河中妻・諏訪神社の芭蕉句碑
















街道沿いの「越河宿碑」。
白石市越河・越河宿碑















(五賀南原~荒屋敷~五賀)
街道沿いには、萱葺をトタン屋根にした民家が所々で見られます。
白石市越河・越河宿の民家















左に石蔵造りの民家
先の越河幼稚園前には、「田んぼは輝く黄金色 軒先には干し柿の赤 季節で変わる色彩も地域の宝物」と書かれた「越河地区宝ものまっぷ」、まさに記されているままの長閑な街道風景です。
白石市越河・越河宿の石蔵民家
















三叉路で左折した段上に「白鳥神社」(祭神倭建命)。
由緒等は不明ですが、明治5年村社に列し、〃10年社殿再建の際に熱田神社を勧請。明治後期に字八幡・字下金草・字打起前の3社を配祀、社殿左に湯殿山・石祠が祀られています。
白河市越河・白鳥神社
















先で耕野踏切を渡るとR4号交差点の右手に、5年を費やし土地区画の「完工の碑」、左折して駅に向かいます。
白河市越河・石碑
















駅に着くと次便まで約1時間待ち、福島から新幹線で帰途へ。
越河駅   明治24年(1891)1/12開業 無人駅。
白石市越河・東北本線越河駅















2018・9・14 晴時々曇り









福島県伊達郡国見町のマンホール

福島県伊達郡国見町・汚水


泉田で撮影。





汚水用には中心に「町章」、
放射状に町の花「モモ」がデザインされています。










福島県国見町・汚水枡







下部に「おすい」文字の汚水枡(プラ)。








福島県伊達郡国見町・排泥弁


藤田南で撮影。





「町章」、カラー排泥弁。






伊達郡国見町・仕切弁100







「町章」、100Φ仕切弁。







伊達群国見町・仕切弁75







75Φの仕切弁。







福島県伊達郡国見町・カラー仕切弁50


貝田で撮影。





50Φの仕切弁。








福島縣伊達郡国見町・仕切弁





仕切弁。











伊達郡国見町・消火栓








「町章」、「梯子車」のカラー消火栓。











福島縣伊達郡国見町・消火栓


藤田北で撮影。





角消火栓(ドット・アーガイル)。







福島縣伊達郡国見町・空気弁









カラー空気弁(七宝・ドット)。









カラー福島縣伊達郡国見町・丸消火栓(小)


東北本線・藤田駅付近で撮影。





75Φの丸カラー消火栓。







伊達郡国見町・量水器


貝田で撮影。



量水器。







伊達郡国見町・減圧弁






減圧弁。










福島県伊達郡桑折町のマンホール

桑折町は、特に高品質の桃から皇室への献上品に指定され、“献上桃の郷”と呼ばれています。又、町中を流れる産ケ沢川・南半田地区は源氏ホタルの生育地として知られています。
福島県伊達郡桑折町・カラー汚水(桃)


上町で撮影。




カラー汚水用には「献上桃の郷 桑折町」、頭が「桃」の源氏ホタルのマスコットキャラクター「ホタピー(10才)」、
「産ケ沢」で乱舞する「源氏ホタルの発光」がデザインされています。









搭屋を乗せた洋風建物「旧伊達郡役所」(国文化財)は、明治16年(1883)施行から大正15年(1926)郡役所制度廃止迄の43年間使用されました。
福島県伊達郡桑折町・カラー汚水(旧伊達郡役所)


陣屋、旧伊達郡役所前で撮影。





「旧伊達郡役所」、「町章」、
周囲に町の花「モモ」、下部に「こおりまち おすい」文字のカラー汚水用。









福島県伊達郡桑折町・汚水(旧伊達郡役所)


万正寺字下堰端で撮影。






汚水用。










福島県伊達郡桑折町・汚水H(旧伊達郡役所)







周囲の「モモの花」が左6つ、右が7つの小型汚水用(径約30cm)。








福島県伊達郡桑折町・汚水枡






「モモの花」が左5つ、右6つ、
下部に2つデザインされた汚水枡(プラ)。








福島県伊達郡桑折町・汚水親子


万正寺字下万正寺で撮影。






「旧伊達郡役所」の汚水用親子(テトラポット)。








福島県伊達郡桑折町・汚水JIS


谷地石塚で撮影。





中心に「町章」、JIS規格汚水用(スリップ止対応)。











福島県伊達郡桑折町・JIS汚水(スリップ対応)









中心に「町章」、
下部に「桑折町」文字のJIS規格汚水用。








福島県伊達郡桑折町・カラー仕切弁


本町で撮影。



中心の六角形内に「町章」、「仕切弁」文字、
周囲に横線と縦線を配し、左右だけ横線4本のカラー仕切弁。






福島県伊達郡桑折町・仕切弁


万正寺字下万正寺で撮影。





周囲が3、2本の仕切弁。






福島縣伊達郡桑折町・防火貯水槽


上町で撮影。






「町章」、「消火中の消防士」、下に「こおりまち」文字の防火水槽。












福島市瀬上町青柳・青柳神社

青柳神社(青柳5-1)は阿武隈急行・瀬上駅の250m西、徒歩数分に鎮座。
創建年代不詳とされますが、古くは当地に住み着いた人々により阿武隈川東(向瀬上町)の山麓に守護神として祀られたのが起源とされ、ご神託により天保12年(1841)以前に現在地に遷座と伝わります。
社名は、前鎮座地の境内に柳が繁茂していたことに因むそうです。

主祭神「大山祇神」、相殿神「磐長姫 木花開耶姫」を安置、国家安泰・五穀豊穣、縁結び、健康長寿等に御霊験あらたかと広く信仰されています。

奥州街道(県353号)沿いに社号標「青柳神社参道」、参道は東へ約250m伸びています。
福島市青柳・青柳神社社号標。
















神明鳥居と社号標「青柳神社」。
福島市青柳・青柳神社鳥居
















豊かな社叢で覆われた参道、90m先で直角に左(北)に折れます。
福島市青柳・青柳神社参道
















参道沿いの石灯籠には無傷もありますが、震災が原因と思われる竿が無い数基が置かれています。
福島市青柳・青柳神社参道の石灯籠
















参道が左に折れた東側に御神木「スギ」、前に小祠と絵馬掛け、左奥にに筆塚。
福島市青柳・青柳神社御神木と筆塚

















昭和14年(1939)建立「狛犬」、吽形は角をもっています。
福島市青柳・青柳神社狛犬吽福島市瀬上町青柳・青柳神社狛犬阿
鬣の長さや本数、尾の左側の巻き毛の大きさ、吽形(左)の右下部分が巻き毛ではなく流れています。
福島市青柳・青柳神社狛犬吽バック福島市青柳・青柳神社狛犬阿バック
神明造りの拝殿は昭和8年(1933)造営。
福島市青柳・青柳神社拝殿
















35代福島県知事伊藤武彦揮毫の扁額「青柳神社」。
福島市青柳・青柳神社拝殿変額














本殿(東側)。
福島市青柳・青柳神社本殿
















境内東から北側に歌碑や福の神・渡航安全の「金華山神」、農業 生命の神「雷神」、五穀豊穣・健脚の「足尾大神」等の境内各社。
福島市青柳・青柳神社境内後方の石碑群
















陰陽石を安置する男女神(石祠)、夫婦和合 子宝 無病息災に御霊験あらたかと信仰されています。
福島市青柳・青柳神社境内後方の石祠(男根・女陰)
















本堂裏手(北)に境内社11社(石祠)。
福島市瀬上町青柳・青柳神社北側の境内社















本殿左奥に流造りの本殿前に正面向きの神使「狐」をおく「稲荷神社」、相生稲荷神社と思われますが。
福島市青柳・青柳神社境内社

















左(西)に進み、天下泰平・無病息災の「大神宮碑」。
福島市青柳・青柳神社境内の大神宮碑
















慰霊碑(英霊百二十四柱)、傍らに「み魂らの 赤心かたりつぎゆかん ふるさと能 空に雲絶えぬ間は」と刻む歌碑があります。
福島市青柳・青柳神社慰霊碑
















時間に追われ写真もそこそこで後にしましたが、神域は安らぎスポットです。





奥州街道⑧南福島駅~伊達駅

前夜、安達太良SAで仮眠、福島駅付近に駐車後、福島駅から南福島駅へ戻り歩きます。
[行程]
福島駅・・・南福島駅(7:40)~郷野目日吉神社~荒川橋~弁天山の景~山王土湯道追分道標~福島宿・信夫橋袂の説明版・信夫橋(写真)・信夫橋親柱・柳稲荷神社・荒町鉤の手(枡形)・鉤の手図・す桝屋・常光寺・御倉邸・福島河岸跡・供養碑・天神渡し跡・密語橋・城址碑・土塁跡・二ノ丸御外庭・宝塔・杉妻稲荷神社・板倉神社・旅館藤金・本陣説明版・米沢街道分岐点・古関裕而生誕の地碑・脇本陣跡・根子町人形写真展・福島縣里程元標/福島市道路元標・交差点・福島稲荷神社・長楽寺・仙台口説明版~鼻取地蔵天満宮~福島競馬場~信夫山の景~岩谷観音(磨崖仏群)~緑道~石塔群~松川橋~旧道口~木内大日堂~正福禅寺(木内館跡)土塁跡~木内八幡神社・土塁跡~鎌田村道路元標~鎌秀禅院~阿武隈急行福島学院前駅~瀬上宿枡形・青柳神社・瀬上嶋貫本家・台厳寺・本町の町並み・足守藩瀬上陣屋跡碑・最上稲荷社・瀬上宿枡形(出口)~伊達市標識~摺上川~西念法師堂・西念法師塚~福源寺・仁王像・義民斉藤彦内墓~寛延三義民顕彰碑~長岡村道路元標~天王通り~伊達駅(16:16)

福島松川スマートICからの朝焼け。
福島市・東北自動車道より(8/1)
















福島駅   明治20年(1887)12/15開業。
福島駅 (2)
















東口の駅看板とステンドグラス、駅スタンプ。
6.jpg福島駅s










「福島市」(郷野目金込町~向町)
南福島駅から街道(県362)を約1.8K北上すると、右に「郷野目日吉神社(祭神大山昨神)」。
延歴16年頃(797)征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷鎮定の折、比叡山延暦寺の守り神として戦勝祈願、平定後に山王田に祭祀し、後に現在地に遷座されました。
福島市郷野目・郷野目日吉神社
















大森川に架かる「荒川橋」、正面に信夫山(標高275m)が見えます。
福島市郷野目宝來町・大森川の荒川橋
















濁川支流の大森川は、600m東で阿武隈川に合流します。 東側には桜の名所としても知られ、安寿と厨子王の館「椿館跡」がある「弁天山」が見えます。
福島市郷野目・大森川から弁天山
















(南町)
市立福島第一中学校の校庭に、「左 江戸海道」、「右 山王土湯道」と刻む安政4年(1857)建立「追分道標」があります。
信夫橋南岸には、かつては福島から土湯温泉を経て会津藩領へ通じる山王土湯道がありましたが、この道標は分岐点の南袂に建てられていました。
福島市南町・福島第一中学校の山王土湯街道道標 (2)
















山王土湯追分道標が建立されていた信夫橋の袂に「信夫橋と荒川運動公園」説明版。
福島市南町・荒川土手の信夫橋説明版
















往時、須川(現・荒川 昭和39年改称)は渡し船(須川の渡し)で往来していました。
貞享5年(1688)須川橋(木橋 43間)が架けられ、後、洪水時に床を取り外せる木橋(通称ガンダラ橋)に、明治6年(1873)日本橋に似た初代信夫橋(木橋)となり、同18年(1885)県令三島通康の命で、2代目信夫橋(長さ106間191m・幅員4間7m)が架橋されました。
2代目は、十三径間のアーチ式石造りから十三眼鏡橋として親しまれましたが、6年後の洪水で崩落しました。
この眼鏡橋の架橋工事を知った松川町でも、同年夏に水原川に同じ石材の石橋「松川橋」(⑦で記載)を架橋、現在も使用されています。
2代目信夫橋(説明版より)
明治18年架橋の信夫橋(説明版)












荒川(旧須川)は、全国一の水質を誇ります、親柱に「志乃婦波し」と刻む昭和7年(1932)竣工「4代目信夫橋」(7径間鉄筋コンクリートアーチ橋)。
福島市南町・信夫橋の南袂の親柱
















橋上流側(西)は荒川運動公園となっていますが、往時は須川の河原と呼ばれ、福島藩処刑場となり百姓一揆の集合場所でもありました。
福島市柳町・信夫橋
















(柳町~清明町)
福島宿は、東山道(古代~中世)の頃から会津藩領への土湯街道、米沢街道、相馬街道等他国藩領への街道として利用され、江戸期以前より福島城の城下町としての町並みを形成していました。
元禄15年(1702)藩主板倉重寛が入封時に、江戸口から城下七町(柳町 荒町 中町 本町 上町 北南町 馬喰町) で形成、本陣3軒、各町に検断、城外堀に見附を置く本格的な城下町が整備されました。
明治14年(1881)の福島火事(甚兵衛火事)で1800戸余りを焼失した為、往時を偲ぶ建物は余り残されていません。

渡り詰めが福島宿の江戸口(城下玄関口)です。
木橋を渡ると常夜燈や高い石垣を巡らした枡形、右奥に枡形番所、左上に門が描かれた文久3年(1863)「福島城下江戸口の図」。
福島市柳町・信夫橋北袂の福島城下江戸口の図












左(北西)に「信夫橋」と刻む2代目「親柱」。
福島市柳町・信夫橋北袂の親柱と説明版
















枡形番所が置かれていた右(北東)に、五穀豊穣・商売繁盛の神を奉る「柳稲荷神社」。
明治14年(1881)、柳町で発生した甚兵衛火事(福島大火)で社殿は焼失、現社殿は昭和8年(1933)再建されています。
境内には、貞亨年間(1684~8)須川(現・荒川)の氾濫で町が流失寸前の時、流れてきた御神体が人々を救ったと伝わる「柳稲荷由来碑」があります。
福島市柳町・柳稲荷神社
















150m程北上すると、かつての鍵の手跡(枡形・下の図)の名残で緩やかに左カーブします。
福島市柳町の鉤形跡のカーブ
















右→左に曲がる鉤の手が描かれた図。
福島市柳町の鉤型図














左に文久3年(1863)建築「す桝屋」、街道沿いの建物は土蔵造りで奥まで建物が続いています。
福島市清明町・す桝屋
















街道(県148)西側の寺町通りは、城下の防御用地として寺が南北に配置され、西裡と呼ばれていました。
寺町通り、清明小学校北側に永正3年(1506)創建、福島に城下が移される際に現在地に移った「常光寺」(本尊福満虚空菩薩)、藩主板倉家の菩提寺です。
福島市清明町・常光寺山門
















(御倉町~杉妻町)
街道と並行する1本東側に昭和2年(1927)築「御倉邸」。
明治32年(1899)東北初の日銀出張所が開設され、歴代支店長の邸宅として使用された日銀最古の役宅で、東北・福島の経済に大きな役割を果たしました。
平成12年より公園として開放され、園内南に旧米沢藩米蔵が復元されています。(開館10:00~16:00)

又、この通りは密語橋通り(東裡通り)と呼ばれ、江戸期は武家屋敷が、明治期以降は冨士B/K・ 日本興業B/K・市長・豪商等の邸宅が立ち並んでいました。
福島市御蔵町。御蔵邸(日銀最古の役宅)
















隈畔(わいはん)と呼ばれる阿武隈川沿いには、福島藩 御城米御蔵(年貢米) 会津藩 板倉藩 米沢藩等廻米御蔵が立ち並んでいました。
御蔵邸の東側に、御蔵米専用の船着場で流域最大の川港「福島河岸跡」。
又、対岸の川港「天神河岸」は、舟運で米等の荷が荒浜経由で江戸に運ばれていました。
福島市御蔵町・福島河岸跡
















天神橋の下に祀られている大正14年(1925)建立「隈水淹没者供養碑」。
福島市杉妻町・天神橋下の供養碑














昭和39年(1964)天神橋(全長206m)が竣工しましたが、以前は両岸を渡し舟で結ぶ「天神渡し」が“隈畔”名物として親しまれていました。
北側に「天神渡し跡」。
福島市杉妻町・阿武隈川天神渡し跡
















「天神渡し」渡し舟の風景(写真)。
福島市・天神渡し風景写真















北側の福島県庁一帯は福島城址です。
福島城(平城)は本丸 二ノ丸 二ノ丸御外庭(紅葉公園) 三ノ丸で構成され郭内面積約7万6千坪、東に阿武隈川、南の須川(荒川)が天然要害として外堀の役割を果たしていました。

城址南側、杉妻会館西側は福島城外曲輪の出入り口にあたり、見附番所が置かれた密語橋口に手摺り付板橋(全長5間・幅2間)が架橋され、天保14年(1843)土橋に架け替えられました。
杉妻会館の中庭の流れに、模した石橋「密語橋」が架けられています。
福島市杉妻町・杉妻会館中庭の密語橋
















北側の駐車場の南北に遺る「土塁跡」。
福島市杉妻町・福島城址(県庁)土塁跡
















県庁前に平成14年建立「福島城址碑」。
福島市杉妻町・県庁前の福島城址碑
















北東に板倉重寛が池や竹山を配して整えた「二ノ丸御外庭跡」、紅葉山公園として市民の憩いの場所となっています。
福島市杉妻町・福島城址の紅葉山公園(御外庭庭園)
















園内に、福島城前身である杉妻寺大佛城に所縁がある阿弥陀如来(梵字)を刻む弘安6年(1283)建立「宝塔」(県文化財)、左に釈迦如来(梵字)を刻む鎌倉期の石塔が祀られています。
福島市杉妻町・紅葉山公園の宝塔
















南西角に、元は北通りに城の(うしとら)(北東)の守りとして西向きに創建され、明治初期に現在地に遷座した「杉妻稲荷神社」。
杉妻明神・杉妻社とも称され、杉妻の里の産土神として篤く崇敬されてきた古社。
漆喰土蔵造りの社殿は天保11年(1840)再建。
福島市杉妻町・福島城址二の丸御外庭の杉妻稲荷神社
















南側の阿武隈川沿いに藩祖重昌を奉る「板倉神社」。
江戸後期、8代勝長が藩祖重昌の御霊を江戸藩邸に勧請、文化2年(1805)城内に奉られ、板倉家の転封で三河に遷座後、明治15年(1882)城内に移築されました。
社殿内には勝長と10代勝顕の奉納絵馬(市文化財)が安置され、境内に若山牧水歌碑「つばくらめ ちちととびかひ阿武隈の はしの桃の花 いまさかりなり」。
福島市杉妻町・福島城市内の板倉神社社号標
















(中町~本町~大町)
街道へ戻り、中町の左に明治元年(1868)創業「旅館藤金」、蔵造りの重厚な建物です。
福島市中町・旅館藤金
















万世大橋(R13号)を横断すると本町に入り、次の信号交差点で直角に右折(東・枡形)しますが、左折すると福島駅に至ります。
福島市本町・本陣辺り
















この交差点北西角の広場に「福島城と城下町・本陣」説明版。
福島宿には、現在の本町と上町に3軒の本陣があり、仙台藩・秋田藩・盛岡藩等の大名達が宿泊する本陣が其々決まっていて、交差点角(南西)に仙台藩主や幕府役人の宿泊する本陣(黒沢家)がありました。
福島市本町・福島城と城下町「本陣」説明版
















先の日銀福島支店の東筋は「米沢街道の追分」で、米沢口・庭坂口とも呼ばれ、町の出口に木戸が設けられていました。
福島から米沢へは、かつては八丁目宿追分(中町交差点)から大森~庭坂宿~李平宿への筋でした。 外様大名上杉氏が信遠地方から離れた寛文4年(1664)後、三叉路を北上し、置賜町交差点(三叉路)を西(左折)へ向かい、八島田~笹木野~板谷街道庭坂宿~李平宿~板谷宿を経て米沢に至る新街道へと付け替えられました。
福島市本町の米沢街道分岐点
















大町に入り、すぐ先の右歩道に当町出身の作曲家「古関裕而生誕の地碑」、通りを挟んだ向かいが脇本陣跡(安斎家)です。
福島市大町・作曲家古関裕而生誕の地碑と脇本陣跡(安斎ビル)
















実は清水町宿(前回⑦)を歩いた時、根子町人形写真展パンフを頂き、今日の街道歩きで実物を拝見することを楽しみに来ました。
根子町人形とは、江戸後期、仙台堤人形の人形師が、根子町宿(清水町宿)旅籠仙台屋に泊まった際、人形師から仙台屋主人に伝授された土人形で、後、吉野屋も窯元として仙台屋と共に土人形を製作、旅人達の人気の土産物となりました。
然し、明治中期頃から宿場が衰退し、大正初期頃には窯元の廃絶で幻の土人形となりました。
会場「チェンバおおまち」、会場内の「根子町人形案内パンフレット」。
福島市松山町・チェンバおおまち福島市松山町・チェンバおおまちの根子町人形パンフ
写真25点、ガラスケース内に仙台屋制作の根子町人形5点が展示されています。
「太鼓打童子」(高さ9㎝)
清水町宿根子町人形(太鼓打童子)


















左)男雛(高さ13.5cm)、歌舞伎物・熊谷直実(高さ17.5cm)。
私も街道土産に買いたい程、温かみを感じさせる素朴な人形でした、根子町人形の復活を切に願いながら会場を後にします。
清水町宿根子町人形(男雛)清水町宿根子町(歌舞伎の熊谷直実)
先の交差点は、奥州街道と福島城大手門からの道が交差し、高札場が設置されていた札之辻跡です。
明治6年(1873)政府は高札場を撤去し、里程の起点として、奥州道と福島城大手門からの道が交差するこの交差点に、次宿までの距離を記した一尺角(30㎝)・高さ一丈二尺(83.6m)の里程元標を設置。 
大正8年(1919)里程元標に代わり、各市町村毎に道路元標が設置されました。

交差点手前角(南西角)に、正面(北)「福島縣里程元標 福島町通り十一丁目」、左(東)「清水町へ一里二十三町五間三尺」、右(西)「庭坂へ二里十三町九間五尺 瀬上へ一里二十二町五十九間」と記された「福島縣里程元標」(原寸大復元)、左に「福島市道路元標」。
福島市大町・福島里程元標と道路元標

















最初の里程元標が立てられたのは、交差点(変則十字路)の中央辺り(当時の東側(上町))で、ここが福島市の原点「ヘソ」にあたります。
福島市大町・福島市のへそだった交差点
















(宮町)
街道は左折して次の信号交差点を右折しますが、途中100m北に鎮座する「福島稲荷神社」へ。
永延元年(987)安倍晴明が奥州下向の折に創建、城下の総鎮守とした古社。 北東角に幕末の長州藩士・世良修蔵霊神碑が祀られています。     ※詳しくはこちらを福島市宮町・福島稲荷神社表参道大鳥居

















(舟場町~豊田町)
街道から外れますが、阿武隈川北岸の古刹「長楽寺」へ。
室町期、上杉氏臣・本庄氏の菩提寺として越後(村上市)に創建され、慶長5年(1600)現在地に移転し、初代城主本条繁長により中興開基されました。
福島市舟場町・長楽寺本堂

















街道へ戻り進むと、交差点(R114号)左の福島豊田町郵便局に「福島城と城下町 仙台口」説明版。
用水路に囲まれた広場の枡形があり、宿並みは17町13間(約1.9K)と記されています。
福島城と城下町・仙台口説明版

















福島宿の出口「仙台口」の交差点。
福島市豊田町・R114号交差点(宿出口・仙台口)















(北五老内町)
北上すると左に、唐破風土蔵造り「鼻取地蔵天満宮」。
往時、浜辺村五良内に祀られていた地蔵菩薩を安置、子供達を守り苦しみから救ってくれる地蔵様として広く信仰を集めています。社殿左に奉納大乗妙典廻國供養(明和4年)、二十三夜塔等石塔群が祀られています。
福島市北五老内町/・鼻取地蔵尊
















(松浪町)
東北唯一のJRA・福島競馬場のベンチで一休み。
福島市松浪町・福島競馬場
















左には福島市のシンボル「信夫山」(標高275m)。
熊野山・羽黒山・羽山三峰からなり、信夫三山と呼ばれる山岳信仰の山。
福島市松浪町から・信夫山の景
















(岩谷)
街道は岩谷下交差点でR115号に合流、往時はそのまま左前方へ伸びていましたが、350m先辺りまで消滅しています。

この交差点を左折、西側の信夫山の東山腹に「岩谷観音」(市史跡・名勝)と呼ばれる磨崖仏群があります。
平安末期~鎌倉期、当地の豪族がやぐらに持仏聖観音を奉った事に始まり、江戸中期頃(宝永6.7年)民衆に三十三観音巡拝の世相が深まり彫られたとされています。
境内の慶長19年(1614)再建「観音堂」(本尊観世音菩薩)には、扁額「施無畏」が掲げられています。
福島市岩谷・岩谷観音
















西側に鐘楼、南無阿弥陀仏を刻む「名号塔」数基。
福島市岩谷・岩谷観音の鐘楼と名号塔群
















北西岸壁一帯に地蔵 三十三観音 不動尊等約60余体の摩崖仏があり、彩色を施された仏像も見られます。
福島市岩谷・岩谷観音断崖佛
















麓沿いの緑道沿いには、2003年秡川環境創造事業による松川に注ぐ秡川の一部がせせらぎとなって流れ、市民の憩いの場となっています。
福島市岩谷・緑道
















山麓沿いには山灯籠や墓碑群、先にも連続的に墓碑等石塔群が祀られています。
福島市岩谷・信夫山麓沿いの石塔群















天理教の先の三叉路を右折、消滅先の街道に復帰。
やがて松川の土手に突き当たり右の松川橋を渡りますが、往時は板橋で対岸へ渡っていました。
福島市・松川橋
















(木内松川畑~〃東町~〃館~〃南古館)
渡り詰めで左折、60m先で右の旧道口(三叉路)へ進みますが、往時は板橋からそのまま直進(右道)していました。
福島市木内字松川畑・旧道口
















先の十字路右に「木内大日堂」、享保年間(1716~35)東面に天台宗松尾山本福寺として建てられ、「大日如来 毘沙門天 不動明王」を安置。
元治2年(1864)本福寺は火災で廃寺となり、大日堂本殿は焼失しましたが御尊体は難を逃れ、江戸末期より正福禅寺の境外社となっている。
境内には大小の地蔵菩薩、名号塔等石仏石塔群があります。
福島市木内東町・大日堂
















200m北西に曹洞宗「正福禅寺」。
当寺一帯は、平安後期に源頼義が陸奥国豪族安倍頼時・貞任親子を攻める際に造営された木内館跡で、慶長5年(1600)伊達政宗の福島攻めで落城しました。
福島市木内館・正福善寺
















境内西側一帯に館跡の土塁
福島市木内・正福善寺の土塁跡
















北側に平安初期創建の古社「木内八幡神社」(祭神誉田別命)。
参道左に国学者・32代神官木口弘記先生像、境内社「厳島神社」 「大黒社」、「小牛田山神」、社殿後方に石祠群が祀られています。
福島市木内南古館・木内八幡神社社頭
















境内右(北)に木内館遺構の土塁
福島市木内南古館・木内八幡神社石塔群
















(丸子石名田~鎌田陳光)
静かな住宅街を北上すると、三叉路左に明治22年(1889)発足した信夫郡鎌田村の「鎌田村道路元標」。
福島市木内北古館・鎌田村道路元標















100m程北西に「鎌秀禅院」、山門前に「鎌田館跡碑」。
鎌倉中期(弘長2年1262)、大和国から下向の宇野信次が築いた鎌田館本丸跡に鎮座、後に鎌田氏と称し代々の居城としました。境内北・西・南に土塁が遺されています。
福島市鎌田古館・鎌秀禅院
















八反田川を渡り、先の信号交差点(県387)を直進しますが、右折すると月の瀬大橋(阿武隈川)東側に月の瀬渡し跡、下流側が瀬上地区に因む瀬の上渡し跡です。
約1K北上して阿武隈急行「福島学院前駅」の高架を潜ります。
福島市鎌田陳光・福島学院前駅















(瀬上町町頭~〃本町)
瀬上宿は阿武隈川水運の瀬上河岸があり、 「飯塚を経て山形へ向かう街道」と、東の「月の輪の渡しを経て相馬方面への街道」が交わる等交通の要衝でした。この様な地の利から、瀬上花街と呼ばれた遊郭で繁栄し、元禄~享保期(1688~735)~文化~文政期(1804~29)が全盛期でした。
寛政12年(1800)以降は備中足守藩(岡山県)の分領地となり、明治初期まで代官がこの地を治めました。

先で丁字路(県197)を右折し、50先の丁字路(県353)で左折する瀬上宿枡形(入口)。
福島市瀬上町町頭・瀬上宿枡形
















枡形の先、300m東に往時、境内に柳の大樹が繁茂していたことに因む「青柳神社」。
境内には筆塚、男女神を奉る石祠、石塔群が祀られ、五穀豊穣・縁結び・無病息災にご霊験あらたかと信仰されています。
※詳しくはこちらを
福島市青柳・青柳神社鳥居

















左に明治32年築「瀬上嶋貫本家」(国文化財)。
島貫家は江戸期に武士を捨て、当地で大國屋の屋号で貸金業・酒造業等を営み財をなしたと云われ、建物は主屋・文庫蔵・離れからなり、11代当主により復元されています。
福島市瀬上町本町・瀬上嶋貫本家
















浄土真宗「臺嚴寺」、享和3年(1803)作の木製「石母田供養石塔模刻」(市有形文化財)を安置。
境内には樹齢650年・樹高15mの公孫樹(市保存樹)があります。
福島市瀬上町本町・台厳寺本堂と銀杏
















古い家が残る本町の町並み
福島市瀬上町本町・瀬上宿本町の町並み
















(瀬上町宮台北口~〃荒町)
先の信号交差点(十字路)を左折、200m北西に「足守藩瀬上陣屋跡」。
備中足守藩は、旧宮代村に二階堂弥五郎らを代官とした陣屋を構え、天保期以後は塩見家が代々世襲し、70年に渡り1万1千石を支配しましたが、明治初期解体されました。
陣屋跡中心に樹齢350年以上・樹高22m「宮代の大カヤ」(市天然記念物)、左に「史蹟足守藩瀬上陣屋跡碑」と「神社表門柱の土台石」が遺されています。
福島市瀬上町本町・史蹟足守藩瀬上陣屋跡碑・カヤ
















北西の塩見家屋敷跡辺りに瀬上陣屋の鎮守「最上稲荷社」。
福島市瀬上町本町・陣屋鎮守最上稲荷社
















荒町辺りから緩い枡形となる瀬上宿出口。
福島市瀬上町本町・瀬上宿出口の枡形
















「伊達市」(川原町)
幸橋で摺上川を渡ると「伊達市」に入ります。
伊達市川原町・伊達市標識
















延長32Kの摺上川は、摺上山に源を発し、苅田郡七ケ宿町稲子を経て福島市へ戻り、瀬上町で阿武隈川に合流、摺上ダムにより県北住民の水がめとなっています。
伊達市・摺上川
















先で街道から左(西)へ入ると、川原町集会場の一角に「西念法師堂」、樹齢300年を超す大ケヤキ(県緑の文化財)の根元に「西念法師塚」が祀られています。
往時、摺上川は毎年氾濫し、周辺の村人達が困窮していた為、寛文8年(1668)西念法師が堤防の人柱となり鎮めたと伝わり、弟子・浄心が遺した文書(古文書)、大ケヤキは旧伊達町(現伊達市)文化財に指定。
毎年4月に西念供養祭が行われています。
伊達市川原町・西念法師堂
















供養で植えられたケヤキに抱かれるように、摺上川に向く寛文8年4/8建立「西念法師塚」。
伊達市川原町・欅の根元の西念法師塚















(下志和田~田町~本町~細谷)
福源寺」は、永禄6年(1563)上杉謙信の菩提で創建された曹洞宗の古刹。
伊達市下志和田・福源寺
















山号扁額「長倉山」が掲げられた山門に「木造仁王像」。
伊達市下志和田・福源寺山門の仁王像吽伊達市下志和田・福源寺山門仁王像阿
境内に二世渓岩曹雪大和尚が植樹と伝わる樹齢450年「双龍の松」、本堂裏手に寛延2年(1749)大飢餓で、農民一揆の罪の身代わりとなった68ケ村総代「義民斉藤彦内墓」。
伊達市下志和田・福源寺の義民斉藤彦内墓















寛延2年の農民一揆で、斉藤彦内(長倉村) 猪狩源七(鎌田村) 蓬田半エ門(伊達崎村)三名は、桑折代官神山三郎左衛門により産ケ沢で獄門に処され、首は街道に晒されました。
先のY字路分岐点に田町薬師堂、境内に三名の名を刻む大正7年(1918)建立「寛延三義民顕彰碑」。
伊達市田町・田町薬師堂境内の寛延三義民顕彰碑
















Y字路を右にとり北上、変則十字路左の佐藤青果店前に「長岡村道路元標」(明治22年長岡村発足)。
ここを左折して伊達駅に向かいます。
伊達市本町・長岡村道路元標















蔵造り・重厚な建物が残る本町・天王通り
伊達市伊達町・天王通り
















伊達駅」 
明治28年(1895)4/1日本鉄道・長岡駅として開業、大正3年(1914)12/1伊達駅に改称 業務委託駅。
武家屋敷を模した駅舎は、東北の駅百選に選定されています。
伊達駅
















ホームに開業当時の油庫(煉瓦造り)。
伊達市・伊達駅ホームの油庫(旧国鉄時代のランプ小屋)














2018・8・16~17  晴れ後曇、一時小雨。
明け方は8月とは思えない程冷え込みましたが、日中は気温25℃位、時折の小雨で気持ちよく歩けました。
伊達駅から福島駅に戻り帰途に着きます。







福島市宮町・福島稲荷神社

福島稲荷神社(宮町1-29)は、東北本線福島駅から徒歩10数分の市街地に鎮座。
平安中期の永延元年(987)、陰陽師安倍晴明が奥州下向の折、当地の自然の景勝や農業に適した肥沃な土壌から信夫明神の祠を建立、当地の鎮守としたことが起源。
承安元年(1171)孫で陰陽師安倍清明が社殿を造営すると、社の名声の広がりと共に歴代藩主の篤い崇敬を受けてきました。
江戸期には歴代藩主の庇護の下、寛永元年(1624)板倉重慶が社殿を道営、元禄2年(1689)初代藩主堀田正仲が本殿を造営、3年後に拝殿を、元文5年(1740)藩主板倉勝里が社殿を造営する等、福島藩の鎮守として尊崇されました。

主祭神「豊受比売命」、配神「大国主命 言代主命」を安置。

表参道(南)に社号標「福島稲荷神社」、檜造り大鳥居(明神鳥居)は、昭和41年(1966)に大正9年(1920)明治神宮鎮座で建立された外玉垣鳥居が移築され、島木に「三ツ巴紋」、扁額「福島稲荷神社」が掲げられています。
福島市宮町・福島稲荷神社表参道大鳥居
















西鳥居は表参道と同じ明治神宮から移築され、前に昭和28年(1953)表参道に建立された社号標「縣社 稲荷神社」が移されています。
福島市宮町・福島稲荷神社西参道の鳥居
















南・西鳥居には、旧華族で明治神宮宮司・甘露寺受長謹書「福島稲荷神社」が掲げられています。
福島市宮町・福島稲荷神社西鳥居扁額
















表参道と左からの西参道と合流する角に入母屋造・平入り「繪馬殿」、市内最古の建造物です。
明治35年(1902)の暴風で、倒壊を免れた元禄5年(1692)堀田正仲造営の旧拝殿、向拝の木鼻に目に彩色を施した唐獅子、頭貫「牡丹」彫刻が施されています。
福島市宮町・福島稲荷神社絵馬殿
















手水舎。
福島市宮町・福島稲荷神社手水舎
















手水鉢の竜口。
福島市宮町・福島稲荷神社手水鉢の竜口















右(北)に明治32年(1899)造営「神楽殿」、隣に昭和37年(1962)造営の八角形の社殿「太子堂」(聖徳太子像)。
福島市宮町・福島稲荷神社神楽・太子堂















昭和13年(1938)建立「狛犬」。
福島市宮町・福島稲荷神社狛犬吽福島市宮町・福島稲荷神社狛犬阿
阿形に比べ、吽形(左)は尾左右の巻き毛の高さの違い、立ち上がった尾が長い。
福島市宮町・福島稲荷神社吽狛犬バック福島市宮町・狛犬阿バック
権現造りの社殿は昭和13年(1938)造営、拝殿は唐破風入母屋造り。
福島市宮町・福島稲荷神社拝殿
















甘露寺受長謹書の扁額「稲荷神社」。
福島市宮町・福島稲荷神社拝殿変額















本殿は鰹木・千木の載せた流造り(西側から)。境内は、東・北・西側に社殿を囲うように高木の樹木群が密生しているため、本殿左側の御神木「楡」(市天然記念物)が分かりません。
福島市宮町・福島稲荷神社本殿
















社殿右(東)に境内社が祀られています。
福島市宮町・福島稲荷神社境内社
















左に沢山の石が奉納された「足尾神社(石祠)」、石で足を摩ると足の病に御霊験あらたかとされ、かつては本殿裏手に祀られていた道祖神(猿田彦命)です。
福島市宮町・福島稲荷神社の足尾神社(石祠)
















右に「こぶがならさま」で親しまれている「古峰神社」(祭神日本武尊)、例祭(初午の日)で火伏祈願の湯立て神事が行われます。
隣に魁稲荷神社(祭神倉稲魂命)。
福島市宮町・福島稲荷神社の足尾神社と古峰神社
















日通足尾神社(祭神猿田彦命・石祠)。
福島市宮町・福島稲荷神社の日通足尾神社と力石
















江戸期から明治期、各地で若者たちの力試しに使われた丸石(重量63K)を奉る力石神社。
福島市宮町・福島稲荷神社境内社力石神社















北東角に幕末の長州藩士「世良修蔵霊神碑」。
慶應4年(1868)、城下の旅籠金澤屋で仙台・福島藩士に襲撃を受け、阿武隈川河原で斬首に処されました(享年34歳)。
碑面には世良修蔵、長州藩士勝見善太郎や従者の名が刻まれ、薩摩藩士黒田了介(清隆)、長州藩士品川弥次郎、長州藩橘正風、橘正郎4名が寄進した石灯籠、
奥に橘正風建立の歌碑「志のふ連盤 その五月雨能夕ま久れ 奈み當乃川の那みな良ぬ可奈」(しのぶれば その五月雨の夕まぐれ なみだの川のなみならぬかな)。
福島市宮町・福島稲荷神社・世良修蔵霊神碑
















御朱印。
御朱印福島市宮町・福島稲荷神社























福島県伊達郡伊達町(現・伊達市)のマンホール

平成18年(2006)1/1、月舘町 粱川町 保原町 霊山町が合併して伊達市が発足しました。
福島県伊達市・汚水(モモ)


川原町で撮影。





汚水用には「町章」、
町の花「モモ」、下部に「町の花もも」、「だて」文字がデザインされています。








福島県伊達市・汚水枡






「町章」、文字が大きい汚水枡。








福島県伊達市・消火栓


下志和田で撮影。







「町章」、頭に「消防徽章」の纏をデザインしたカラー消火栓。







福島県伊達市・空気弁










「町章」、JIS規格のカラー空気弁(七宝・ドット)。









福島県伊達市・仕切弁







カラー仕切弁。







福島県伊達市・防火用水槽








「徽章」内に「町章」、「伊達町」文字のカラー防火用水槽。











福島県伊達市・排泥弁


田町で撮影。




カラー排泥弁。














福島県福島市松川町浅川若宮・若宮八幡神社

旧浅川新町村の村社・若宮八幡神社(字若宮地内)は、旧奥州街道(県114号)沿いの東丘陵に鎮座。

創建年代等は不詳とされますが、慶長年間(1596~614)浅川新町宿(若宮宿)の開設時には小祠が祀られていました。 後の正保年間(1644~8)南東向きだった社殿は、参拝その他の便宜等から西向きになりました。
厄除け 子孫繁栄 交通安全などに御霊験あらたかな祭神「誉田別命」を安置。

浅川若宮(旧若宮新町宿)の入口、社頭に御神燈一対。
福島市浅川若宮・八幡神社社頭
















社号標「村社八幡神社」、注連縄が掛る明神鳥居。
参道は後方(東)の丘陵高台へと伸びています。
福島市浅川若宮・八幡神社鳥居
















古樹に覆われた参道(石段)。
福島市浅川若宮・八幡神社参道
















途中右奥に火伏の神・境内社「秋葉大神」(祭神・四面軻遇突智命)、石塔群が祀られています。
福島市浅川若宮・八幡神社参道途中の境内社と石塔群
















祠内には左右に面が祀られています。
福島市浅川若宮・八幡神社境内社内
















奥には上部に梵字の三山碑 二十三夜搭 申 妙見等の石塔群。
福島市浅川若宮・八幡神社参道途中の境内社奥の石塔群
















社殿は享保7年(1722)造営、文久7年(1863)再建。
拝殿は昭和7年(1932)屋根替えされています。
福島市浅川若宮・八幡神社拝殿
















扁額「鎮守八幡神社」。
福島市松川町浅川若宮・八幡神社扁額
















向拝には朱の彩色が施された「龍」、頭貫「マツ・小鳥」。
福島市浅川若宮・八幡神社拝殿向拝
















左木鼻「象」。
他社でよく拝見する象は面長ですが、丸顔で大きな耳、彩色が施された口には歯の様な彫があるのが印象的、欅の木目も美しく見惚れてしまいました。
福島市浅川若宮・八幡神社左木鼻
















右木鼻。
福島市浅川若宮・八幡神社右木鼻
















今も深い鎮守の杜を形成していますが、往時、境内には御神木「老松」、スギ等が鬱蒼と林立していたそうです。
南西からの拝殿。
福島市浅川若宮・右からの拝殿
















段上の本殿(流造り)左右には石段が付けられ、左(北)側は明治42年(1909)建立「天照皇太神」が祀られています。
福島市浅川若宮・八幡神社本殿左面
















本殿には、手挟や懸魚両側に「牡丹」、虹梁の上には海老等見事な彫刻が施されています。
向拝「龍」。
福島市浅川若宮・八幡神社本殿向拝龍
















左(北)木鼻「唐獅子・象」
福島市浅川若宮・八幡神社本殿左木鼻















右木鼻。
福島市浅川若宮・八幡神社本殿右木鼻















左脇障子「昇り竜」、右脇障子「降り龍」。
福島市浅川若宮・八幡神社本殿左脇障子福島市浅川若宮・八幡神社本殿右脇障子
透かし彫りが際立つ裏側(東)。
福島市浅川若宮・八幡神社本殿左脇障子裏福島市浅川若宮・八幡神社本殿右脇障子裏
胴羽目三面には中国故事に因む彫刻が施されています。
左(北)胴羽目「獅子の子落とし」。
福島市若宮浅川・八幡神社本殿左胴羽目彫刻
















右(南)胴羽目「竜虎の戦」。
右福島市若宮浅川・八幡神社本殿胴羽目彫刻















後ろ(東)胴羽目「瓶割之図」。
福島市松川町浅川若宮・八幡神社本殿後ろ彫刻
















社殿は、旧浅河村名主・村長の長南要助の寄進で、後ろ胴羽目の右下に「浅河村 長南要助」、左下には彫師「越後村上 藤原信光彫之」の銘が刻まれている。
福島市松川町浅川若宮・八幡神社本殿彫刻匠名














本殿の右(南)側には石祠、右に御神燈と神輿庫、その右手が女坂になっています。
福島市浅川若宮・八幡神社本殿と神輿子
















北側に昭和初期の拝殿屋根吹替え碑、段上に石搭が祀られています。
福島市浅川若宮・八幡神社境内左段上の石塔群
















「両皇太神宮」(左)、「八雲大神 熱田大神」(明治35年建立)
福島市浅川若宮・若宮八幡神社境内左段上の石塔
















参道途中から社頭と奥州街道。
福島市浅川若宮・八幡神社参道から社頭方面


























福島県福島市松川町諏訪山の松川諏訪神社

松川諏訪神社(字諏訪山4)は、奥州街道沿いから北西の丘陵地に鎮座。
由緒等は不明ですが、享保初期(1716~)北諏訪原から現在地に遷座と伝わり、明治12年(1879)村社に列しました。
祭神「建御名方命」を安置。

県52号沿いに社号標「諏訪神社」、参道は西の丘陵に伸びています。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社社頭
















信州高遠の石工による天明3年(1983)造立「明神鳥居」。
福島市松川町諏訪・松川諏訪神社鳥居
















柱後ろに石工名が刻まれ、中心部が太い注連縄が掛けられています。
福島市松川町諏訪・松川諏訪神社鳥居の注連縄」
















参道。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社参道
















境内右に樹齢430年を越す「諏訪山のシダレ桜」(県みどりの文化財)。
天正年間(1573~92)伊達正宗が江戸から桜の苗木を買い付け、仙台への途次で八丁目宿の人々が頂いた苗木3本のうちの1本。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社の枝垂れ桜
















左に南向きに石祠が祀られ、大黒天の前に手水鉢。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社手水鉢
















小槌を持ち、俵に座す大黒天石像。
福島市松川町諏訪山b・松川諏訪神社手水鉢後ろの大黒天石像
















社殿は江戸期に発生した本町の火災で類焼後に造立されています。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社拝殿
















向拝には、目と口に彩色された「2匹の龍」、扁額「洲羽神社」。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社向拝
















三方(東・北・西)をスギ等の社叢で囲まれた社殿(東側から)。
福島市松川町諏訪・松川諏訪神社拝殿(右から)
















神紋「梶紋」の賽銭箱。
福島市松川町諏訪の松川諏訪神社賽銭箱














流造りの本殿には、欅の木目を生かした見事な彫刻が施されています。
正面扉の両脇「マツ・昇・降龍」、木鼻「花や唐獅子」、虹梁上に「花(牡丹・菊等)・鳥」。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿右
















左脇障子「降り龍・雲」(左写真)、右脇障子「昇り龍・雲」。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿左脇障子前福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿右脇障子前
後面の左脇障子「雲間の上部に龍の体の一部」(左)、右脇障子「雲間の下部に龍の体の一部」。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿左脇障子裏面福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿右脇障子裏面
左右鬼板の「鬼」。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿屋根の鬼右福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿屋根の鬼左
西側からの本殿。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社本殿左側
















拝殿左側に伊勢大神宮・双神霊・天照大神等の石塔群。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社の石塔群
















石塔群右に「天照皇大神宮 豊受大神宮」が祀られています。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社の天照皇大神宮豊受大神宮
















本殿左(西)に石祠、前に「諏訪大石碑」、本町・八丁目宿本陣前から移された火石が「石尊大権現」として祀られています。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社の火石






















奥州街道⑦境川~南福島駅

夜行バスで郡山駅に到着後、始発で金谷川駅(6:47着)へ。 バスで二本松市吉倉まで戻り境川から歩きます。
「行程」
金谷川駅・・福島大学バス停・・境川(7:22)・境川橋~立正院~八丁目宿・枡形・天満天神宮・町並み・松川橋(東~西)・西光寺・天明大飢餓の収骨塚・芭蕉句碑他・土合館跡(土合館公園)・土蔵造り民家・中町稲荷神社・明治天皇御駐輦碑・松川村道路元標・米沢街道追分(中町三叉路)・八丁目城址・米沢街道分岐点・追分道標・馬宿赤浦屋跡・本陣跡(桜内商店)・本町の町並み・検断問屋植木家・松川諏訪神社・常光院・野地地蔵尊・常圓寺子安観音堂・馬頭観世音菩薩・相馬道追分・六地蔵道標~美郷ガーデンシティ沿いの石仏・〃の下り坂~浅川踏切~旧道口~祠・石碑・金谷川道路元標・馬頭尊~富士浅間神社~浅川新町宿(若宮宿)・八幡神社・集落外れ(宿出口)~街道復帰点~石塔群~清水町宿・宿図・出雲大神宮・町並み・芙蓉・宿三叉路・中興禅寺・藤原宗興卿歌碑・北口上り坂・根子町土人形~清水宿北口~清水町一里塚跡~跨線橋~忠魂碑~共楽公園内の街道・弘法大師堂・伏拝石・馬頭観世音・共楽園からの景~伏拝舟繋石~旧道下り坂~須川南宮諏訪神社~杉妻村道路元標~濁川~南福島駅(14:41)

「福島市」(松川町浅川)
東北本線・金谷川駅 明治42年(1909)10/18開業 業務委託駅。
東北本線・金谷川駅















福島大学バス停」。
7:05発に乗る為、福島大キャンパスを速足で抜け、バス停に到着したのが2分後、一足違いだったようです。次便まで約30数分もあり、ガックリしていた所に5分遅れのバスが到着、ホッとしました。
福島市・福島大学バス停
















「二本松市」(吉倉境川)
古天神バス停で下車、水原川支流の「境川」から歩きます。
寛保3年~天保3年(1743~832)境川(安達と信夫の境の川)一体は、かつての二本松藩領と福島藩領との境で、上杉時代には戦略上の重要地点から口留番所が置かれ、永久橋の架橋が許されませんでした。
その為、狭い木橋は抜け落ちたり、増水による流失等で村人達は難儀していました。
二本松市・福島市の境・境川
















「福島市」(松川町字信夫隠(しのぶかくし)
境川橋の渡り詰めで福島市(福島藩領)松川町信夫隠に入ります。
地名「信夫隠」は、取場(安達郡 ⑥で記載)から下って境川を渡り八丁目に入ると、地形上から信夫の里が見えなくなることに由来します。
二本松市吉倉境川・境川橋
















先の十字路を左折した「立正院」前に、境川橋の袂から移された「橋供養碑」(左)と慶應2年(1866)建立「信夫隠の歌碑」があります。
「橋供養」と刻まれた供養碑(高さ140cm)は、文化年間(1804~18)丈夫な橋の許可がおり、八丁目 鼓ケ岡 天明根(松川町) 吉倉(安達)各村の人夫達により永久橋(石橋)に架け替えられた時、村人達が通行人の安全と橋の長句を祈願し袂に建立した碑で、この習わしは明治期頃まであったそうです。

又、信夫隠の歌碑は、信夫の里が見えなくなることに因む万葉仮名碑で、「おもひやるこころのおくをもらさしと しのふかくしはそでかたもとか」と碑文が刻まれています。
福島市松川町・立正院の橋供養碑・信夫隠の碑
















(松川町古天神~八丁目)
八丁目宿は、八丁目城の築城の際、南方の字宿地から移転させられた集落で、宿並みは本町・中町・天明根町・向町で形成されていました。 米沢街道と相馬街道との合流点で、二本松城下と相馬城下の中間点でもあることから、奥州屈指の繁栄を誇った城下町でした。
宿名は、藩境「境川」から8丁目にあることに由来します。

宿入口の枡形跡
福島市松川町・八丁目宿入口の枡形跡
















宿口に祭神「菅原道真公」を奉る天満天神宮
久安年間(1145~50)宿地本西に祀られていましたが、奥州征伐の戦火で衰退。後々、幾多の戦乱等の変遷を経て、元禄年間(1688~704)西光寺住職秀永法師が現在地に社殿の再建に努め、正徳4年(1714)社殿が再建されました。
江戸期の八丁目の匠による鰐口が安置され、境内には2代目「飛梅」があります。
福島市松川町・八丁目宿入口の天満天神宮
















八丁目の町並み。
福島市松川町・八丁目宿町並み
















(松川町町裏~中町)
水原川(旧松川)に架かる石橋「松川橋」(東側)。
明治18年(1885)福島の信夫橋が十三メガネ橋として建設されることを知り、戸長らが松川町にもメガネ橋を架けようと日夜奔走、同年、信夫橋と同石材の空石積工法による石橋が完成。
昭和初期の河川改修で農業用の取水路となり、すぐ先に天明橋が架けられました。
福島市松川町・松川橋(東)
















住民の熱意で残された名橋「松川橋」(西側)。
福島市松川町町裏・松川橋(西9
















渡り詰め左に、14代伊達稙宗による八丁目城の城下町が成立した際、字宿地から現在地に移った「西光寺」。
本尊「木造阿弥陀如来坐像」(県文化財)は、宝暦10年(1760)奈良・東大寺より当山に迎えられ、平安末期作・漆箔造り。
福島市松川町町裏・西光寺と水原川
















境内には芭蕉句碑(右) 八丁目の文化を代表する加藤紫明句碑(左) 歌碑 馬頭観世音 庚申塔等の古碑群があります。
福島県福島市松川町町裏・西光寺の石塔群















本堂裏手に、天明大飢饉の屍を葬ったとされる収骨塚(左)。
福島市松川町町裏・西光寺の天明大飢餓の収骨塚















天明橋から右手に見える丘陵は、八丁目城の支城「土合館跡」(土合館公園)です。 
天文年間(1532~54)清野備前守(八丁目城主清野遠江守の父)が隠居したことから隠居館とも云われ、空堀等の館跡の遺構があります。
橋を渡ると、前回帰途に着いた天明根バス停です。
「福島市松川町・天明橋と土合館跡の丘陵
















中町の土蔵造りの民家。
福島市松川町中町の土蔵造り民家














中町稲荷神社」は、古くは西舘(八丁目城)の城下・字稲荷に鎮座していましたが、明治33年(1902)現在地に遷座され、祭神「稲倉魂命 級長津彦命」を安置。
八丁目三稲荷の一つで、鼓ケ丘 天明根 八丁目の総鎮守です。
福島市松川町中町・中町稲荷神社
















境内には、中町交差点から移された「松川村道路元標」(左写真左下)、御神木の傍らに「明治天皇御駐輦之地碑」
福島市松川町中町・中町稲荷神社の松川村道路元標福島市松川町中町の中町稲荷神社の明治天皇碑
街道筋には宿場の趣は感じられませんが、さりげなく店先に「旅籠水戸屋」 「旅籠桝谷」等の木製看板が置かれ、すぐ先の中町交差点(丁字路・県52)が米沢街道の追分です。
福島市松川町中町・旅館ますや
















丁字路正面に桜内家(本陣)の祖・桜内対馬守が創建した「常念寺」。
福島市松川町中町・常念寺の石塔群
















境内西には、高さ2.3m以上・異なる書体「南無阿弥陀仏」の「名号塔」3基(左)、向かいの祠に像高1m「十一面千手観音像」(右)、地蔵菩薩像等石仏石塔群が祀られています。
福島市松川町・常念寺の名号塔福島市松川町・常念寺の先手観音
(松川町字愛宕~伊藤)
街道はこの丁字路(枡形)を右折しますが、左折(西)して米沢街道(県52)を進みます。

前方に、戦国期に陸奥守護・桑折西山城主・伊達稙宗(伊達政宗の曽祖父)が支城として築いた山城「八丁目城址」。
当初、堀越能登守の居城でしたが、天文11年(1542)父子の「天分の乱」の戦場となり、勝利した奥州探題 米沢城主・晴宗(稙宗の子)が、清野備前守・遠江守父子を城主に据えました。
天正2年(1574)大森城主・伊達実元(晴宗の弟)が奪回し、隠居後は子・成実に、又、14年(1586)以後は伊達政宗の臣・片倉小十郎景綱(大森城主)が支配しましたが、18年(1590)秀吉の奥州仕置で破却となる。
山中には愛宕神社が祀られ、標高250mの頂には平場 空堀 土塁等の城構えが遺されています。
福島市町川町・八丁目城址
















県52号は、城址の山裾を回り込むように北西に向きを変え、先の三叉路で米沢街道は右に分岐、分岐点左に標柱「米沢土湯街道の分岐点」(〇内)があります。
福島市松川町伊藤・米沢街道分岐・標柱
















この分岐点を上ると、正面「庚申塔」、右面「右 大も(毛)り道」、左面「左 つちゆ道」と刻まれた宝暦12年(1762)建立「追分道標」があり、八丁目宿が交通の要所だった往時を偲ばせています。
福島市松川町愛宕・庚申塔道標福島市松川町愛宕・庚申塔道標側面
(松川町本町~諏訪山~水晶沢)
中町交差点(丁字路・追分)に戻り、本町交差点(三叉路)との中間辺り、左空き地辺りは馬宿「赤浦屋跡」(鈴木家)。
馬12頭が繋げ、奥まで見通せる広い内馬屋(間口7間・奥行12間)で、馬喰は馬小屋の上や中二階を寝場所とし、八丁目宿には鈴木家本家(隣家)の2軒だけでした。
江戸後期築・鈴木家の建物(県文化財)は、昭和中期に川崎民家園(川崎市多摩区)に移築されています。
福島市松川町・馬宿赤浦屋跡(左空き地)
















突き当りの本町交差点(三叉路)正面に「本陣跡」(桜内商店)、右側に標柱「八丁目本陣跡」があります。
江戸末期の記録では、松前藩 津軽藩 佐竹藩 仙台藩等12藩を数える諸大名、旗本等の宿として用いられ、敷地三千坪(1万㎡)を有していました。
各藩の関札一部が県立博物館に保管されています。
福島市松川町本町・八丁目宿本陣跡
















本町の町並み。
福島市松川町本町・八丁目宿本町の町並み
















左に問屋・検断を努めた植木家
福島市松川町本町・八丁目宿検断問屋跡の植木家















街道は先の三叉路交差点を右折しますが、交差点左奥に、享保初期に北諏訪原から現在地に遷座した「松川諏訪神社」(祭神・建御名方命)。
参道口に信州高遠の石工による天明3年(1783)造立「大鳥居」(明神鳥居)、社殿は江戸期の大火で焼失後に造営され、本殿には欅の木目を生かした彫刻が施されています。    
 ※詳しくはこちらを
福島市松川町諏訪・松川諏訪神社鳥居

















社殿左奥に本町の本陣前(桜内家)から移され、石尊大権現として祀られている「火石」。
福島市松川町諏訪山・松川諏訪神社境内の火石
















南側に、大同年間(806~10)創建の古刹「常光院」(本尊大日如来)。
往時は浅川の寺屋敷に、後、本町の馬宿赤浦屋(前述)の北側に移り、正徳6年(1716)現在地に移転、松川諏訪神社の元別当です。
福島市松川町諏訪山・常光院
















本堂前に、享保2年(1717)後3年の役の功で、野地家が戦役諸霊・先祖代々の菩提で建立した露仏「野地地蔵尊」。
福島市松川町諏訪山・常光院の野地地蔵尊
















東側の「常圓寺」境内に「子安観音堂」(新信夫三十三観音第二十番札所)、三十三夜塔 庚申 青面金剛等石仏石塔群が祀られています。
福島市松川町水晶沢・常圓寺の子安観音堂と石塔群
















(松川町石合町)
三叉路交差点を右折(東)すると石合町です。左の青麻山の頂に延宝年間(1673~80)帰農した信濃武士・斎藤六右衛門が青麻神を信仰したのが起源とされる「青麻・粟島神社」(祭神「大日靈女命 月読命 加々瀬男命)、中風に御霊験あらたかと信仰されています。
すぐ先、斉藤氏の敷地北側に文化5年(1808)造立「馬頭観世音菩薩立像」。
像高1.63m・彩色跡がある三面八臂合掌の舟形光背像で、県北部最大の石像です。
福島市松川町石合町・馬頭観世音
















先の交差点(変則十字路)は「相馬街道の追分」(左奥州・右相馬)です。
福島市松川町石坂・相馬街道分岐点
















交差点(相馬道入口)角に塔高1.6m「六地蔵道標」。
元禄8年(1695)、信夫郡八丁目町・杉内忠兵衛政軌が奥州・相馬道の追分に建立、竿部に「従是南相馬道 従是西 北往還道」、と刻まれ、火袋各面の「地蔵」陽刻から六面地蔵とも呼ばれている。 
昭和中期の道路建設で、北10mから南東の現在地に移されました。
福島市松川町石坂・相馬街道分岐点の六地蔵道標
















(松川町美郷~浅川辻~浅川上幸道)
左折して細い上り坂を北上、美郷ガーデンシティ(新興住宅地)を抜けていきます。
福島市松川町美郷沿い・石仏
















ピークにさしかかると、左の植え込み内に馬頭観世音(舟形三面六臂合掌・建立年代不明)。
福島市松川町美郷・馬頭観世音


















下り坂になり、正面に県114号と浅川辻の集落が見えてきました。
福島市松川町美郷の下り坂
















浅川踏切で東北本線を渡ると上り坂となり、先で県114号に合流。
福島市松川町浅川辻・浅川踏切1
















(松川町浅川笠松~幸道~仲松)
浅川幸道で右前方の旧道へ。東北本線高架の先で県114号に合流しますが、手前右にが祀られています。
福島市松川町浅川辻・浅川上幸道の馬頭尊堂
















堂内には、天井までの大きな石碑が祀られていますが、神殿幕と紙垂で一文字「両」だけしか見えません。
福島市松川町浅川辻・旧道の馬頭尊















合流点左に金谷川村道路元標(町史跡)、奥に大正11年(1922)建立「馬頭尊」。
福島市松川町浅川辻・旧道合流点の道路元標















(松川町浅川中屋敷~向坂)
信号交差点(県193・307)を右折、浅川第4町会集会所手前に「富士浅間神社」(祭神木花作邪姫命)。
延宝元年(1673)駿府富士浅間神社を勧請、社殿前に樹齢300年・樹高25m御神木「イタヤカエデ」、蚕養神 須佐之男神 庚申等石塔群が祀られています。
境内は豊かな杜ですが、かつては藤や杉等の大樹があり、“浅川八景の一つ”として地元の名所でした、又、戦後境内で保管された金谷川国民学校奉安殿は、黒沼神社の御霊社(再生)とされています。
福島市松川町浅川中屋敷・富士浅間神社
















街道は長く緩やかな上りに入ります、今朝、乗り込んだ福島大学バス停(右側)近くに白色の地蔵菩薩立像、ピークを過ぎた右に馬頭観世音、庚申塔等石塔群が祀られています。
福島市松川町浅川向坂の馬頭観世音・庚申等
















(松川町浅川若宮)
間の宿浅川新町宿は、慶長年間(1596~1614)石川郡浅川村(現・〃浅川町)から移転させた集落で形成され、宿口に八幡神社を奉ったことから若宮宿とも呼ばれました。
大きく右カーブして浅川新町宿に入ります。
福島市松川町浅川若宮・浅川新町宿枡形
















宿口右に旧浅川新町村の村社「八幡神社」(祭神誉田別命)。
宿場町の開設当時は小祠でしたが、正保年間(1644~8)参拝等の便宜の為、氏子達により社殿が南向きから現在の西向きに変えられました。享保7年(1722)再建の本殿には、越後村の匠による見事な彫刻が施されています。
※詳しくはこちらを
福島市松川町浅川若宮・八幡神社拝殿
















町並みは約350m、宿外れで大きく右カーブしていきます。
福島市松川町浅川若宮・若宮宿出口辺り















(松川町浅川中ノ坂~北峯)
街道(旧R4号)は、坂ピークを過ぎるとR4号で分断されている為、R4号を潜り街道に復帰、左のR4号とやや並行しながら北上します。
福島市松川町浅川中ノ坂・R4と旧R分岐点
















(蓬莱町)
下りになり、信号交差点(三叉路)を過ぎると右に南阿弥陀陀仏、庚申塔等の石塔群
福島市蓬莱町・石塔群(株・ムナカタ左側)















(清水町宮ノ脇~寺ノ上~東裏)
間の宿清水町宿は、新道を切り開く際、絡み合う木の根で歩行困難から、伊達政宗が根子町宿と命名。後、寛文11年~延宝2年(1671~4)総検地の際、清水町に改められ、町並みは約550m。
又、江戸後期より堤人形の流れを汲み、素焼土に和紙を張り描彩を施した軽い「根子町人形」が名産品となりましたが、明治期の宿場衰退と共に廃絶に至りました。
村名は町外れにある清水に因みます。

街道は北東に大きく折れながら間宿清水町宿に入ります。
福島市蓬莱町・清水町宿入口
















左に清水町宿の鎮守「出雲大神宮」(祭神 素戔嗚命 大己貴命)。
金売吉次の父といわれる炭焼藤太と阿姑娜姫に因む伝説が伝わり、天明2年(1782)石名坂から現在地に遷座されました。
文化11年(1814)奉納「木彫大黒天像」、文政6年(1822)奉納絵馬「海波旭日飛鶴図」等多くの神宝が保存されています。
福島市清水町宮の脇・出雲大神宮
















古い家並みが残る町並み。
福島市清水町宮ノ脇・清水町宿の町並み















今日は前回(36℃)を上回る気温38℃、風もなく強烈な日差しに時折クラクラします。
街道沿いには猛暑も何のその、夏の花芙蓉
福島市清水町宮の脇・葵の花
















街道は中興禅寺前の三叉路で北西に折れます。
福島市清水町・清水町宿北口の三叉路
















分岐点右に延宝2年(1674)創建、曹洞宗「中興禅寺」(本尊釈迦如来)。
福島市清水町宮ノ脇・仲興禅寺
















文政9年(1826)建立「馬頭観世音」等の石仏石塔群の中に、藤原宗興卿歌碑「とても身の 旅路に消へば塩釜の 浦のあたりの煙ともなれ」。
安永3年(1774)宿場で倒れた藤原宗興卿が、亡くなる時に詠んだ和歌で、享和3年(1803)宿の人々が建立しました。
福島市清水町・中興禅寺の石塔群















三叉路の坂を50m程上ると、右に根子町人形の窯元で、明治天皇御巡行で2回小休所(9年・14年)とされた「旅籠仙台屋跡」。
福島市清水町・清水町宿北口近くの仙台屋
















根子町人形とは、「江戸末期、嫁いびりに耐えかねた仙台堤人形窯元の嫁が、人形師と共に江戸へ出奔途次、病にかかり宿北口の旅籠仙台屋に逗留。その間、人形師が造った堤人形が評判となり、仙台屋主人も伝授を受け、自ら窯元として製作したのが始まり。」

縮図には、宿口の出雲大神宮隣に吉野や、三叉路を折れた右に仙台や、隣に旧吉野やが記されていますが、古くは仙台屋と軒を並べ根子町人形を伝習したとされています。
清水町宿図(市HPより転載)。
福島市清水町・清水町宿図1





















集落外れ(宿出口)で根子町人形の活動をしている地元の青年に声を掛けられ、「根子町人形写真展」の案内パンフを頂きました。
写真パネル展 福島の土人形 根子町人形
場所:チェンバおおまち1Fフリースぺース(市内大町4-15)
会期:8/7日~18日(日曜休館)
清水町宿・根子町人形(資料)











又、その際、桃とタブレットも頂きました。 炎天下に少々熱中症気味でしたので、早速、日陰で御馳走に。
甘い香りと皮から果汁があふれ出て本当に美味しかったです。
福島市清水町宮ノ脇で頂いた桃















清水町宿の北口(出口)。
福島市清水町・清水町宿北口
















坂を400mほど進むと、右に「清水町一里塚跡」説明版。
「慶長9年(1604)家康が江戸日本橋を起点とし、東海道 東山道(奥州街道) 北陸道三街道に一里(四粁)毎に街道両側に、榎や松を植えた五間(九米)四方の塚を築かせ、旅行者に便宜を与え路程表の役割を果たした。後、三街道以外にもこの制度を広め、諸藩もこれにならい脇街道に築いたが、天明期頃には原型を失うものが多かったという」(説明版)。
福島市清水町宮ノ脇・一里塚跡説明版
















(清水町字赤根坂)
先でR4号に架かる跨線橋を渡ると、林道の尾根道に。
福島市伏拝・原高屋跨線橋
















(伏拝字行人前~行人下~行人脇)
約600m程進み、右の山林を入ると日露・太平洋戦争戦没者169名を刻む大正3年(1914)建立「忠魂碑」、大正2年(1913)大正天皇即位記念で建立された「共楽園記の碑」や石灯籠があります。
福島市伏拝・忠魂碑
















往時の道幅を保つ街道は、天正年間(1573~92)伊達政宗により整備された共楽公園内を貫きながら北上します。
福島市伏拝・共楽公園内の街道
















園内西側の高台に「弘法大師堂」が祀られ、明治9年(1876)奥羽巡幸で立ち寄られた「明治天皇伏拝拝御野立所碑」があります。
福島市伏拝・共楽園の弘法大師堂と明治天皇碑
















左後方に、信達平野が湖水だった頃、信夫三山の参拝は湖水を渡れずここで伏し拝んだ」と伝承され、地名に因む「伏拝石」、傍らに小祠、石仏石塔群が祀られています。
福島市伏拝・共楽園の伏拝石
















西側から市街地。
福島市伏拝・共楽園からの市街地
















北側の壇上に、文化2年(1805)飛脚問屋・島屋が道中安全を祈願して建立した「馬頭観世音」。
福島市伏拝・共楽園出口の馬頭観世音
















急坂を一気に下る。
福島市伏拝行人脇・旧道下り坂
















途中右民家脇に、景行天皇の代、日本武尊が東夷征伐の時に舟を繋いだと伝わる「伏拝舟繋ぎ石」、“ビッタラ石”とも呼ばれています。
坂下で市道(旧R号)に合流、左折して下ります。
福島市伏拝行人下・伏拝舟繋石
















伏拝清水内~桶水~永井川段ノ腰)
左に創建年代等は不明ですが、諏訪大社を勧請した「須川南宮諏訪神社」(祭神建御名方神)。
参道沿いに弁財天供養塔(天明期)・庚申塔(安永期)・金毘羅塔(享和期)など石塔群、石段上に境内社「稲荷・美水神社」が祀られています。
福島市伏拝清水内・須川南宮諏訪神社社頭
















高台の境内は広く、東向きに社殿、南側段上に境内社や妙見 雷神 馬頭尊等の石塔群が祀られている。
福島市伏拝清水内・須川南宮諏訪神社社殿
















信号交差点(三叉路)を過ぎた右に「杉妻村道路元標」(旧杉妻村役場跡)。
福島市伏拝桶水・杉妻村道路元標















北東3.6Kの南町で阿武隈川に注ぐ濁川
福島市伏拝桶水・濁川
















今日は福島駅までの予定でした。時間はまだ十分ありますが、水分補給が間に合わない程の酷暑の為、無理せず南福島駅で終了。 福島駅から新幹線で帰途に着きます。
南福島駅 (昭和37年(1962)4/5開業 業務委託駅)
東北本線・南福島駅
















2018.8/1(快晴)。





福島県福島市のマンホール

※市章は、9個の「フ」文字を周囲に、「マ」文字を4文字組み合わせて「福島」を表しています。
福島県福島市・汚水


松川町浅川で撮影。





汚水用には、日本一の大わらじが奉納される信夫山・羽黒神社の「福島わらじ祭り」がデザインされています。









福島県福島市・カラー汚水(わらじ祭り・グリーン)


黒岩遠沖、県362号で撮影。





カラー汚水用。










福島県福島市・カラー汚水(わらじ祭り・ベージュ)


山口文知摺、遊歩道で撮影。
















福島県福島市・カラー汚水(わらじ祭り・・ピンク)




















福島県福島市・汚水(5分割)


清明町で撮影。






市章外枠内に「市の花」文字、5枠右上から「サツキ」、「サザンカ」、市の花「モモ」、「キク」、「ヤマブキ」をデザインした枠付








福島県福島市・汚水(桃・欅・シジュウガラ)枠無








市の木「ケヤキ」、市の花「モモ」、市の鳥「シジュウガラ」の汚水用。










福島県福島市・からー汚水(桃・欅・シジュウガラ)枠付き


郷野目で撮影。





同デザイン枠付き汚水用。
黄色の地色があることからカラーだと思われます。









福島県福島市・汚水H(桃・欅・シジュウガラ)







市の木「ケヤキ」、市の花「モモ」、市の鳥「シジュウガラ」、「O ⇔ S」の汚水枡(径約30㎝)。












福島県福島市・汚水H(桃・欅・しじゅうがら)


蒲田橋本で撮影。






「O ⇔ S」が無いカラー汚水枡(径約30cm)。









福島県福島市・汚水桝(プラ)


清水町宮ノ脇で撮影。




「市章」入り汚水枡(プラ)。








福島県福島市・汚水桝(鋲)


伏拝で撮影。





「市章],スリップ止め(鋲)の汚水枡。








福島県福島市・汚水桝(丸・ドット)


伏拝行人前行人森・共楽公園内で撮影。






「市章」、汚水枡(〇・ドット)。








福島県福島市・汚水桝JIS


東北本線・南福島駅付近で撮影。






「市章」、汚水枡。








福島市・汚水枡(鍵穴角)


蓬莱町で撮影。





鍵穴「凵」の形の違い、3段模様の汚水枡。







福島県福島市・雨水JIS


松川町石坂で撮影。






「市章」、JIS規格雨水用(亀甲)。










福島県福島県福島市・雨水(下水)JIS


清水町宮ノ脇で撮影。






「市章」の外枠に「下水」文字のJIS規格雨水用(鎖)。









福島県福島市・JIS汚水(下水文字)


清明町で撮影。






穴に鋲を打ち込んだJIS規格汚水用(鎖)。










福島県福島市・自記録計


清水町宮ノ脇で撮影。






「水」文字入り「市章」、カラー自記録計。









福島県福島市・排水調整弁室


蓬莱町で撮影。






排水調整弁室。









福島県福島市・空気弁


松川町伊藤で撮影。






カラー空気弁。









福島県福島市・カラー仕切弁







「市章」、100φカラー仕切弁(ドット)。









福島県福島市・仕切弁250


松川町愛宕で撮影。






「↑」、250φのカラー仕切弁。








福島県福島市・仕切弁300








「↑」、300φのカラー仕切弁。











福島県福島市・仕切弁


松川町水晶沢で撮影。





「市章」の外枠内に「水」文字の仕切弁。







福島県福島市・排水弁


松川町石坂で撮影。





排水弁。







福島県福島市・JIS排水弁


中町で撮影。





排水弁(テトラポット)。











福島県福島市・排水弁100


松川町愛宕で撮影。





左側に「↑」、100φの排水弁。









福島県福島市・消火栓


松川町伊藤で撮影。






「梯子車」に「水」文字入り「市章」のカラー消火栓。









福島県福島市・カラー消火栓


山口文知摺で撮影。






ブルー枠の「消火栓」文字、「梯子車」が小さく、テトラポットが多い同デザイン消火栓。









福島県福島市・カラー消火栓1


伏拝桶水で撮影。






カラー違いの消火栓。









福島県福島市・消火栓(角JIS)


松川町水晶沢で撮影。





角型消火栓。








福島県福島市・減圧弁親子


蓬莱町で撮影。






JIS規格親子蓋の減圧弁(亀甲)。









福島県福島市・量水器







量水器。











新宿区西新宿の成子天神社

成子天神社(西新宿8-14-10)を参拝します。
平安期の延喜3年(903)菅原道真公の没後、生前に彫られた公の像を家臣が持ち帰り、柏木村鳴子の地を菅公の神域として祀ったのが起源とされます。
後の鎌倉期、源頼朝が社殿を造営するなど篤い崇敬を受けてきました。慶長期(1249~56)3代家光公より柏木鳴子の地を賜り、後、柏木村から成子村が分村して、寛文元年(1661)現在地に移転して柏木村と成子村の鎮守となる。
明治27年(1894)成子神社に改称、昭和3年(1928)現社名に改称されました。
天神社(北新宿・鎧神社摂社)が元社で、祭神「菅原道真」を安置しています。

青梅街道沿いの表参道には、灯籠 恵比寿 毘沙門 大黒天像等、途中に扁額「天満宮」を掲げた朱の明神鳥居。
新宿区西新宿・成子天神社表参道口
















手水舎、正面に神門。
新宿区西新宿の成子天神社手水舎と神門
















平成25年(2013)境内にマンション等の高層ビル群が建設され、26年社殿など神社施設が造営されました。手水舎向かいには、かつての鳥居に掲げられていた先代の「石扁額」、横に「梅紋」入り鬼瓦が置かれています。
新宿区西新宿・成子天神社表参道口の先代の扁額















神門には、道真公に因む「雷神(天神)」と「風神」を安置。
新宿区西新宿の成子天神社神門の雷神像新宿区西新宿の成子天神社神門の風神像
右に氏子地域(西新宿6・7・8丁目)の神輿庫。
新宿区西新宿の成子天神社神輿蔵
















左に御神木「夫婦銀杏」。
新宿区西新宿の成子天神社御神木と拝殿
















向かいに撫牛、嘉永4年(1851)建立「石灯籠」、絵馬掛けの後方に社務所があります。
西新宿区西新宿の成子天神社参道の撫牛
















一対の石灯籠には、笠「梅紋」、中台4面「龍」、台石「唐獅子・牡丹」(写真)陽刻。
新宿区西新宿の成子天神社参道沿い灯篭台石の唐獅子とボタン











下段台石の側面「仲町」と刻まれ、上段台石正面に「梅紋」の文政13年(1830)建立「狛犬」。
狛犬吽狛犬阿
尾の形が微妙に違っています。
西新宿の成子天神社狛犬吽西新宿の成子天神社狛犬阿
吽形(左)は植え込みで少し斜撮りですが、尾の形はこんなに違いがあります。
西新宿の成子天神社狛犬吽バック西新宿の成子天神社狛犬阿バック
吽形。
西新宿の成子天神社狛犬吽の顔















阿形は、“しゃくれた”様に下顎が長く出ていて、
両形共に下あごに渦巻き状の彫がある等、初めて拝見する狛犬でした。
西新宿の成子天神社狛犬阿の顔のみ















赤と白を基調とした入母屋造りの拝殿。
西新宿の成子天神社拝殿
















破風板や蟇股等各所に「梅」 「牡丹」 「梅紋」の向拝。
西新宿の成子天神社拝殿向拝















神紋・猪の目の扁額。
西新宿の成子天神社拝殿扁額














拝殿前に、「力」や重量文字(40貫~58貫/150~218K)、奉納者名(又は持ち上げた人の名)が刻まれた江戸末期~明治期奉納「力石」(区有形文化財)。
西新宿の成子天神社力石
















西側に神楽殿、境内社4社。
西新宿の成子天神社神楽殿















神楽殿の右に弁財天像、左から黒社殿の大鳥神社(祭神 日本武尊)、古くより鎮座していた大神宮(祭神 天照皇大神)、鳴子稲荷神社(祭神 宇迦御魂命)、水神宮(祭神 水波能女命)が祀られ、水神宮前に三柱鳥居と井戸があります。
西新宿の成子天神社境内社
















水神宮の先で左に折れると西参道です。
西新宿の成子天神社西参道
















参道沿い左に「仲町 講親」と刻まれた安永4年(1775)造立「手水鉢」、上に足が欠損した狛犬(建立年代不明)。
西新宿の成子天神社西参道の狛犬側面

















風化で顔などでは分かりませんが、頭部に雨だれによる窪みが見られます。
西新宿の成子天神社西参道沿いの狛犬と手水鉢

















尾には朱の彩色跡が残されています。
西新宿の成子天神社西参道の狛犬バック


















社殿の左側(西)の北参道、参道口から右手に境内社浅間神社が見えます。
西新宿の成子天神社北参道
















参道の西側に境内社浅間神社。
西新宿の成子天神社冨士塚入口の鳥居
















溶岩上に祭神「木花咲耶姫命」を祀る境内社「浅間神社」、傍らに「木花咲耶姫命像」。
西新宿の成子天神社の浅間神社
















南側に「成子富士」(区有形民俗文化財)。
大正9年(1920)柏木・角筈(新宿・北新宿)地域の丸藤成子講の人々が、境内の天神山丘陵に富士の溶岩で築いた塚。
区内最後の築造ですが、規模は区内最大です。
西新宿の成子天神社冨士塚全景
















登山道は塚を回り込むように造られ、途中で極狭となります。
西新宿の成子天神社冨士塚の登山道
















頂に祀られている浅間神社小祠。
西新宿の成子天神社冨士塚の頂の本社















頂からの本殿。
西新宿の成子天神社本殿
















御朱印。
西新宿の成子天神社御朱印


















新宿区北新宿・鎧神社

鎧神社(北新宿3-16-18)は、JR大久保駅の北西700mの住宅地に鎮座。
日本武尊が東征の折、甲冑六具を当地に埋めた伝承とされ、平安中期(901~)圓照寺創建の際、寺の鬼門鎮護の神として創建されたのが起源とされます。
社名の起こりは、天慶3年(940)平将門を討伐(承平天慶の乱)した藤原秀衡が、薬師堂に将門公の鎧を埋めたとされ、又、後に病で苦しんでいた秀衡が、公の神霊の祟りと思い、薬師如来(別当・圓照寺本尊)を参拝すると平癒したことから、境内に公の鎧を埋めたとされるなど、諸説あるようです。
江戸期までは鎧明神社と称され、旧柏木村の鎮守として崇敬されてきた古社。
明治初期に現社名に改称され、祭神「日本武尊 大己貴命 少彦名命 平将門」を安置しています。

表参道に社号標「鎧神社」、石扁額「鎧神社」を掲げた明神鳥居。
新宿区北新宿・鎧神社表鳥居
















参道口左(南)に祭神「菅原道真」を奉る摂社「天神社」。
明治中期、旧鎮座地・北新宿4丁目・北柏木公園から境内に遷座され、成子天神社(西新宿)の元の社だったことから元天神とも称されます。
新宿区北新宿新宿の鎧神社・天神社社頭
















参道右に「梅紋」の明治21年(1888)奉納「手水鉢」、社殿(流造り)前に享保6年(1721)建立「狛犬型庚申塔」(区有形文化財)。
吽形(左)には角跡があり、阿形は頭部修復跡から宝珠だったのかもしれません、素朴な顔立ちで両形共に口に彩色跡が見られます。
新宿区北新宿・鎧神社境内社天神社の狛犬型庚申塔吽新宿区北新宿・鎧神社境内社天神社の狛犬型庚申塔阿
正面「庚申奉造立供養」、側面「武州豊嶋郡柏木村の講中名」を刻む台石。
新宿区北新宿の鎧神社境内社天神社の狛犬型庚申塔台石














側面から拝見すると、吽形(左)の方が全体にふくよかで、切り落としたような臀部が特徴的です。
新宿区北新宿の鎧神社境内社天神社の狛犬型庚申塔吽側面新宿区北新宿の鎧神社境内社天神社の狛犬型庚申塔阿側面
左に立太子禮奉祝記念碑等石塔群が祀られています。
新宿区北新宿・鎧神社境内社石塔群















参道左に手水舎、正面に社殿、右に社務所。
新宿区北新宿・鎧神社表参道から境内
















竜口を置く手水鉢。
新宿区北新宿の鎧神社手水鉢
















火袋に七宝透かし模様、蓮弁上に十二支陽刻の石灯篭。
新宿区北新宿の鎧神社参道沿いの石灯篭の十二支
















向かい(北)に神楽殿、社務所。
新宿区北新宿の鎧神社神楽殿















拝殿前に大型で東向きの昭和11年(1936)建立「狛犬」。
新宿区北新宿の鎧神社狛犬吽新宿区北新宿の鎧神社狛犬阿
両形共に尾一部が欠損していますが、尾右側の巻き毛の形の違い、右頭部から肩に流れた鬣や巻毛の形と数、顎下から胸にかけての巻き毛の違い(上写真)など、よく拝見すると微妙に違います。
新宿区北新宿の鎧神社狛犬吽バック新宿区北新宿の鎧神社狛犬阿バック
神紋「三つ巴紋」の提灯を下げた拝殿。
新宿区北新宿の鎧神社拝殿
















拝殿扁額
新宿区北新宿の鎧神社拝殿変額
















樹木で全体が拝見できませんが、本殿は千木 鰹木を乗せた一間社流造り。
新宿区北新宿の鎧神社本殿
















拝殿前に松、兜松ノ碑。
新宿区北新宿の鎧神社拝殿前の兜松碑
















西側に氏子5地域(北新宿1~4丁目、西新宿7丁目)の神輿庫。
新宿区北新宿の鎧神社神輿庫と震災にあったイチョウ
















境内にはイチョウの古樹があり、中でも社殿前のイチョウには震災時の傷跡が残されています。
新宿区北新宿・鎧神社の戦災のイチョウ





















参道は拝殿前で西に分岐、西参道(本殿左)に末社。
新宿区北新宿の鎧神社東参道鳥居と境内社
















稲荷神社(宇迦魂命)・三峰神社(伊弊諾命 伊芽冊命)・子の権現(大国主命〉。
新宿区北新宿の鎧神社末社
















末社前に鍵と玉取りの神使「狐」。
新宿区北新宿の鎧神社末社3社の狐吽新宿区北新宿の鎧神社末社の狐阿
西参道に子取りの「狛犬」、江戸後期・天保7年(1836)建立です。
新宿区北新宿・鎧神社西参道口の狛犬吽新宿区北新宿・鎧神社西参道口の狛犬阿
阿形(右)の背中から尾にかけて欠損していますが、尾の高さが違っていたようです。
新宿区北新宿・鎧神社西参道口の狛犬吽バック新宿区北新宿・鎧神社西参道口の狛犬阿バック
台石側面に刻まれた「天保七年 丙申(ひのえさる) 五月」。
新宿区北新宿・鎧神社西参道狛犬吽横新宿区北新宿・鎧神社西参道狛犬阿横
西参道口に社号標、石扁額を掲げた鳥居(明神鳥居)。
新宿区北新宿・鎧神社西参道鳥居
















御朱印。
新宿区北新宿・鎧神社御朱印



















清涼感あるレースチュニック

酷暑の連日ですが、出かけるときには涼しく爽やかに装いたいですね。
軽いレース素材のベーシックなチュニックを作ってみました。
ライトブルーレースチュニック

生地
ライトブルー(綿×ポリ)



デザイン
見頃や袖付はゆったり、後ろ見頃に開き6cmのボタン止め。
着ているのを感じさせない軽さと涼しさ、着丈67cm。

















あえて長袖(開き3cm)にして、ボタンを留めたままカフス(7cm)を折れるようにしました。
レースチュニックの袖口




















     
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