秋田県仙北郡角館町(現・仙北市)のマンホール

平成17年(2005)9/20、仙北郡角館町は同郡田沢湖町 西木村と合併して仙北市が誕生しました。
秋田県仙北郡角館町(仙北市)・カラー汚水


角館駅付近で撮影。






カラー汚水用には、角館祭りの曳山「武者人形」がデザインされています。







秋田県仙北郡角館町(仙北市)・汚水


角館町で撮影。
















秋田県仙北郡角館町(仙北市)・汚水JIS


角館駅付近で撮影。






中心に「町章」入りのJIS規格汚水用。








秋田県仙北郡角館町(仙北市)・汚水JISひし形


下岩瀬で撮影。






JIS規格汚水用(菱形)。







秋田県仙北郡角館町(仙北市)・汚水JIS亀甲










「町章」入りJIS規格汚水用(亀甲)。








秋田県仙北郡角館町(仙北市)・汚水枡


中町で撮影。






「町章」入り汚水枡。








秋田県仙北郡角館町(仙北市)・ソフト弁









「町章」入りソフトシール弁。








秋田県仙北郡角館町(仙北市)・仕切弁


下岩瀬で撮影。






「町章」入り仕切弁。











秋田県仙北市角館町・神明社

角館駅の南西1kに鎮座する角館総鎮守・神明社(岩瀬117)を参拝しました。
創建年代不詳とされますが、中世末期(室町~戦国期)頃に古城山の一角に祀られており、城主戸沢盛安氏の篤い崇敬を受けていました。
現在地に遷座後に社名改称され、国土安泰 家内安全 福徳開運 縁結び等に御霊験あらたかな祭神「天照大御神」 相殿「加具土神 大名牟遅神 少彦名神 経津主神 武甕槌神 建速須佐之男命 三嶋大神他6神」を安置しています。

桜並木が連なる武家屋敷一帯は、多くの観光客で賑やかですが、ちょっと外れるとこの静けさ。  
東向きの社頭に社号標「鎮守 神明社」、西に伸びる参道(石段)の左が車道です。
岩手県角館岩瀬・神明社社頭
















鳥居を潜ると「官江真澄終焉の地碑」
官江真澄(白井秀雄)は、天明~文政期、奥羽北辺から蝦夷までに至る多くの紀行文や地誌を残し、民俗学者・柳田國男から民族研究の鼻祖と評価されました。
仙北市角館町岩瀬・神明社の菅江真澄終焉地碑
















彩色を施した子・玉取りの「狛犬」は昭和62年(1987)建立。
角館・神明社狛犬吽角館・神明社狛犬阿
参道踊り場に弘化2年(1845)創建の稲荷神社(宇迦之御魂神)、山神社、伊太祁曽神社、青麻神社等の境内社5社が祀られています。
この日、参道や境内の樹木の枝下ろしなど、地域の方々による掃除が行われていました。
角館・神明社参道の境内社
















手水舎、向かいが社務所です。
角館・神明社手水舎
















社殿前、左の玉垣親柱に隠れる様に狛犬(吽形)がいます。
角館・神明社拝殿前の吽狛犬















風化で全体が丸みがかっています。 阿形が気掛かり、どうしたんでしょうか。
角館・神明社拝殿前の吽狛犬側面















千木・鰹木を乗せ、高欄を巡らした入母屋造りの拝殿。 大棟には神紋「花菱紋」が付けられています。
角館・神明社拝殿
















向拝には、雲の中心に神紋「花菱紋」を配した蟇股。
角館・神明社拝殿向拝














蟇股と同じ木鼻「雲」。
角館・神明社木鼻左角館・神明社木鼻右
扁額「神明社」、横に「神明社」と書かれた甲羅が奉納されています。
角館・神明社拝殿扁額















南側からの社殿。
現本殿は、明暦2年(1656)芦名氏佐竹北家により遷座されたと伝わり、領民や氏子から信仰されてきました。
角館・神明社社殿
















境内は杉等の高木の社叢で囲まれ、特に本殿の後ろ(西)に、社殿を守るように枝を大きく広げた大樹が聳えています。
角館・神明社本殿後方
















境内左右(南北)に角館の銘酒が奉納され、奥に神輿庫。
角館・神明社境内
















境内から北側を望む。
角館町・神明社境内から北方面














境内もさぞ沢山の桜があり、じっくりと独り占め鑑賞と思っていましたが、意外にも社頭の枝垂れ桜のみでした。

例祭(9月)では、延宝4年(1676)より受け継がれている伝統行事の獅子舞(延宝4年)、北浦神楽の奉納、山車の巡行、飾山囃子による手踊りで賑わうそうです。
御朱印
角館・神明社御朱印


















岩手県盛岡市のマンホール

岩手県盛岡市・雨水JIS


北通りで撮影。






「市章」入りJIS規格雨水用。








岩手県盛岡市・汚水JIS


盛岡駅付近で撮影。






JIS規格汚水用。








岩手県盛岡市・汚水JISひし形



盛岡駅付近で撮影。





「市章」、菱形模様のJIS規格汚水用。







岩手県盛岡市・汚水JIS (2)



内丸、盛岡城址付近で撮影。






「市章」内に「水」文字、水をイメージしている「波」模様(滑り止めを兼ねている)の排水弁。








岩手県盛岡市・空気弁










同デザインの空気弁。








岩手県盛岡市・仕切弁s








「市章」、ソフトシール(S)仕切弁。







岩手県盛岡市・消



大通りで撮影。







中心円に「消」文字入り「消防署マーク」のカラー防火水槽。












秋田県仙北市のマンホール

仙北市は、平成17年(2005)9月20日仙北郡角館町・田沢湖町・西木村の合併で誕生しました。
秋田県仙北市・仕切弁


角館町で撮影。






「市章」入りカラー仕切弁。







秋田県仙北市・排泥弁









カラー排泥弁。













可愛いわんこバック

毎日、朝夕の散歩に使うわんこバックを作りました。
本来なら、季節感の無い厚手コットン生地等が最適なのですが、気に行った端切れは用尺が足りません。
そこで作ったのがこのバック(24.5×21×12)、秋色ですね。
わんこ2
表生地
細畝コーディロイ(ダークブラウン)、
両側ポケットも同じ生地の小花柄。


裏生地
厚手コットン(レッド)









底にティッシュペーパーの箱を収納、内ポケット付、排泄物用ビニール袋をすぐ出せる為のマジックテープのベルト付。
バックにはボールやペットボトル等を入れる為、ゆったりと作りました。
わんこ1





















多古街道②

[行 程]
京成成田駅・・(バス)・・起点:三里塚御料バス停(7:35)~三里塚記念公園・貴賓館 御料牧場記念館等~地名発祥の塚・三里塚~成田空港~御山神社~春日神社~菱田旧道口~大里・青面金剛~阿弥陀堂~加茂集落(加茂宿)~普賢院~かもばしの袂・如意輪観音~国道296号合流点~香取郡多古町標識~喜多農道~五反田・三十番神~五反田集落・馬乗り馬頭観世音~染井旧道分岐点~旧家前~三輪大神(三輪神社)~まていどの三叉路・道標~御神塔と池~旧多古郵便局~多古第一小学校・多古陣屋跡の石垣~天満宮~妙光寺~日本寺(15:10)。

「成田市」(三里塚御料)
三里塚記念公園(面積2.9ha)は宮内庁下総御料牧場跡地に造られ、県62号沿いの正門からマロニエ(トチノキ)並木が正面の御料牧場記念館まで続いています。
成田市・三里塚記念公園入口














かっての御料牧場事務所跡に建てられた三里塚御料牧場記念館
成田市・三里塚公園御料牧場記念館














貴賓館は、明治8年(1875)戸倉村両国高掘(富里市)に創設された「下総牧羊場」責任者アップ・ジョーンズの官舎として建てられ、木造茅葺の外観に反し、内部はギリシャ風ホール等の洋風を取り入れた和洋折衷となっています。
後、下総牧羊場事務所として使われた後、取香種畜産場と合併して宮内省下総御料牧場に改称され、21年(1888)御料牧場開設に伴い移築されました。
大正初期後、各国大公使を招待する園遊会や皇族の宿舎にもなりました。
三里塚記念公園・貴賓館














園内北側に防空壕、南側にイギリスから輸入されたサラブレッド種牡馬「名馬ダイオライト碑 トウルヌソル碑」、満開のサクラ広場
三里塚記念公園の桜並木














(光ケ丘)
往時より、県62号と106号(多古街道)が交差する三里塚交差点は交通の要衝でした。 三里塚交差点の東北230mには、地名に因む塚があります。
三里塚光が丘・三里塚案内標識














江戸期に築かれた一里塚とされ、日蓮宗日本寺(多古町)から江戸道沿いの17カ所に築いた法華塚の三里塚(3里目)、又、一節には佐倉城から3里目の一里塚とも云われています。
三里塚光が丘・三里塚














(東三里塚)
以前、街道は成田空港内を東西に横切り、東方2Kの千代田交差点(旧道復帰点)へ伸びていました。現在はJALロイヤルケータリング前で南下しながら空港沿いに進みます。
東三里塚・成田空港沿いの道














「山武郡芝山町」(岩山)
桜並木が途切れることなく続き、途中右手に三里塚さくらの丘
東三里塚・三里塚桜の丘















成田空港。
東三里塚・成田空港南から














成田空港空と大地の歴史館を過ぎ、先で岩山橋北側交差点(県62号)を左折して千代田交差点で街道に復帰します。
成田空港空と大地の歴史館














(菱田~大里)
県62号との交差点を左折した畑の奥に、山の神「大山津見神」を祀る御山神社
山武郡芝山町菱田・御山神社














社殿前左右には、元文2年(1737)造立「青面金剛」 二十三夜搭 青面金剛王(文字塔)等石塔石仏群が祀られている。
芝山町・御山神社・石塔石仏群















春日神社はかつては春日大明神と称していましたが、明治初期に現社名に改められました。
祭神「武甕槌命 経津主命 天児屋根命 比咩大神」を安置する町内唯一の郷社に列した旧6カ村(住母家 加茂 稲葉 白枡 千代田 坂志岡)の鎮守です。
芝山町大里・春日神社















手水舎の傍らに宝暦7年(1757)造立「青面金剛」(左側)、大正13年(1924)建立「馬頭観世音」。
芝山町大里・春日神社石塔














春の色と云えばピンクとイエロー、足元には一面に咲き誇る菜の花
山武郡芝山町菱田・県106号沿いの菜の花















すぐ先で左前方の旧道へ。
芝山町大里の旧道口














ウグイスの囀りだけが響く静かな大里の旧道
芝山町大里旧道














丁字路手前左に青面金剛(年代不明)が祀られています。
の石仏芝山町大里旧道
















うららかな日差しにツクシもスクスク成長、田圃では恋の季節を迎えてカエルの鳴き声が響き渡ります。
芝山町大里旧道のツクシ














カーブミラーの丁字路右に、阿弥陀堂と享保 宝永 寛政期建立の墓石群があります。
大里旧道・阿弥陀堂














板碑を背に極楽浄土の仏様「阿弥陀如来立像」。
芝山町大里旧道の阿弥陀堂の阿弥陀仏


















下り坂を南下していくと、江戸期に宿場町で賑わった加茂集落
芝山町大里・加茂地区集落














右に、鎌倉期~室町期(1192~573)には既に創建されていたと伝わる真言宗の古刹「普賢院」。
芝山町大里・普賢院参道口














参道口左右には明暦元年(1655)「六地蔵」、享保2年(1717)「六阿弥陀」、享保11年(1726)「地蔵菩薩」等石塔石仏群がありますが、倒壊したりで保存状態が悪いです。
芝山町大里・普賢院参道口の六阿弥陀

















深い社叢に囲われた境内に佇む本堂(本尊・大日如来)、林立する杉の中に墓石群等があります。
芝山町大里・普賢院本堂と大マキ
















樹高18m・推定樹齢300年の犬槇(芝山町指定天然記念物)、傍らには筆塔3基があります。
芝山町大里・普賢院の犬槇


























普賢院前を左(東)へ、高谷川に架かるかも橋の袂に、天保6年(1835)女人講が建立した「如意輪観音」。
芝山町大里・高谷川の千代田橋袂の如岩観音














先で国道296号に合流、向かいの道へ進みますが富里ゴルフクラブで行き止まりの為、左折します。
芝山町大里・国道296号合流点の向かいの旧道口














「香取郡多古町」(喜多)
先の交差点で多古町へ。ここで五反田集落へ寄り道ですが、地図にある道が見つかりません。
香取郡多古町・標識国道296号
















やはり見落としたようです、かなり戻ってから集落への道を見つけました。
多古町五反田集落への道














田圃沿いはカエルの合唱で賑やか、集落が近づくと30柱の神々を祀る三十番神
多古町五反田・三十番神















(五反田)
五反田集落の北側にある廃寺跡
多古町五反田集落の大師堂
  













参道口の右段上には地蔵菩薩・阿弥陀仏等の石仏群、又、斜面にもたれる様に青面金剛1基が祀られています。
多古町五反田集落・大師堂入口の石仏群














左側に約50㎝の享和元年(1801)造立「馬乗り馬頭観世音」、多くの馬頭観世音を拝見してきましたが、馬乗りは初めです。
多古町・大沢集落大師堂参道口の馬乗り馬頭観世音


















聖観音像を安置する観音堂大師堂(右)、奥に小さな墓所があります。
多古町五反田集落・太子堂














(染井)
街道へ戻り、染井交差点を横断した先で、左前方の旧道へ。
多古町染井・旧道分岐点















旧道は緩い上りに、左に長屋門を構えた旧家を過ぎた先で急坂となります。
多古町染井・旧道沿いの旧家














ピークを過ぎると、左に旧染井村の鎮守「三輪神社参道口
多古町染井・三輪神社参道口














歯痛に御霊験あらたかとされ、地域の方々から山王さまと親しまれています。
多古町染井・三輪神社拝殿















境内を北に抜けて街道に。畑が広がる緩い坂を約500m下ると、北からの道(右道)と合流する「までいどの三叉路」。  ※写真は三叉路東側(右折して下る道)から撮っています。
多古町・まていどの三叉路














分岐点には、道祖神(祠)と馬頭観世音を背に、「東 多古 八日市場 てうし」、「西 三里塚 佐くら 東京」(歩いて来た左の道)、「北 十余三 さくら田 佐八ら」(右の道)と刻まれた明治21年(1888)建立「道標」があり、ここを右折(東)して下ります。
多古町・まていどの三叉路の道標と祠















(多古)
やがて県74号に突き当り、右の池の畔に嘉永6年(1853)建立「御神塔」、左折して市街地へ。
多古町染井・県74号合流点左の灯籠














市街地を南下して多古藩陣屋跡へ、途中右に旧多古郵便局の建物。
多古の町並み















旧多古郵便局は、明治5年(1872)県内初の郵便局として開業した3局(多古 大総 野尻)の一つで、総2F建て・寄棟屋根の現建物は昭和17年(1942)建築。
多古町・旧多古郵便局














多古藩は、天正18年(1590)家康の関東入封で、家臣・保科正光が慶長5年(1600)信濃高遠藩への移封までの約10年間、藩主を務めたのが起源。
後に廃藩し、同13年(1608)石崎藩(加賀野々市)・土方雄久の移封で立藩されたが、元和8年(1622)陸奥窪田藩移封で、再び廃藩となる。寛永12年(1635)松平(久松)勝義が入封、正徳3年(1713)勝義の跡目・勝似(1200石)の時に再び立藩され、廃藩置県までの230年余りを松平氏が治めました。
多古潘陣屋跡周辺図
千葉県多古町鳥瞰図「多古藩陣屋跡周辺図」(クリックで拡大)




多古陣屋(多古藩庁)は、多古第一小学校の校庭の標高15m程の小高い場所に御殿と長屋 倉庫 稲荷社 馬場が築かれ、板塀や石垣で囲われていました。
グラウンドと駐車場との境に、陣屋跡の石垣が残されています。
多古町・多古第一小学校の多古陣屋跡の石垣














東門の石垣(野面積み)。
多古第一小学校門脇の陣屋跡石垣















門前に天満宮、境内には歌碑「東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな」。
多古第一小学校東門・天満宮














南側の「妙光寺」は、弘安中期(1278~87)創建の多古町最大の日蓮宗寺院です。
多古町・妙光寺山門















山門前の天保13年(1842)造立「三面8臂馬頭観世音」。
多古町・妙光寺山門前の




















享保14年(1729)造営「本堂」。 総ヒノキ寄木造り・兜と甲の武装形の「木造伝妙菩薩倚像」(県有形文化財)、城主・牛尾能登守胤仲寄進の鰐口(町有形文化財)が安置されています。
多古町多古・妙光寺本堂















(南中)
多古街道の最後に、北東約2.6Kにある日蓮宗寺院日本寺を訪ねます。  
下総台地に源を発し、横芝光町で太平洋に注ぐ栗山川(延長38.8K)。
多古町・栗山川















日蓮宗の古刹「日本寺」は、元応元年(1319)中山法華経寺3世日佑上人が、9代千葉胤貞より拝領した土地に高佑山東福寺を創建したのが起源、天正19年(1591)日本寺に改称されました。 慶長4年(1599)妙福寺6世日円によって中村壇林(法華経の修行道場)が開かれ、明治5年(1872)拝壇するまでの270余年に渡り降盛を極めました。 往時、多くの僧が数十棟の学坊で学び、約10万人の僧侶を全国に送り出しました。  
飯高壇林(匝瑳市・飯高寺)・小西壇林(大綱白里市・正法寺)と共に関東三大壇林の一つ。

山門手前には、江戸まで50里の起点となる水戸光圀公御手植えの樹齢400年を越す老樹「シイ」。
日本寺入口・水戸光圀手植えの椎














前に樹齢200年以上「夫婦銀杏」、桃山期~江戸初期の技巧が窺える「山門(四脚門)」(町有形文化財)。
多古町・日本寺山門















山門には日本三額の一つ、寛永の三筆と仰がれた江戸初期の書家・本阿弥光悦揮毫の山号扁額「正東山」(町有形文化財)が掲げられています。
多古町・日本寺山門扁額














境内右に入母屋造り・袴腰しをつけた享和3年(803)建立「鐘楼」(町有形文化財)、本尊「釈迦牟尼仏」を安置する本堂
多古町・日本寺本堂と鐘楼














本堂正面には、室町期の僧・日親上人揮毫の扁額「正東学庠」(正東学び舎)、中央に神紋「土岐桔梗」が入れられています。
日本寺本堂扁額












本堂前に「唐獅子」(木製)が置かれています。  壇林時代の講堂(18間・4面)の玄関柱に掛けられていた遺構で、一瞬、狛犬かと見間違う大きさ。 通常、見上げての拝見ですので、欅の木目の美しさも勿論ですが、改めて大伽藍の木鼻の大きさに驚きました。
多古町・日本寺本堂前の獏左多古町・日本寺本堂前の獏右
境内北側に手葉氏の守護神「妙見七面宮」 薬師堂 宇賀神社3社、その左右に岡田・豊田稲荷社(夫婦社)が祀られています。
多古町・日本寺境内社3社

















3社の社殿には、江戸期の彫師・波の伊八の彫刻が施されています。
妙見七面宮は蟇股「波」。小壁・蟇股や木鼻には彩色が施されています。
日本寺・妙見宮蟇股














サクラが静かな境内に彩りを添えています、アジサイ寺としても知られていますので、その頃には是非訪れたいですね。
日本寺境内















2日間でのんびり歩いた多古街道も終了しました。
西谷バス停から帰途に就きます。

4月10日(晴れ)。



千葉県香取郡多古町染井・三輪大神(三輪神社)

三輪大神(染井250番地)は国道296号染井交差点の北東300m、旧多古街道沿いに鎮座する古社。
創建年代不詳ですが、大和国・大神(おおみわ)神社(奈良)から勧請され、祭神「大物主大神」を安置。
村名「染井」は、公卿・染井中務が当地に土着したことに因む等、古くより村の鎮守として篤く信仰されてきました。
家内安全・仕事運や健康運等全てに御利益ありますが、地域の方々からは “山王さま”と親しまれ、特に歯痛に御霊験あらたかと伝わっています。

参道口は街道沿い・東南向きです。
多古町・三輪神社参道口















正面の手水舎は「三ツ巴紋 御寶前」と刻まれた慶応2年(1866)造立「手水鉢」、参道は直角に右に曲がります。
多古町・三輪神社手水舎















杉木立の参道は約130m、参道幅は細く杜の中に導かれるように一直線に伸びています。
多古町・三輪神社参道















更に社叢が密生し、途中に明神鳥居。
多古町・三輪神社参道の鳥居















厳かな佇まいです、社叢に守られるように前・後方を開け放した拝殿(神楽又は舞殿)、奥に本殿が祀られています。
多古町・三輪神社社殿















手書扁額「三輪神社」が掲げられ、賽銭箱が置かれています。
多古町・三輪神社・本殿
















社殿は嘉永6年(1853)造営。
多古町・三輪神社本殿正面

















扉に海老締め注連縄が掛けられ、扉左右に昇り龍(左)・降り龍(右)彫刻。
多古町染井・三輪神社本殿正面の彫刻
















向拝「龍」、中央部をくり抜いた柱貫、下に浜床が付けられています。
多古町・三輪神社本殿向拝














木鼻「唐獅子」、笑顔に見えます。
多古町・三輪神社左木鼻多古町・三輪神社右木鼻
左右脇障子「鯉の滝登り」。
多古町・三輪神社本殿左脇障子多古町・三輪神社本殿右脇障子
高欄を巡らした社殿は流造り、神紋を配した鬼瓦、懸魚「雲」、胴羽目等は彫刻はありませんが、三手先の組物や各柱に唐獅子の木鼻付、手挟みは「牡丹」と思われます。
多古町・三輪神社本殿側面


















街道沿いでもあるので、往時、多古藩参勤や旅人達が旅の安全を祈願したことでしょう、遥か遠い時代に想いを馳せながら、ひと時のんびりと。
とても静かで癒される空間でした。




川崎市・堀川町桜並木

JR川崎駅西口、堀川町交差点(R409号)までの線路沿いに約500mの桜並木が満開です。
11年前、再開発されたラゾーナ川崎プラザや高層マンション群が建つエリアで、並木も堂々たる枝張を見せています。
川崎駅西口・桜

















ソリッドスクエアの広場にも桜並木。
川崎駅西口・セントラルタワー
































下目黒・目黒川沿いの桜並木

桜の名所として知られる目黒川。
目黒駅西口から行人坂途中の大円寺境内の桜も満開、急坂を行き来する人達に春パワーを降り注ぐように枝を広げています。
目黒区・坂

















坂下にも満開のソメイヨシノ、ここから桜を愛でながら目黒川へ。
目黒区大円寺坂下の桜

















太鼓橋から上流側。 時折強い風が吹き荒れ、日差しも陰ったりしていましたが、川沿いの桜並木は本当に綺麗です。
目黒区・目黒川桜上流

















太鼓橋から下流の目黒新橋。 日差しの関係で川向うは8分咲き位でしょうか。 満開から散り際が一番キレイですから、まだ4~5日は十分楽しめそう。
目黒区・太鼓橋から下流の目黒新橋

















道沿いのサクラ。
目黒川沿いの桜並木

















青空に映えるソメイヨシノ。ライトアップされると、より一層華やかになりそうです。
桜




















川崎市・多摩川沿いの桜ロード

青空の下、多摩川緑地沿い・中瀬から殿町・桜並木をのんびりと歩いてみました。

中瀬の土手上から平成18年竣工の大師橋(長さ550m)。
アシでしょうか、秋には見事に輝いていた草紅葉も、緑に変わる日も近い、密生の中に山桜の若木が春を告げています。
六郷土手から大師橋

















殿町地区・土手沿いに続くソメイヨシノの桜ロード、見頃ですが満開にはまだ数日かかりそうです。
前方対岸に羽田空港が見えます。
殿町桜ロード

















昭和52年植樹で樹齢40年以上の大木揃い、枝張も大きく土手下は宛ら桜トンネルです。
殿町・土手下から桜

















場所によってはまだ6分咲きも多く、週末辺りが絶好の花見日和となりそうです。
殿町土手上からの桜P4052389_convert_20170406181654

















多摩川は殿町3丁目辺りから緩やかに南東に向きを変え、前方に大きく羽田空港ターミナルビルが見えてきました。
運河で行き止まりのこの辺りが、干潟が広がる多摩川河口です。とても静かで景色を楽しみながらウォーキングをされる方の折り返し地点でもあるようです。
殿町・多摩川河口と羽田空港

















数分ごとに静寂を破るようなエンジン音の後、次々と離陸する飛行機。
羽田空港離陸の2基





















多古街道①

多古街道とは、成田街道酒々井宿の県137号・酒々井町役場入口交差点(中宿と下宿の境)を東に折れ、佐倉七牧の内野牧(富里市七栄)~取香牧(成田市三里塚)~多古城下を経て佐原に至る道。 
更に多古からは、西の佐倉や北の佐原へ、東へ八日市場(匝瑳市)を経て銚子へと向かう道が伸びています。 
中でも佐倉への道は、藩主松平久松氏が酒々井宿を経て江戸への参勤の公道で、酒々井~多古間は江戸街道とも呼ばれました。
又、多古~佐原間は多古米等の特産物を江戸へ送る道として整えられ、佐原道とも呼ばれました。
今回、酒々井宿分岐点から城下町多古迄を2回で歩きます。

[行程]
京成酒々井駅・・・起点:酒々井町役場交差点(8:15)~朝日神社~東光寺~麻賀多神社~墨泉光院~酒々井総合公園・墨小盛田古墳~芝山道尾上出戸百番拝礼道標~野馬土手跡~旧岩崎家別邸~根木名旧道・馬頭観世音・宮里トレーニングファーム~地蔵堂~庚申塔~三里塚消防署前三叉路・道標~三里塚交差点・浅間神社~三里塚第二公園・道標(13:10)

「印旛郡酒々井町」(酒々井~中央台)
成田街道酒々井宿・酒々井町役場入口交差点は多古道への分岐点です。 往時、左角(手前左)には、高札場と道標が置かれていました。
ここを左折して旧横町に進みます。
成田街道酒々井宿・酒々井町役場入口交差点















旧横町は酒々井宿の形成で組み込まれ、間口の広い屋敷が続く家並みでした。  
数分進むと、左に旧横町の鎮守「朝日神社」、境内左に小堂 二十三夜搭 如意輪観音等が祀られています。
酒々井・朝日神社















R51号を横断、先で街道は左に緩やかにカーブしていきますが、この辺りが江戸初期頃まであった法華塚刑場跡になります。
街道沿いには6分咲きの枝垂れ桜
多古街道・酒々井のシダレ
















左に佐倉5カ寺の一つ、本尊「胎蔵界大日如来」を安置する鎌倉期創建の古刹・東光寺。 
「九曜紋」を寺紋とする千葉氏所縁の寺で、かっては僧侶養成所でした。
多古街道・中央台の東光寺














(右)高さ1.3m・舟形後背に(本尊)胎蔵界大日如来像、光背部に17ケ村名・村人名が刻まれた寛文13年(1673)造立「大日如来供養塔」。
(左)正徳元年(1711)造立「青面金剛」、下り松・新堀入口の三叉路付近から移され、6臂合掌・邪鬼・三猿で高さ68㎝、共に町有形文化財です。
参道右に寺子屋を開き、多くの門人を養成した幕末の書道家・高幡南渓墓がある。
酒々井・東光寺の大日如来・庚申塔





















(下台~墨)
下台村との境、下台丁字路交差点(R296号)に突き当ります、手前右に祭神「(木彫)稚産霊命」を安置する麻賀多神社。  印旛沼台地に鎮座する18社の一つで、 明治期以前までは麻賀多大明神と称しました。
酒々井下台・麻賀多神社














R296号工事(昭和51年)で境内は削られておりますが、南に境内社の石祠群、奥に石碑があります。高欄を廻らせた鰹木・千木の流造り本殿には、唐獅子の脇障子が施されています。
酒々井町下台・麻賀多神社社殿














国道を横断して向かいの細い旧道へ、250m先で国道に合流。
酒々井町下台交差点向かいの旧道














街道から離れ、墨交差点を右折して350m程南下すると、左高台に宝形造り社殿の墨泉光院。  境内には小祠、石塔石仏群が祀られ、堂内には千葉氏の守護神「妙見尊像」を安置。
西側に霊松寺で見かけた変種の「お葉付きイチョウ」があります。
酒々井墨・墨泉光院














酒々井総合公園内に、高さ3m・全長30m墨小盛田古墳(復元)。 平面は長方形、断面は台形の形状から古墳終末期(7~8世紀)築造と考えられています。
酒々井総合公園・墨小盛田古墳














(尾上)
東酒々井入口交差点手前の三叉路に、安政3年(1856)建立「芝山道尾上出戸百番拝礼道標」。
高さ146㎝の板碑正面に、「百番拜禮成就 此方尾上芝山道 西酒々井佐具羅道  此方加茂多古美知」、後面には「奉納者名」が刻まれている。
以前、近くにも明治28年(1895)建立「芝山道尾上出戸普門品道標」が有りましたが、現存していません。
酒々井尾上・柴山道尾上出戸百番拝礼道標















富里市手前辺りに、馬が逃げない様に巡らせた内野牧・野馬土手跡が残っています。
冨里市・野馬土手跡















交差点から北側の道に進むと、林の奥に野馬土手跡
冨里市七栄・野馬土手跡














咲き競う桜と白モクレン。
冨里市七栄・桜と白モクレン
















「富里市」(七栄)
七栄交差点を横断した右に、富里村道路元標と道標(建立年代・文字等不明)が並びます。
冨里市・七栄交差点














(根木名)
街道は七栄東交差点で左の県106号へ進みますが、直進して七栄末広南交差点を左折。
右に農政改良事業に尽力した旧三菱財閥3代総師岩崎久彌の私邸「旧岩崎家末廣別邸」(非公開)、主屋・東屋・石蔵は国指定文化財です。
旧岩崎家末広別邸














根木名交差点で建売住宅が建ち並ぶ左の旧道へ。
根木名交差点左の旧道口














旧道は根木名小学校前で分断されている為、手前から塀沿いに北側へ迂回します。
根木名・根木名小学校















かっての旧道(白線)は、校門前から東北方向へ伸び、そのまま現在の道のやや左側の小高い丘に上り、急勾配で現在の道へと下っていました。 現在(黄線)は、学校沿いに迂回して、すぐ先から緩い下り道になっています。  ※写真は校庭東側から旧道方向。
根木名小学校横の旧道














根木名集落を廻りこむように急坂を下ると、左に大小の地蔵菩薩が祀られています。
根木名旧道沿いの地蔵2体















春たけなわ、もう脱がせてあげたいですね、右は文政8年(1825)建立。
根木名集落沿いの地蔵2体














県道に合流、30m先の信号交差点で右前方の旧道へ。
折角、内牧を歩いているのですから、途中、旧道から外れ南下して馬を見学に。 道すがら寛政12年(1800)建立「馬頭観世音」(右側)2基が祀られています。
冨里市根木名・馬頭観世音















宮里トレーニングファーム。
冨里市根木名・冨里トレンニングファーム














街道へ戻ると、川近くに地蔵堂。 こちらは浴衣姿の地蔵菩薩(右写真)。
根木名旧道の地蔵堂根木名旧道の地蔵










「成田市」(西三里塚~三里塚)
100m手前で成田市に入り、県道合流点右段上に2基の庚申塔が祀られている。
根木名旧道と県道合流点・段上に庚申塔














(左側)道標を兼ね正面「孝心 佐倉 江戸」、左面「加茂 多古 銚子道」、右面「小池 芝山 久十九里道」と刻まれた天保15年(1844)建立「孝心塔」。
(右側)明和7年(1770)建立「6臂合掌青面金剛」。
根木名旧道出口の庚申塔















三里塚消防署前交差点の三叉路に、正面「富士本山登山記念」、右面「右 根木名 七栄道」、左面「左 両國 八街行」と刻まれた大正9年(1920)建立「道標」。
三里塚消防署前交差点三叉路の道標













三里塚交差点を横断した左に、祭神「木之花咲耶姫命」を祀る浅間神社、鳥居の貫には桜が陽刻されています。
成田市三里塚交差点・浅間神社














往時、三里塚交差点は交通の要衝でした。
隣の三里塚第二公園入口に、南(正面)「此方 志バ山 九十九リ」、東(右面)(此方 加茂 多古 てうし(銚子)」、西(左面)「此方 彌こ奈(根木名) 佐倉 江戸」と刻まれた「道標」(建立年代不明)があります。
三里塚第二公園内・道標1















三里塚バス停から成田駅へ。
2017年4月4日(晴れ)




千葉県山武郡芝山町のマンホール

千葉県山武郡芝山町・防火水槽


岩山で撮影。






「町章」、「芝山町」、容量40tの防火水槽。









千葉県山武郡芝山町・防火水槽JIS


大里で撮影。





「町章」、「防火水そう」文字のJIS規格防火水槽。
















上野恩賜公園の桜

数日前に開花予想が発表され、待ちに待った桜の季節です。
気温も上がり、うららかな日差しに次々に咲き始めると思った途端、この花冷えです。
それでも、上野公園入口の枝垂れ桜は7分咲きでした。
上野公園入口の枝垂れ桜


















花見のスポット・桜通りの蕾は、大部膨らんではいますが下旬頃になりそうです。 もう場所取りもされている所も有り、花見はともかく、軽く宴会を楽しむグループで賑やか。
上野公園桜並木


















並木に交じって満開の早咲き桜、ソメイヨシノの花色に似ています。
上野公園桜並木の桜


















人だかりは殆ど桜を撮る人達です、 小松宮像の近くの桜。
上野公園の桜・小松宮像


















日本橋迄歩いて来ました、橋南詰めの交番前の枝垂れ桜は2分咲きです。 
日本橋南詰の桜


















今日は晴れた割には気温も低く寒い一日でしたが、もう少しの辛抱、春色に彩られる日も近いです。



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杉並区善福寺・井草八幡宮

井草八幡宮(善福寺1-33-1)は、荻窪駅北口から北西2.7K、青梅街道(都4号)・早稲田通り(都438号)沿いに鎮座。

縄文中期頃、当地には既に神が祀られ、神社の形態が整えられた平安末期に春日神が祀られました。  
文治5年(1189)奥州藤原泰衝征伐の折、源頼朝が源氏の氏神「八幡神」を合祀して戦勝祈願をし、以来、八幡大神(応神天皇)を奉斎したと伝わります。
往時の上井草村((現・今川 善福寺 桃井 上荻4丁目 上井草3・4丁目 西荻3~5丁目)は、古地名に因み遅野井村(武州多摩郡)とも呼ばれ、当社も明治期までは遅野井八幡宮と呼ばれていました。

室町中期・文明9年(1477)、太田道灌は石神井城・豊嶋氏征伐で戦勝祈願をしたとも伝わり、慶安2年(1649)3代家光公が社殿造営と朱印6石を寄進、以後、幕末に至るまで歴代将軍による朱印地の寄進を賜る等篤い崇敬を受けてきました。
豊かな社叢が広がる境内は、約1万坪の広さを誇り、昭和42年に神社本庁別表神社に列している。
祭神「八幡大神(応神天皇)」を安置しています。

青梅街道沿いに昭和33年造営の「明神大鳥居(高さ9m)」、社号標。
杉並区井草・井草八幡宮大鳥居(青梅街道沿い)
















砂を敷き詰めた200mの東参道は、神事・流鏑馬(5年毎)の馬場に使われます。
杉並区井草・井草八幡宮参道

















参道奥に南鳥居、参道が手前で右(北)に直角に折れ、左右に石燈籠があります。
井草八幡宮参道分岐点
















2基の灯籠(文政元年(1818)再建)は、元禄7年(1694)丸を講(富士講)により当社(遅野井八幡宮)と浅間神社に奉納され、竿3面に「正八幡宮 富士浅間宮 食行身録的同行」、台石「上下氏子中」、上・下井草村 上荻窪村 上・下石神井村等101名の奉納者名が刻まれています。
参道の石灯籠
















参道が西に折れた正面に、昭和46年(1971)造営「随神門(楼門・三間一戸)」、左右は神輿庫です。
井草八幡宮楼門
















門の神「豊磐間戸神」(左大臣)・「櫛磐間御戸神」(右大臣)。
井草八幡宮楼門・豊磐間戸神(左大臣)井草八幡宮・櫛磐間戸神(右大臣)
格天井、2色使いの蟇股。
杉並区・井草八幡宮随神門蟇股
















門を潜ると左に神楽殿、右(北)に手水舎、横に絵馬掛け、後方に境内社「祓戸神社」(右側)、「三社神社」2社が祀られている。
井草八幡宮・境内社祓戸神社と三宮神社・手水舎
















奉獻・三ツ巴紋の安政4年(1857)造立「手水鉢」。
井草八幡宮・手水鉢
















回廊を巡らした南向きの神門、左に社務所。
井草八幡宮神門
















嘉永6年(1853)建立「狛犬」。一見同じようですが、阿形(右)の体躯全体に丸い凸があり、吽形には見られません、石工が違うのでしょうか? 台石正面「氏子中」、側面「上下」と刻まれている。
井草八幡宮狛犬吽井草八幡宮狛犬阿
尾の形も違います。
井草八幡宮吽バック千草八幡宮阿バック
入母屋造りの拝殿。 社殿は権現造りで、一間四方・朱塗りの本殿(履殿内)は、寛文4年(1664奥高家を勤める領主・今川氏堯により改築、寄進された区内最古の木造建築物。
井草八幡宮社殿
















拝殿には、懸魚「鳳凰・雲」、蟇股「波」、向拝「玉を持つ龍」等見事な彫刻が施されています。
杉並区・井草八幡宮拝殿彫刻

















桂貫「松・鳥2羽」、木鼻「唐獅子」、持送り「波・鳥2羽」。
杉並区・井草八幡宮左木鼻















扁額「井草八幡宮」。
杉並区・井草八幡宮拝殿扁額















廻廊南西角に奥州征伐の戦勝祈願で、頼朝が献樹した黒松が衝立として保存されています。
杉並区・井草八幡宮神門回廊の頼朝手植えの黒松
















社務所左奥に境内社3社、新町稲荷神社(右)、三峰神社(中)、三谷稲荷神社(左)。
杉並区・井草八幡宮境内社3社
















当社は特に御神木はありませんが、かって、富士塚跡とされる三社向かいに大樹があります。
杉並区・井草八幡宮境内の大樹




























こんもりと盛り上がった根元には、明治28年(1895)建立「正守庚申」、烏天狗と刀を振るう武士像の「石尊大権現」が祀られています。
杉並区・井草八幡宮境内社前の富士塚跡の大樹の石塔

















境内南側、社殿正面に頼朝が手植えした黒松2本がありましたが、明治初期と昭和48年に其々枯死し、現在2代目の黒松が植えられています。 
その後方(西)に文化殿(宝物殿)、西鳥居、招神殿(祖霊社)が並びます(写真右から)。
杉並区・井草八幡宮境内の松
















招神殿は文化10年(1813)造営された旧拝殿です。現在、戦没者を祀る祖霊社として使われています。
杉並区・井草八幡宮祖霊社(招神殿旧拝殿)
















向拝は、現拝殿と同じ左向きの「龍」。
杉並区・井草八幡宮祖霊社(招神殿旧拝殿)の向拝「龍」












左木鼻「唐獅子」。
杉並区・井草八幡宮祖霊社の左木鼻












右木鼻
杉並区・井草八幡宮祖霊社(招神殿旧拝殿の右木鼻)













左持ち送り「麒麟(降)」。欅の美しい木目が一段と際立っています。
杉並区・井草八幡宮招神殿左持ち送り













右持ち送り「麒麟(昇」)。
杉並区・井草八幡宮招神殿持ち送り右












神楽殿の裏手、楕円形の力石16個が奉納されています。
かつては例祭(10/1)で、井草村や近郊の若者達による力自慢を競う石担ぎを行なわれ、その力石を奉納する習わしがありました。
嘉永2年(1849)、大正7年(1918)奉納の力石には、二十七メ目、四十五貫目、清龍石、六十貫目、村名や奉納者名が刻まれています。
杉並区・井草八幡宮境内の力石
















再び随神門を潜り、北参道を進みます。
杉並区・井草八幡宮北参道
















西鳥居、別表神社に列した記念で建立された高さ9mの大灯籠。
杉並区・井草八幡宮北鳥居と大灯籠















道を挟んだ向かい、駐車場奥に富士信仰の神、浅間神社(祭神・木花咲耶姫命)が祀られています。
杉並区・井草八幡宮浅間神社
















社殿裏に境内から移築された富士塚があります。
杉並区・井草八幡宮富士塚
















御朱印。
井草八幡宮御朱印




















東京市(現・東京23区)のマンホール

昭和18年(1943)7/1、東京市は都政施行により廃止されました。
東京市(現・東京23区)・汚水


渋谷区道玄坂で撮影。





「市章」入りコンクリート製汚水用。









東京市(現・東京23区)・雨水








「市章」入り雨水用JIS規格。













渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社

千代田稲荷神社(道玄坂2-20-8)は、かって渋谷の中心街だった道玄坂途中の百軒(だな)商店街に鎮座。

長禄元年(1457)太田道灌が江戸城(江城・千代田城)の守護神として、城内に京都・伏見稲荷大社を勧請したのが創始とされます。後、城内紅葉山に遷座後、慶長7年(1602)城地拡張で渋谷宮益坂へ遷座され、城名から千代田稲荷神社に改称されました。

大正13年(1924)のしぶや百軒店の開発で、宮益坂から道玄坂へ遷座、世界大戦後に再び現在地に遷座され、中川稲荷神社を末社としました。
商売繁盛 家内安全 縁結び等に御霊験あらたかな祭神「宇迦之御魂命 倉稲魂命」を安置。

レストランやホテル等が建ち並び、夕暮れからは一段と活気づく歓楽街の一角にあります。
社名入りの提灯が下がる参道口。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社参道口

















境内は狭いですが綺麗に清掃され、地域の方々に篤く信仰されています。 
右に社務所、扁額「千代田稲荷神社」を掲げた明神鳥居。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社境内
















蟇股「波」,、木鼻を施した手水舎、奥に絵馬掛け。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社手水舎・絵馬掛け

















昭和37年(1962)建立、玉・子取りの狛狐。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社狛狐吽渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社狛狐阿 
社殿は神明造り、前に明治12年(1879)當村氏子中により奉納された一対の石燈籠、左右に赤い幟旗が掲揚されています。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社拝殿
















拝殿には手水舎と同じ向拝「波」。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社向拝
















余り見かけない浮彫文字の扁額「千代田稲荷」と拝殿内。
渋谷区道元坂・千代田稲荷神社拝殿内・扁額
















境内西に朱の鳥居3基、参道沿いに幟旗が並ぶ末社中川稲荷神社(祭神「倉稲魂命)。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷神社境内社中川稲荷神社
















中川稲荷神社社殿。
渋谷区道玄坂・千代田稲荷末社中川稲荷神社





















横浜市金沢区洲崎・洲崎神社

洲崎神社(洲崎町9-28)は創建年代不詳ですが、元は約2.8キロ北の長浜に祀られていた鎮守第六天社が始まりです。 

往時の長浜は、十八町も海に突き出た海岸沿い(柴~富岡の北側)の町で、長浜千軒と云われた大きな漁村は繁昌を極めました。
応長元年(1311)の大津波で村が流失した為、助かった一部住民が大六天社を本村に奉じて移住、移住民は社の祭祀の為、社の周囲に民戸を構える「家津良八戸」という特異な村落形態をとっていました。

明治初期に洲崎神社に改称され、同37年(1904)横浜~金沢間道路改修で現在地に遷座。 同43年(1910)泥亀村鎮守日枝神社(大山昨命)と末社稲荷神社2社(倉稲魂命 太田命)を、大正3年(1914)姫小島の十二天社(磐長比売命)を其々合祀しました。
祭神「誉田別命」 相殿「大山昨命 倉稲魂命 太田命 磐長比売命 建速須佐之男命」を安置。

三叉路南面の社頭、社号標と文化9年(1812)造立「明神鳥居」。
金沢区洲崎・須崎神社社頭
















石扁額「洲崎神社」。
金沢区洲崎・須崎神社鳥居扁額















銅葺の手水社には、奉獻と刻まれた大正10年(1921)奉納の手水鉢。
洲崎神社手水舎
















照明を乗せた一対の常夜燈、右に御神木「銀杏」、社殿右に文化14年(1817)境内に遷座された境内社天王社(建速須佐之男命)。
金沢区洲崎・須崎神社境内
















右面「一天罒海安徳参上」と刻まれ、文化10年(1813)秋葉山講中が奉納した一対の常夜燈。
金沢区洲崎・須崎神社所常夜燈





















子・玉取りの狛犬は昭和57年(1982)建立。
金沢区洲崎・須崎神社狛犬吽金沢区洲崎・須崎神社狛犬阿
天保9年(1838)再建の社殿は権現造り、拝殿は明治42年(1909)増築されています。
洲崎神社拝殿
















拝殿扁額。
金沢区洲崎・須崎神社拝殿扁額














向拝「波と龍」。
金沢区洲崎・須崎神社拝殿向拝













左木鼻「唐獅子」、持ち送り「波 亀(降)」。 手挟は「牡丹 鳥」が施されています
金沢区洲崎・須崎神社拝殿左木鼻














右木鼻「唐獅子」、持ち送り「波 亀(昇)」。
金沢区洲崎・須崎神社拝殿木鼻右













西側からの社殿(拝殿・幣殿・本殿)。
金沢区洲崎・須崎神社社殿
















左(西)側に雄・雌獅子を安置する獅子殿。
神奈川区洲崎・洲崎神社獅子殿















獅子の由来説明板
「雄・雌獅子頭は、嘉永2年(1849)彫刻師・後藤利兵衛の制作。 太平洋戦争(昭和16年)以前は、祭礼(7月)で4人の若衆が町内厄除けで担いで廻りました。 又、流行病(麻疹)の子供が、獅子の口に噛まれるようにすると早く平癒することから、守り神として尊信されていました」
洲崎神社・獅子由来説明板















北西からの境内。
金沢区洲崎・須崎神社北西からの境内
















往時、洲崎一帯はこんな長閑な風景だったんですね。。。
瀬戸橋付近の松並木、塩田、筏流しを描いた金沢八景「洲崎晴嵐」。
尓き者へ流 すさ紀の里能 朝けふ里 波るゝ阿らし尓 た天類市人」(にきはへる すさきのさとの あさけふり はるるあらしに たてるいちびと)
金沢八景「洲崎晴嵐」



















横浜市金沢区洲崎・龍華寺

知足山龍華寺(洲崎町9-31)は、源頼朝が瀬戸神社を創建の際、文覚上人と共に六浦山中に建てた別当・浄願寺が創始とされます。後、戦乱や大火で罹災しましたが、明応8年(1499)融弁上人が兼帯していた光徳寺と合併して現社名に号して建立されました。
江戸期に寺領5石を拝領、真言宗御室派の壇林所として栄えました。又、本堂の再興に尽力し、江戸期から180余年を掛け泥亀新田を開拓した永島家菩提寺でもある。
行基作の本尊「大日如来」を安置、東国八十八ヵ所霊場第78番札所です。

平潟湾が広がる江戸名所図会「町屋村 龍華寺」
江戸名所図会「町屋村 龍華寺」1江戸名所図会「町屋村 龍華寺」2
社頭
金沢区洲崎町・龍華寺社頭
















山門に掲げられた山号扁額「知足山」。
金沢区・龍華寺山門扁額













右手に大永4年(1524)造立の本尊「木造地蔵菩薩坐像」(市有形文化財)を安置する地蔵堂。
金沢区洲崎町・龍華寺、地蔵堂
















御室桜や河津桜は終わりましたが、熱海桜が満開です。
金沢区須崎町・龍華寺の熱海桜
















山門潜ると、鎌倉地域特有の上下帯を持つ鎌倉末期の天文10年(1541)鋳造「梵鐘」(県文化財)、右に不動明王を安置する不動堂。
江戸名所図会には「太田道灌不動尊の霊像を寄付して武道延長を祈()・・・」とあることから、道灌によって不動明王が奉納されたことが分かります。
洲崎金沢区須崎町・龍華寺鐘楼と不動堂
















堂前に宝珠の阿吽、吽形は尾や前足が破損した小さな狛犬(建立年代不明)がいます。
金沢区洲崎・龍華寺の不動明王狛犬













不動堂左側に石塔群が祀られています。
右から角柱型の天保7年(1836)角柱型青面金剛 天保10年(1839)庚申塔 舟形の6臂合掌青面金剛 天明元年(1781)笠付青面金剛 弘化2年(1845)青面金剛童子(文字塔) 享保7年(1722)宝珠を載せた笠付青面金剛。 
金沢区洲崎町・龍華寺石塔群
















元は社前辺りに建立されたのでしょうか、弘法大師をのせ、「左 保土ヶ谷道」と刻まれた道標。
金沢区洲崎・龍華寺不動堂横の道標

























78番札所の大師堂。
金沢区須崎町・龍華寺の大師堂
















境内には、松や季節毎に彩りを添える梅 桜 牡丹 紫陽花が植えられていますが、江戸期より有名だった旧永島邸の牡丹園の様に、牡丹の寺としても知られています。
正面に茅葺入母屋造りの鐘楼。
金沢区須崎町・龍華寺鐘楼と本堂
















鐘楼の蟇股「菊」。
金沢区洲崎町・龍華寺鐘楼の蟇股
















手水舎。
金沢区須崎町・龍華寺手水舎
















苔生した龍口。
金沢区洲崎町・龍華寺手水鉢龍口
















本堂。  明応期に合併した光徳寺の山号「龍燈山」に因むのでしょうか、本堂前に龍燈の松があります。
龍華寺本堂
















御朱印  お心遣いに感謝です。
龍華寺御朱印龍華寺お供物
次は東側の洲崎神社を参拝します。






横浜市金沢区瀬戸・瀬戸神社と金沢八景。

金沢八景駅から徒歩5分程、金沢八景「瀬戸秋月」で知られる瀬戸神社(瀬戸18-14)を参拝しました。

往時、社の北側一帯(現・泥亀町 釡利谷町)辺りまで海が入り込み、“瀬戸の入海”と呼ばれていました。瀬戸橋が架橋される以前、人々が干満時に急流が渦巻く瀬戸の難所に、海神を祀ったのが当社の起源です。
治承4年(1180)鎌倉幕府を開いた源頼朝は、東北方の守りとして崇敬する伊豆三島明神(三嶋大社)をこの霊地に勧請、社殿を造営したのが当社の創始です。
 以後、瀬戸三嶋大名神と呼ばれて人々の尊信を集め、執権 関東管領 小田原北条氏等歴代名将に篤く崇敬されてきました。
鎌倉幕府以後も歴代権力者による保護を受け、慶長5年(1600)徳川家から社領100石を賜りました。 後、領主はもとより江戸八景の中心として、江戸にまで信仰者が広まり、多くの文人墨客も訪れています。

祭神「大山祇命」、相殿神「素盞鳴尊 菅原道真公」他11神を安置。

江戸名所図会「瀬戸明神社」。
「瀬戸橋より一町斗西の方道より右側尓あり」と記され、境内は今も往時の様相を偲ばせます。
江戸名所図会「瀬戸明神社」1江戸名所図会・瀬戸明神社2
平潟湾に向く横須賀街道(R16)沿いの社頭。 社号標「瀬戸神社」(内閣総理大臣中曽根康弘氏揮毫)、寛政12年(1800)造営「明神鳥居」、文化3年(1800)建立「灯籠(常夜燈)」。
金沢区瀬戸・瀬戸神社社頭
















左の灯籠台石正面「牡丹・鬣を銜える左向きの唐獅子」。
金沢区瀬戸・瀬戸神社社頭の石灯籠台石彫刻左













右の台石正面「牡丹・右向きの唐獅子」。
金沢区瀬戸・瀬戸神社社頭の灯籠台石右













万治年間(1658~61)郡代官・八木次郎右衛門は、当社西側の円通寺客殿の裏山に東照大権現を祀り、六浦藩主・米倉保教が石燈籠を寄進しています。 明治初期に廃寺となった別当・円通寺は、同11年(1878)当社に合祀され、石燈籠も境内に移されました。
鳥居を潜ると、左右に東照大権現から移された形・大きさの違う石燈籠があります、左:竿に節があり、右:大型で、火袋や竿に陽刻、基礎に蓮陽刻、2基共蓮弁入りです。
金沢区瀬戸・瀬戸神社灯籠右金沢区瀬戸・瀬戸神社灯籠左
左(東側)灯籠の裏面に刻まれた「東照宮御寶前」。石質からか、右灯籠の文字は読み取れません。
瀬戸神社・石灯籠裏面(東照大権現)















洗心と刻まれた手水鉢の手水舎。
金沢区瀬戸・瀬戸神社手水舎















昭和53年(1978)建立「狛犬」。
金沢区瀬戸・瀬戸神社狛犬吽金沢区瀬戸・瀬戸神社狛犬阿
高欄を巡らした入母屋造り拝殿。
神奈川区瀬戸・瀬戸神社拝殿



















向拝の蟇股「鳥・蘇鉄」。 
金沢区瀬戸・瀬戸神社拝殿向拝蟇股
















木鼻「唐獅子」。
金沢区瀬戸・瀬戸神社拝殿向拝木鼻吽金沢区瀬戸・瀬戸神社拝殿木鼻阿
左右の手挟「牡丹」。
金沢区瀬戸・瀬戸神社拝殿彫刻










内閣総理大臣小泉純一郎氏揮毫の扁額「瀬戸神社」。
金沢区瀬戸・瀬戸神社拝殿半額














拝殿両脇壇に安置されている木造守門神坐像(市有形文化財)。
南北朝~鎌倉末期作の武官の服装の檜材・寄木造り。
金沢区瀬戸・瀬戸神社拝殿内の木造守門神坐像吽形金沢区瀬戸・瀬戸神社拝殿内の木造守門神坐像阿形
鎌倉期作の木造舞楽面(国文化財)。 頭上の龍が身を低く構える「陵王」、頭が小さく鼻先が丸い「抜頭」は、建保7年(1219)運慶の奉納。
金沢区・瀬戸神社・陵王金沢区瀬戸神社・抜頭
権現造りの社殿は寛政12年(1800)造営。
玉垣で囲う本殿は千木・鰹木を設けた流造り、鬼瓦に神紋「三ツ巴紋」を配しています。
神奈川区瀬戸・瀬戸神社社殿
















後背地(北東~西)にスダジィ クスノキ等の照葉樹林、断崖になる社殿裏手にタブノキ クスノキ シロダモ等の常緑広葉樹、尾根状にケヤキ、谷部にスダジィが密生した社叢は、樹齢100年・樹高10~15mの古木も多く市天然記念物に指定されています。
断崖を背に社殿左右に境内社が祀られています。
社殿左側、西から稲荷神社(倉稲魂命)3社、青麻社(大己貴命 少名彦命)、武官坐像、青麻社と同じ社殿の右末社(大雷神 高龗神)。
金沢区瀬戸・瀬戸神社境内社
















稲荷社(石祠)の神使「狐」。
神奈川区瀬戸・瀬戸神社境内社稲荷社駒狐













社殿右側に左末社(石長比売命 木花咲耶比売命)、後方の崖をくり抜いたやぐらに稲荷社。
金沢区瀬戸・瀬戸神社境内社左末社
















更に右手に祖霊社、イヌマキ2本、ケヤキの高木が横一列に並びます。
金沢区瀬戸・瀬戸神社境内右のイヌマキ・欅
















南側に、延宝8年(1680)の台風で倒れた金沢八木の一つ「蛇混柏(じゃびゃくしん)」。
禅寺に植えられることが多く、赤褐色の樹皮が縦に薄く裂けるように長く剥がれるのが特徴。
金沢区瀬戸・瀬戸神社の蛇混柏
















平潟湾 琵琶島弁天社 瀬戸橋等が描かれた貞亨2年(1685)刊行 新編鎌倉志「瀬戸()」。
社殿右に横たわるように描かれている蛇混柏、江戸名所図会では、右上の断崖の松の下に描かれ、「本社の右の傍尓(そばに)あり (これ)も延宝八年庚申八月六日の暴風()吹倒され多りとて今地上尓横多はりきあり 其樹長大尓て竜蛇の起伏()る可如し 金澤八木と称春るを可く其の一なり」と記されている。
新編鎌倉志巻之八「瀬戸圖」






























社務所南側に御神木、傍らに力石や歌碑2基・石塔があります。
歌碑「田鶴  花を雪 遊喜越半那嘉登 見ま可婦も 梅さく古路農 そ羅免奈梨希利  七十七翁弘賢書」 (花をゆき ゆきをはなかと みまかふも うめさくころの そらめなりけり)
歌碑「萬路  蓑むしや 志ら雲消帝 梅能花」(みのむしや しらくもきえて うめのはな」
神奈川区瀬戸・瀬戸神社御神木カヤ
















推定樹齢千年・樹高26mの御神木「大カヤ」(市天然記念物)。
神奈川区瀬戸・瀬戸神社御神木




























風光明媚な平潟湾に突き出た境内社・琵琶島神社(琵琶島弁天社)。
金沢区瀬戸・琵琶島弁天社全景1















江戸名所図会「瀬戸辨財天」
江戸名所図会「瀬戸弁財天」




























琵琶島神社(琵琶島弁天社)参道口、松並木が続きます。
この辺りからの風景は、金沢八景「瀬戸秋月」として描かれています。
瀬戸弁財天参道口
















参道口には、かって弁財天の神橋の東下にあった福石(服石)があります。
頼朝が百日の日参の際、平潟湾の汀で禊の時に衣服を掛けた石で、江戸期、石の前で物を拾うと福を授かるとして信仰されました。  金沢四石の一つに数えられています。
金沢区瀬戸・琵琶島弁天社の福石
















境内には、冠水で立ち枯れたまま腐蝕しない300年を経た柏槙が多く見られます
参道の松並木の間にも多くありますが、神橋を渡ると円形の島の周囲に独特の風景を醸しています。
金沢区瀬戸・枇杷島神社境内の枯木「柏槙」














頼朝が瀬戸明神社を創建時、北条政子は都久夫須麻(つくぶすま)神社(近江・竹生島)から弁財天(市杵島姫命)を勧請、祭神の立姿と頼朝の立身出世に因み立身弁財天(室町期作)として信仰を集めました。
又、島が琵琶に似た形から琵琶島弁財天とも呼ばれます。
鉄柵に囲われる流造りの社殿前には蘇鉄が植えられています。
神奈川区瀬戸・琵琶島弁天社
















社殿右に、佐羽淡斉「総宜楼の詩碑」。 江戸後期の商人で漢詩人:淡斉(佐羽吉右衛門)が、当地で友人と過ごした宴会の様子、瀬戸の風景を詠んだ詩が刻まれています。
文化5年(1808)瀬戸橋近くの料亭東屋の庭にあったもので、復元・移設されました。
琵琶島弁天社・佐羽淡斉の詩碑
















新編鎌倉誌「瀬戸圖」にもあるように、往時、神社前の海中の二つの島を橋で結んでいました。
見下ろすと、名称が島の形に因みことが納得です(市地域史跡)
神奈川区瀬田・瀬戸弁天社全景
















往時、平潟湾は鎌倉幕府の重要な港で、六浦湊と呼ばれました。 
嘉元3年(1305)、北条貞顕が瀬戸~洲崎間に架橋した瀬戸橋。
金沢区・瀬戸橋
















瀬戸橋東詰めに茶店東屋、橋を行き交う人々等賑わう様子を描いた江戸名所図会「瀬戸橋」。
江戸名所図会「瀬戸橋」1江戸名所図会瀬戸橋2江戸名所図会「瀬戸橋」3江戸名所図会瀬戸橋4
下流には、照手姫が松葉いぶし(煙)に遭ったと伝わる照手姫伝説に因む姫小島跡。
金沢区瀬戸・姫小島跡
















広重の金澤八景「瀬戸秋月」。
「野島山に懸る仲秋の名月、瀬戸橋」が描かれ、江戸期の歌人・京極高門の和歌が添えられている。
 「よ流なミの 瀬戸能秋風 小夜更けて 千里能越き尓 すめ累月可け
(よるなみの せとのあきかぜ さよふけて せんりのおきに すめるつきかけ)
金沢八景「瀬戸秋月」














金沢シーサイドライン下から野島を望む。
シーサイドライン下から野島
















御朱印。
金沢区瀬戸・瀬戸神社御朱印




















東京都杉並区上荻・荻窪八幡神社

荻窪八幡神社(上荻4-19-2)は、荻窪駅の北西1.4Kに鎮座する旧上荻窪村の鎮守です。

康平年間(889~98)創建と伝わる古社で、永承6年(1051)河内源氏・源頼義が前9年の役に赴く際、宿陣して戦勝祈願をし、康平5年(1062)凱旋では神恩に感謝して社を修め、武将を駐め永く祀らせたと伝わります。
後の文明9年(1477)、関東官僚・武蔵領主上杉定政家臣・長尾影春と石神井城主・豊島泰経らの反逆で、江戸城主・太田道灌は定政の命で石神井城攻略をするにあたり、当社に戦勝祈願した際、献植した槇が御神木となっています。
武人の祭神「応神天皇」を安置。

境内への入口は3ヵ所(北・東・南)あり、青梅街道沿いに社号標「八幡神社」、扁額「八幡神社」を掲げた北鳥居(明神鳥居)。
杉並区・荻窪八幡神社北側(青梅街道側)社頭














長い鬣の一部が胸まで流れている安政2年(1855)建立「狛犬」。
杉並区上荻・荻窪八幡神社狛犬吽杉並区・荻窪八幡神社狛犬阿
親の左足の上に頭を乗せた吽形子犬。
杉並区・荻窪八幡神社狛犬吽の子犬














親に視線を向ける阿形子犬。
杉並区・荻窪八幡神社狛犬阿の子犬














逆光の為、斜め撮りの吽形(左)は尾の位置が低く、左右対称に2個づつの巻毛になっています。一方、阿形は左右の巻毛数、高さが違っています。
荻窪八幡神社狛犬吽バック荻窪八幡神社狛犬阿バック
大正から昭和初期、かっての北多摩郡一帯は雑木に交じった栗園が広がっていました。  明治20年(1887)旧井荻村・市川喜兵衛が発見した自生の栗苗は、郡に因み「豊多摩早生」と命名され、害虫に強い抵抗力や8月中旬から収穫できることから高値で取引され、各地で栽培されるようになりました。
喧騒から解き放たれた静寂な境内は2600坪、参道沿い左(東)に「豊多摩早生」が混じる社叢が広がります。
荻窪八幡神社・豊多摩早生














参道はここで東鳥居から西の社殿へと延びる参道(丁字路)に突き当り、左に折れた左に道案内と火伏の神、猿田彦神社(祭神:猿田彦大神)、秋葉神社(祭神火之迦具土神)が祀られています。
荻窪八幡神社境内社・














左側(東)に開運・商売繁盛・縁結び・災厄等に御霊験あらたかな御嶽神社(太詔戸神) 稲荷神社(保食神) 須賀神社(素佐之男神) 琴平神社(大物主命) 祓戸神社(瀬織浅姫神 速開津姫神)5社。
荻窪八幡神社境内社5社














社殿脇には子・玉・巻物・鍵を持つ大小の神使「狐」。
荻窪八幡神社境内社狛狐吽荻窪八幡神社境内社狛狐阿
東側に、東日本大震災後に再造営された扁額「八幡神社」を掲げた一ノ鳥居。
杉並区井荻・荻窪八幡神社東鳥居














一ノ鳥居の左(南)に町内の神輿庫、 南鳥居があります。
写真は、北鳥居の参道(左側)と交わる一ノ鳥居(東鳥居)から西(社殿)へ延びる参道を南鳥居の手前から撮っています。
荻窪八幡神社南鳥居














参道途中に二ノ鳥居、傍らには東日本大震災で倒壊した一ノ鳥居台石から造られた注連縄が掛る祓門が並びます。
荻窪八幡神社さんの鳥居・祓門









 




手水舎。
荻窪八幡神社手水舎














右に昭和初期築、同43年増築の神楽殿、西側に神輿殿があります。
荻窪八幡神社・神楽殿














昭和43年(1968)造営の廻廊を巡らした「神門」、古樹の高木が社殿や廻廊を取り囲むように林立しています。
荻窪八幡神社・神門1















拝殿前の左(南)、玉垣内に“百尺の高野槇”と称えられる樹齢550年の御神木「道灌槇」(区天然記念物)、かっては二幹でしたが、昭和初期の暴風雨で一幹となっています。
荻窪八幡神社拝殿・道灌槇














昭和11年(1936)造営の総檜造り・入母屋造りの拝殿、明治28年(1895)造営の総檜造り本殿は拝見することは出来ませんでした。
荻窪八幡神社拝殿














蟇股(植物)。
荻窪八幡神社拝殿の蟇股














神紋「三ツ巴紋」や植物の蟇股、扁額「八幡神社」。
荻窪八幡神社拝殿蟇股・扁額
















例祭日(9月)には、社宝の「狛犬」(区有形文化財)や勝海舟直筆の一対の大幟(3年毎)が拝見出来るそうです。
御朱印。
荻窪八幡神社御朱印




















     
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