コットンとオーガンジーを組み合わせた可愛いチュニック

黒を効果的に使い、一見、刺繍の様に見える花柄、胸元に異素材のライン入りオーガンジーをアクセントにした個性的なチュニックです。
コットン・オーガンジーチュニック

生地
コットン(マスタードイエロー)、
ライン入りオーガンジー(黒ポリエステル)



襟ぐりはバイヤス始末、後ろ開き(8㎝)でボタン留め、
袖は7分袖(スリット5cm)、着丈76㎝。





















開きの左右に4本(7㎜)のタックを入れ、ゆったりと。
コットン・オーガンジーのチュニックバック



























鳥越祭

都内最大級の千貫神輿で知られる台東区・鳥越祭りに行ってきました。
夜祭が凄く雰囲気があるとか、蔵前駅から地上に出た途端、もう祭り一色です。 
鳥越祭りポスター


















蔵前通り(都315号)沿い、神紋「星梅鉢」を染め抜いた幟旗が立つ鳥越神社社頭、今日は社殿など撮れませんので、後日ゆっくりと参拝予定。
鳥越神社鳥居・祭礼のにぎわい
















神楽殿では「千箭凱旋(ちのりがいせん」が奉納されています。
鳥越神社・江戸里神楽奉納

















獅子頭2組、右獅子は牙あり。
鳥越神社・獅子頭
















鳥越祭りは、旧町名・旧区画(宮本 西三筋 三筋南 小島二東 小島二西等23町会)で渡御が行われ、表鳥居で社東側の宮前に引き渡され、順路に従い各町内へと受け渡して行きます。
既に各町内の神輿巡行は終わっていて、今は本社渡御が行われている様子、神輿を追いかけます。
鳥越神社例祭・宮元神輿
















三筋北(元浅草3丁目)辺りの渡御にようやく追いつきました、五色旗を手に手古舞連や1本歯の高下駄の猿田彦が先導します。
鳥越神社本社神輿渡御・猿田彦

















千貫神輿(本社神輿)は本当に大きいです。大通りから路地へと曲がる際、担ぎ手が歩道にまで勢いよく流れ込み、将棋倒しのように十数人の担ぎ手が転がります、凄い熱気が伝わってきました。
鳥越神社・神輿渡御1
















あまりの人出で、神官の乗る神馬の姿は見えません。
鳥越神社・神輿渡御2
















次の町内引き継ぎで馬に置かれた神輿、蕨手もしっかり見えます。
鳥越神社・神輿引き継ぎ






















幻想的な夜祭りまでと思っていたのですが、まだ1時間半以上もあります、来年の楽しみとすることに。
鳥越祭・千貫神輿










品川区北品川・荏原神社

旧東海道の西側、目黒川沿いの荏原神社(北品川2-30-28)は、古くから品川の龍神さまとして親しまれている南品川の総鎮守です。
和銅2年(709)、丹生川上神社(奈良吉野郡川上村)より水の神・高麗神(龍神)を勧請、荏原川(目黒川)沿いに創建され、長元2年(1029)に神明宮を、宝治元年(1247)京都八坂神社から牛頭天王を勧請しました。
康平5年(1062)源頼義・義家が戦勝祈願(前九年・後三年の役)をし、 天正19年(1590)家康公自らの武運長久祈願で神領五石の朱印、以後歴代将軍から朱印の寄進、上杉家等武家からの篤い信仰を受けてきました。

古くは天王社 貴布禰大明神 品川大明神と称しましたが、明治8年(1875)品川総鎮守だったことから旧郡を冠した現社名に改称されました。
勝運 学問 商売繁盛 交通安全 家内安全などに御霊験新たかな祭神「高麗神 天照皇大神 須佐男之神 豊受姫之命 手力雄之神 大鳥大神 恵比寿神」、
末社「伊邪那岐命 伊邪那美命 稲荷大神 応神天皇 徳川家康公他4神」を安置。

目黒川に架かる品川橋(旧東海道)、西側に朱の鎮守橋。
品川区・旧東海道と荏原神社の鎮守橋
















往時、ここが参道でしたが、目黒川の流路変更で鎮守橋が架橋されました。
品川区北品川・荏原神社の鎮守橋
















渡り詰め正面に社号標「郷社 荏原神社」、奥に社務所、参道は鳥居から北西に伸びています。
品川区北品川・荏原神社社頭
















南東向きに木製鳥居(明神鳥居)、旧品川宿・東海七福神「恵比寿神」として鳥居左柱側に恵比寿神石像があります
品川区北品川・荏原神社鳥居
















手水舎。 向かいには、明治元年・翌2年(1868~9)明治天皇の京都・東京御幸の際、当社が内侍所となり「明治天皇御東幸内侍所奉安所碑」があります。 
品川区北品川・荏原神社手水舎
















背中の子犬の視線は親に、足元の子犬が牡丹を銜えた明治29年(1896)建立「狛犬」。 
品川区北品川・荏原神社狛犬吽




















左の子犬が下の子犬の尾を銜えた狛犬(阿形)。
品川区北品川・荏原神社狛犬阿






















社殿は弘化元年(1844)造営、拝殿は入母屋造り。
荏原神社拝殿
















社殿には見事な彫刻が施されています。
唐破風懸魚「鶴 鷲」、棲「龍」、向拝「珠を持つ龍」。
魚品川区北品川・荏原神社拝殿懸




























左木鼻「山鵲」、持ち送り「親子亀」、頭貫「麒麟」。
品川区北品川・荏原神社拝殿左木鼻

















右木鼻。
品川区北品川・荏原神社拝殿右木鼻

















政治家・三条実美氏揮毫の扁額。
荏原神社拝殿扁額














拝殿小壁7面、左右3面には鳥類、植物などの彫刻が施されています。  
正面左側「鶴と竹」
品川区北品川・荏原神社拝殿正面彫刻
















「親子の鶏・梅」
品川区北品川・荏原神社拝殿正面彫刻1
















拝殿正面右、右側面の彫刻。
品川区・荏原神社拝殿彫刻
















拝殿の屋根左右に見える龍は祭神に因むのでしょうか、雨水を天水桶に流す樋の役目をしています。
品川区北品川・荏原神社拝殿屋根の龍(樋)















本殿。
品川区北品川・荏原神社本殿

















火袋に奉納者紋、短い竿上下に鏑模様を刻んだ天保10年(1839)造立「灯籠」、傍らの樹木の枝には沢山の絵馬が下げられています。
品川区北品川・荏原神社境内の石灯籠品川区北品川・荏原神社絵馬
「驛舎南品川の境中の橋の南岸海道より右()あ里 相殿()神明と牛頭天王を合祭() 南品川の産土神な里」とあり、川を挟んで北品川宿・南品川宿の賑わいを描いた江戸名所図会「貴船明神社」。
江戸名所図会「貴船明神社」1江戸名所図会「貴船明神社」2
入母屋造りの社務所。
品川区北品川・荏原神社社務所
















社務所入口に鎮守橋の旧親柱(銅製)、社務所横に小ぶりな狛犬(上写真⇐)が置かれています。
品川区北品川・荏原神社鎮守橋親柱品川区北品川・荏原神社社務所横の狛犬
西側に神楽殿。
品川区北品川・荏原神社神楽殿
















川沿いに境内社熊野神社・稲荷社・八幡宮3社(右から)。
品川区北品川・荏原神社境内社
















御朱印。
品川区北品川・荏原神社御朱印
















品川区東品川・寄木神社

旧猟師町の鎮守・寄木神社(東品川1-35-8)は京急・新馬場駅の東850m、山手通り(R357号)から目黒川へ向かう途中に鎮座。
創建年代不詳ですが、日本武尊が東夷征伐への途次、走水(相模国)にて激しい南風が吹き荒れ、御座船を転覆から救わんと、海神を鎮める為に弟橘姫が入水、無事に木更津に着港しました。
その時、御乗船の残木が品川浦に流れ着いた所に、神霊を南品川漁師町(現・東品川)の与惣兵衛(又は興兵衛)の居地に祀ったのが創始とされます。
又、源義家は奥州征伐の折、漁人から社の由来をお聞きになり勝利祈願され、平定帰路に兜を奉納したことから、以後当地は兜島と言われました。
後、現在地に移されています。
祭神「日本武尊 弟橘姫」、相殿「西宮大神 大己貴命 少名彦尊」を安置。

東向きの社頭、参道口にプレート社号標「寄木神社」。
品川区東品川・寄木神社社頭
















明治36年(1903)造立「明神鳥居」、左に手水舎、奥に亀の甲社。
品川区東品川・寄木神社鳥居と手水舎
















神紋、波模様が彫金された銅扁額「寄木神社」。
品川区東品川・寄木神社鳥居扁額















龍口を置く明治17年(1884)造立「手水鉢」。
品川区東品川・寄木神社手水鉢
















明治末期、漁師達が品川浦に迷い込んだ大亀を捕え、その霊を祀る末社「亀の甲社」。
品川区東品川・寄木神社・境内社亀の甲社
















頂部に亀が彫られた自然石(神狐・神亀)が奉納されています。
品川区東品川・寄木神社境内社・亀の甲社石碑
















当社には4対の狛犬がいます。 石段左の植え込みに初代?の狛犬、前足を上げた玉取りのようです。一方、阿形は足が欠損しています。
品川区東品川・寄木神社・石段脇の狛犬吽形品川区東品川・寄木神社・石段脇の狛犬阿形
傍らに奉納年代は読み取れませんが、「四十貫目・長吉奉納」と刻まれた力石。
品川区東品川・寄木神社の力石
















段上に2対目、昭和63年(1988)鋳造「狛犬」(ブロンズ)、角を持つ狛犬と獅子(右)。
品川区東品川・寄木神社狛犬吽(ブロンズ)品川区東品川・寄木神社狛犬阿(ブロンズ)
毛並みが背中左右から分かれていて、尾の形など見事な後姿です。
品川区東品川・寄木神社狛犬吽バック(ブロンズ)品川区東品川・寄木神社狛犬阿バック(ブロンズ)
3対目は河童狛犬と称され、阿吽共に頭上に窪みをもつ文政11年(1828)建立「小型狛犬」。 かつて社頭向かい(東)の洲崎公園辺りまでが海岸線だった頃、狛犬の窪みに蝋燭を立て、漁船の灯台の役目を果たしていたと云われています。
品川区東品川・寄木神社狛犬吽(小)品川区東品川・寄木神社狛犬阿(小)
吽形(左)の尾は欠損していますが、阿形の尾の方が幅広のようです。
品川区東品川・寄木神社狛犬吽(小)バック品川区東品川・寄木神社狛犬阿バック(小)
高い台石上の4対目は大正2年(1913)建立、やんちゃ盛りの子犬を前足で押えた吽形。
品川区東品川・寄木神社狛犬吽(大)
















阿形の子犬は牡丹を銜えています。
品川区東品川・寄木神社狛犬阿(大)
















3対の狛犬の内、ブロンズとカッパ狛犬の顔は南東向き、4対目が東向きです。
北側に朱の鳥居3基が立つ末社「庄野稲荷神社」が祀られています。
品川区東品川・寄木神社庄野稲荷神社
















境内には、品川浦の漁業・江戸名産・南品川漁師町の歴史等を刻んだ大正~昭和前期の随筆家・本山萩舟撰、明治~昭和期の書家・長谷川耕南書による昭和戌子(昭和23年)建立「江戸漁業根元之碑」。
「徳川氏入國以来 御采御肴用地として順次指定された八ケ浦の 品川浦は本芝浦 金杉浦と共に三浦元と稱(称)せられたが後 他の二浦は地勢上轉(転)業者が多かった為 當浦が事實(実)上の元締となった・・・・(中略)・・
天正以降 洲崎の天王洲を本場とする乾燥製品は東叡山用達のある集散地を冠稱して浅草海苔と呼ばれた・・・(中略)・・當洲崎はもと紐島または兜島と通稱されたが 明暦元年地の利に依て同業全部旧地より移住し 以来南品川獵(漁)師町へ改稱され 同時に明神をも遷座して社殿を営み奉斎今日に及んでいる」(碑より一部抜粋)
品川区東品川・寄木神社・江戸漁業根元之碑


























社殿は権現造り、拝殿は入母屋造り。
品川区東品川・寄木神社拝殿
















千木と鰹木の鬼瓦に神紋入り、唐破風懸魚「龍(左向き)・雲」、蟇股「唐獅子」。
品川区東品川・寄木神社拝殿懸魚





























向拝「珠を持つ龍(右向き)」。
品川区東品川・寄木神社向拝・龍













木鼻「唐獅子」。
品川区東品川・寄木神社左木鼻品川区東品川・寄木神社右木鼻
正面左右の小壁には迫力ある龍の彫刻が施されています。
左側。
品川区東品川・寄木神社拝殿左小壁彫刻














右側。
品川区東品川・寄木神社拝殿右小壁彫刻














扁額「寄木神社」。
品川区東品川・寄木神社拝殿扁額
















鳥居扁額、鬼瓦、賽銭箱に神紋「十六裏菊紋」。
品川区東品川・寄木神社賽銭箱品川区東品川・寄木神社神紋「十六裏菊紋」
正面に扁額、子供神輿が安置された格天井の拝殿内。
品川区東品川・寄木神社拝殿内
















欅造り幣殿と祭神「日本武尊 弟橘媛命」を安置する本殿。
品川区東品川・寄木神社本殿内

















本殿(土蔵造り)の両扉内側には、名工・伊豆長八(入江長八)が手掛けた鮮やかな漆喰鏝絵(品川区有形文化財)が遺されています。
日本神話「天孫降臨」に材し、天照大神の命を受けた瓊々杵命(ににぎのみこと)が高千穂(日向)に天降のところに、猿田彦命が立ちはだかる姿で、扉奥に天照大神が控えている効果をみせているそうです。
右扉:猿田彦命。
左扉:上に瓊々杵命、下に天鈿女命(あめのうずめのみこと)。
品川区東品川・寄木神社本殿内扉左の漆喰細工品川区東品川・寄木神社本殿内扉右の漆喰細工
「鏝絵天鈿女命功績図」説明板。
品川区東品川・寄木神社漆喰鏝絵説明板
















本殿。
品川区東品川・寄木神社本殿
















宝暦元年(1751)6月、品川浦で面が発見され、当社に奉納されました。後、武州彦宗郷(三郷市)で番匠免を授かった木工によるもので、大洪水で流失した貴船明神社(現・荏原神社)祭神「須佐之男尊」の面と判明、荏原神社の大祭では神輿の屋根に載せ、鳳凰の口に稲穂を銜え五穀豊穣・豊漁祈願を込め渡御するようになりました。
往時、社前の海岸から御神面を奉載した神輿が海中渡御していましたが、現在では南100mの目黒川から船で運ばれ、海中渡御が行われます。
品川区東品川・寄木神社海中渡御神輿
海中渡御神輿。

















漁師町を描いた江戸名所図会「寄木明神社」。
江戸名所図会「寄木明神社」






























御朱印(本社・荏原神社で拝受)。
品川区東品川・寄木神社御朱印























オレンジカラーのブラウス

間もなく梅雨入り、気分転換にこんなオレンジカラーのブラウスは如何ですか?
オレンジ程ビビットではないけれど、周りも明るくなりそうな優しい色合い、スカート・ガウチョ・サブリナパンツなど何でも合います。
オレンジカラーのブラウス

生地:コットン薄地。



前見頃中心にタック(5㎝)、太めの8分袖に1.5㎝幅カフス付、体に付かないゆったりサイズ。
後ろは一つボタンのループ(7㎝)開き。
脇スリット7㎝、着丈63㎝。

























千葉県・印旛郡市広域市町村圏事務組合水道企業部のマンホール

千葉県・印旛広域水道空気弁


八街市八街、R409号で撮影。





「印旛広域水道」の空気弁。

※印旛広域水道についてはこちらを












千葉県印旛郡印旛村(現・印西市)のマンホール

平成22年(2010)3/23、印旛村は印西市に編入合併しました。
印旛沼は、戦後の干拓で北部調整池(北印旛沼)・西武調整池(西印旛沼)に水域が分かれ、これらは印旛捷水路でつながり、村北東部が北印旛沼、南西部が西印旛沼に面しています。
千葉県印旛郡印旛村(現・印西市)汚水

美瀬、R464号沿いで撮影。





汚水用には、上部に「いんばぬま しょうすいろ」、下部に「村章」、
「印旛捷水路」に架かる「山田橋」(上)、奥に「市井橋」、周辺の「風景」がデザインされています。












千葉県山武市松尾町(現・山武市)のマンホール

平成18年(2006)3/27、同郡山武町 成東町 蓮沼村と合併して山武市が誕生しました。
千葉県山武郡松尾町(現・山武市)・農集排


水深、県道58号沿いで撮影。





「マツ」を4つの円内にデザインした農集排。

※町の木・花は設定されていませんが、デザインは町名「マツ」に因むようです。






千葉県山武郡山松尾町(現・山武市)・集排


本水深、県道58号で撮影。





中心に「町章」、
円内に「マツ」、「キキョウ」をデザインした集排用(集落排水)。













千葉県山武郡山武町(現・山武市)のマンホール

平成18年(2006)3/27、同郡成東町 蓮沼村 松尾町と合併して山武市が誕生しました。
千葉県山武郡山武町(現・三武市)・仕切弁


椎崎、県76号沿いで撮影。







「町章」入りカラー仕切弁。








千葉県山武郡山武町(現・三武市)・消


椎崎、弓手バス停付近で撮影。






「町章」入りJIS規格消火栓。















千葉県山武市のマンホール

平成18年(2006)3/27、山武郡山武町 城東町 蓮沼村 松尾町が合併して山武市が誕生しました。
千葉県山武市・集排


富田ト、R126号で撮影。






集排には、下部に山武市の頭文字「山」をモチーフにした「市章」、
市の木「スギ」、市の花「ノギク」、市の鳥「ウグイス」がデザインされています。









千葉県・九十九里地域水道企業団のマンホール

九十九里地域水道企業団とは、匝瑳市 東金市 山武市 大綱白里市 茂原市 九十九里町 横芝光町 一宮町 睦沢町 長生村 白子町 長柄町 長南町13市町村の水道用水供給事業の施設建設・維持管理・事務一切を処理する地方公営企業です。
千葉県・九十九里地域水道企業団の空気弁


山武市富田ト、R126号沿いで撮影。






中心に「企業団章」、「九十九里地域水道企業団」文字入りのJIS規格空気弁。











新緑の季節にピッタリ、グリーンカラーのブラウス

最近は、ゆったりと長めのスカートやガウチョパンツに合わせ、ブラウス丈も短めに。
汗ばむ季節にピッタリの薄手ブラウスを作りました。
グリーンブラウス
生地:薄手コットン(ライトグリーン)


後ろ見頃を少し長めに着丈62㎝、

日差しを考えて袖も実寸より少し長め、袖口もゆったりと、
釦も在庫を利用したのでワンコインで出来ました。

















切り替えでギャザーを入れ、ゆったりと。
グリーンブラウス後ろ






























港区虎ノ門・西久保八幡神社

西久保鎮守・西久保八幡神社(虎ノ門5-10-14)は、桜田通り・飯倉交差点の北側台地上に鎮座、飯倉八幡宮とも呼ばれ親しまれています。
当社は寛弘年中(平安中期1004~12)、源頼信(源満仲3男)が石清水八幡宮を勧請して霞ケ関に創建、後、太田道灌により現在地に遷座されました。
崇源院は、慶長5年(1600)関ヶ原の戦で家康公と秀忠公の戦勝と安全を祈願、その報賽から寛永11年(1634)社殿を造営しました。後、火災で焼失しましたが、文政元年(1818)再建され、江戸八所八幡の一つとして賑わいました。
神仏分離までは八幡山普門院と称した東叡山末寺の別当でしたが、廃寺後に神社に改められ郷社に列しました。

祭神「品陀和気命 息長帯比売命 帯中日子命」を安置。

桜田通り沿いに一ノ鳥居(靖国鳥居)、社号標「八幡神社」、左には江戸地誌・江戸砂子「熊谷橋西の窪神谷町尓ある石橋をいふ・・・」を刻んだ石碑があります。 
港区虎ノ門・西久保八幡神社社頭

















鳥居を潜ると左は女坂、高木で覆われる男坂(石段)を上ると、天明元年(1781)造立「二ノ鳥居(明神鳥居)」、石段脇の石碑に「石坂再興 寛政九丁巳年(1797)」。 台地上の境内は、豊かな社叢で少し薄暗く、厳かな雰囲気に包まれています。
港区虎ノ門・西久保八幡神社二の鳥居
















獅子山の狛犬は建立年代不明、見上げている為、顔は撮れません。
港区虎ノ門・西久保八幡神社狛犬吽港区虎ノ門・西久保八幡神社狛犬阿
お百度詣りの明治26年(1893)建立「百度石」、奥に手水舎。
港区虎ノ門・西久保八幡神社百度石
















龍口の手水鉢。
港区虎ノ門・西久保八幡神社手水鉢

















玉垣沿いに生い茂る木蔭に大形の子取り狛犬。 阿吽共に前足の下で子犬が寝そべり、台石に「廣小路 神谷町 宮本」と刻まれている。建立年代不明ですが、おそらく江戸後期頃以降と思われます。
港区虎ノ門・西久保八幡神社社殿前狛犬吽港区虎ノ門・西久保八幡神社社殿前狛犬阿
権現造りの社殿は昭和28年(1953)造営、拝殿は入母屋造り。 前に天保4年(1833)奉納の一対の鋳鉄製「天水桶」、植え込みに文化元年(1804)建立「友古塚」等の石碑があります。
港区虎ノ門・西久保八幡神社拝殿
















蟇股や鏑懸魚、賽銭箱に神紋「三つ巴紋」。
港区虎ノ門・西久保八幡神社拝殿懸魚・蟇股

















扁額「八幡宮」。
港区虎ノ門・西久保八幡神社拝殿扁額














拝殿傍らに文化10年(1813)氏子中が奉納した大きな手水鉢、本殿横に宝珠を載せた大形の石燈籠2基が置かれています。
港区虎ノ門・西久保八幡神社本殿
















社殿裏手(北西)の斜面は、縄文後期の混土貝層、土器などが発見された「西久保八幡貝塚」(都指定史跡)です。 
港区虎ノ門・西久保八幡神社裏の貝塚
















境内北側に境内社3社、右に北参道口があり、又、南側一角の二邑一番組~五番組奉納の玉垣内に、きやり等と刻まれた火消関係の石塔がありますが、少し荒れています。
港区虎ノ門・西久保八幡神社境内右(北)
















左に人麻社(祭神 柿本人麻呂)、中央に稲荷神社(祭神 宇迦之御魂神)、右に「庚申社」。
港区虎ノ門・西久保八幡神社境内社
















稲荷社には神谷町・戸島家の屋敷神「三河稲荷神社」、300m北西から「国守稲荷神社」2社が仮遷座され、神使「狐」ではなく左大臣・右大臣が守護しています。
港区虎ノ門・西久保八幡神社境内社稲荷神社内
















下部に三猿を陽刻、正面に文字を刻む寛文9年(1669)造立「猿田彦神」を祀る庚申社。
港区虎ノ門・西久保八幡神社境内社庚申社(猿田彦神)
















「別當ハ天台宗申弖 東叡山の末八幡山普門院と号須 西窪鎮守申し弖」とあり、男坂・女坂、高台の境内が描かれた江戸名所図会「西久保八幡宮」。(江戸名所図会より)
江戸名所図会「西久保八幡宮」





























社務所には、「昨今の現状を鑑み、御朱印授与を当面中止」の張紙がありました。






港区芝公園・芝東照宮

芝東照宮(芝公園4-8-10)は、芝公園南側に鎮座する旧郷社、四大東照宮(日光東照宮 久能山東照宮 上野東照宮)の一つとされます。
天正18年(1590)家康公の江戸入府の折、増上寺が徳川家菩提寺に定められ、慶長3年(1598)日比谷から江戸城の裏鬼門に当たる芝に移されました。
元和2年(1616)家康は臨終に際し、還暦記念に彫らせた自身の木像「寿像」を増上寺に奉り、永世国家を守護せよと遺言、翌年(1617)社殿が造営され、家康公の法名に因み「増上寺安国殿」と称したのが当社起源です。
寛永10年(1633)新社殿の造営で、旧社殿(安国殿)は開山堂として使われるようになりました。
明治初期、増上寺から分離して東照宮と改められ、明治6年(1873)郷社に列しました。

祭神「徳川家康公」  御神体「寿像(木造徳川家康坐像)」(都有形文化財)を安置。

日比谷通り沿いの社頭。
港区・芝東照宮社頭
















天明6年(1786)建立「狛犬」。
港区芝公園・芝東照宮狛犬吽港区芝公園・芝東照宮狛犬阿
側面、台石の注連縄が陽刻されています。
港区芝公園・芝東照宮狛犬側面





























木立と逆光で分かりづらいですが、阿吽では尾上部の左右の形が違います。
港区・芝東照宮狛犬吽バック港区・芝東照宮狛犬阿バック
扁額「東照宮」を掲げた鳥居(明神鳥居)、参道左右は駐車場となっています。
港区芝公園・芝東照宮一の鳥居
















石段を上ると右に、寛永18年(1641)安国殿再建の際、3代家光公が植えた御神木「イチョウ」(都天然記念物)、前に「天然記念物 芝東照宮ノ公孫樹碑」、北側(右)に増上寺と東京タワーが望めます。
港区芝公園・芝東照宮御神木




























傍らに昭和11年(1936)建立「神木之記碑」、明治16年(1883)建立「神樹碑」。
港区芝公園・芝東照宮御神木前の石碑
















更に石段を上ると手水舎。
港区・芝東照宮手水舎
















2つの勾玉が台4面に陽刻された四角形の手水鉢。
港区・芝東照宮手水鉢















寛永18年(1641)駿府城から移築した惣門、本殿や拝殿等豪奢な社殿が整いましたが、昭和20年(1945)の東京大空襲で尽く灰燼と帰しました。
現社殿は昭和44年(1969)造営の権現造り、入母屋造りの拝殿前には提灯が灯されています。
港区・芝東照宮拝殿
















蟇股と神殿幕に神紋「三つ葉葵」。
港区・芝東照宮拝殿蟇股
















神紋の鏑懸魚。
港区・芝東照宮拝殿懸魚














拝殿扁額「東照宮」。
港区・芝東照宮拝殿扁額















厳かな拝殿内。
港区芝公園・芝東照宮拝殿内
















御神体「木造徳川家康坐像(寿像)」。
港区・芝東照宮・家康公寿像(写真)

















勝運に御霊験あらたかで参拝者が絶えません、昼時にはサラリーマンの方々もお詣りに。
港区芝公園・芝東照宮拝殿東側
















南側からの本殿。
港区・芝東照宮本殿
















東京大空襲の際、 御神体「寿像」は井戸に沈められ焼失を逃れました。
今は埋め立てられましたが、社殿左にその時の「葵の井戸」が残されています。
港区・芝東照宮井戸
















社務所。
港区芝公園・芝東照宮社務所
















御朱印と共に日光杉並木古材の「しおり」を頂きました、とてもいい香りです。
港区芝公園・芝東照宮御朱印港区・芝東照宮「お供物」





横浜市中区石川町・諏訪神社

根岸線・石川町駅の西500m、“お諏訪さん”の愛称で親しまれている諏訪神社(石川町4-164)を参拝します。

室町期の文明13年(1481)、諏訪大社を勧請して諏訪山と呼ばれる標高40~50mの高台に小祠が祀られました。 地名から諏訪神社と號され、一帯の住民達が絶え間なく燈明を供える等崇敬を受けてきました。 
江戸前期(明暦2年1656)の新田開発以前、一帯は洲千湊と呼ばれた入江南側で、石川河岸入海を出入りする漁船には、高台に見える燈明が灯台の役割を果たし、又、火伏の神として篤く崇敬されました。
家内安全 厄除け 交通安全など御霊験あらたかな祭神「建御名方命」を安置しています。

並行する中村川から南に折れた正面、社叢を背後に扁額「諏訪神社」を掲げた明治28年(1895)造立の鳥居(明神鳥居)が見えます。
横浜市中区石川町・諏訪神社社頭
















社頭に「文明十三年創立」と刻まれた石碑。
横浜市中区石川町・諏訪神社創立碑
















狛犬は建立年代不明、子取りの吽形。
横浜市中区石川町・諏訪神社狛犬吽
















阿形も子取り。
横浜市中区石川町・諏訪神社狛犬阿

















一部欠損ヵ所がありますが、後姿は同じで、長い尾は前(東)に流れています。
横浜市中区・諏訪神社狛犬吽バック横浜市中区・諏訪神社狛犬阿バック
手水舎、横に絵馬掛けが並びます。
横浜市中区石川町・諏訪神社手水舎
















神紋「立梶の葉」の手水鉢。
横浜市中区石川町・諏訪神社手水鉢
















新編武蔵風土紀稿には、除地四畝二十五歩(約400㎡)と記されていますが、現境内は社叢などもあり狭いようです。
これまでに幾度かの災害を蒙り社殿焼失に遭いましたが、現社殿は昭和38年(1957)造営され、前に二対の石燈籠、屋根付門提灯があります。
横浜市中区石川町・諏訪神社拝殿
















向拝の蟇股。
横浜市中区石川町・諏訪神社拝殿蟇股
















実業家でもあった横濱市長平沼亮三氏揮毫の扁額「諏訪神社」、額中央上下に「神紋」、周囲に「葉」が彫刻されている。
横浜市中区石川町・諏訪神社拝殿扁額














神燈が灯る厳かな拝殿内。
横浜市中区石川町・諏訪神社拝殿内
















社殿右側に社務所があります。
御朱印
中区石川町・諏訪神社御朱印


















青森県弘前市のマンホール

平成18年(2006)2/27、弘前市は中津軽郡相馬村 〃岩木町と合併、11/15に新市章が制定されました。
旧市章(卍)は、明治33年(1900)に制定された“吉祥万(卍)徳”を表す津軽氏の旐印です。
青森県弘前市・汚水(リンゴ)


城東で撮影。






汚水用には、ドット模様の中心に「旧市章」入りの市の木「リンゴ」がデザインされています。  







青森県弘前市・汚水親子(サクラ・リンゴ)


新鍛治町で撮影。






市の花「サクラ」、市の木「リンゴ」をデザインした汚水用親子蓋。










青森県弘前市・汚水親子(亀甲)


弘前城付近で撮影。






「旧市章」、枠付きJIS規格汚水用(亀甲)。








青森県弘前市・汚水JIS(テトラポット)









「旧市章」、JIS規格汚水用(テトラポット)。









青森県弘前市・汚JIS










「旧市章」のJIS規格汚水用(△・□のピンドット)








青森県弘前市・雨水親子四角


桶屋町、県道28号で撮影。






「旧市章」、角型JIS規格雨水用。







青森県弘前市・汚水H


弘前城付近で撮影。






「旧市章」、汚水用ハンドホール。







青森県弘前市・汚水枡









「旧市章」の汚水枡。







青森県弘前市・防火水槽


富田で撮影。







「旧市章」の防火水槽。








青森県弘前市・カラー仕切弁


大町で撮影。






「旧市章」のカラー仕切弁。








青森県弘前市・仕切弁








「旧市章」のカラー仕切弁。








青森県弘前市・消


城東で撮影。






「旧市章」、市の木「リンゴ」を知恵の輪の様に重ね、下に「はしご車」がデザインされた消火栓。








青森県弘前市・消化栓








「旧市章」の角消火栓。












青森市大字石江・石江神明宮

石江神明宮(石江字高間142-6)は、新青森駅の東250m程に鎮座。 
当地区は明治8年(1875)石神村と江渡村の合併で石江村に改称され、古くから旧石神地区の産土神として信仰されてきました。由緒等は不明ですが、大絵馬が発見されたことで明治中期以前の鎮座と考えられます(「広報あおもり」より)。
伊勢神宮を勧請し、国土安泰 開運等に御霊験あらたかな祭神「天照皇大神」を安置。

周辺は新興住宅街が広がる静かな地域、高木の樹木が広い境内を囲う様に林立していますが、おそらく駅開業以前は豊かな自然広がる山里風景だったと思われます。
南東向きの社頭の左右に社号標「神明宮」、鳥居は金属製ですが、銅鳥居でしょうか。
青森市大字石江・石江神明宮社頭
















緑青が出ている銅製の扁額「神明宮」。
青森市・石江神明宮鳥居扁額
















境内には2対の狛犬がいます、鳥居側は昭和13年(1838)建立、厳つい顔付です。
青森市・石江神明宮狛犬吽青森市・石江神明宮狛犬阿
後姿は尾の螺旋状の彫りやトップの大きさ等が違っています。
青森市・石江神明宮狛犬吽バック青森市・石江神明宮狛犬阿バック
側面。
青森市・石江神明宮狛犬吽1側面青森市・石江神明宮狛犬1阿側面
構え型に近い2対目は大正10年(1921)建立。 吽形(左)の両耳が欠損している為、顔がほっそり見えます。
青森市・石江神明宮狛犬2吽青森市・石江神明宮狛犬2吽
少し片足を後ろにずらした姿は同じ。
青森市・石江神明宮狛犬吽2バック青森市・石江神明宮狛犬阿2バック
吽形。 尾端は社殿側に流れ、背中に流れた鬣の巻気の大きさ、前足付け根部分の模様等が阿形(下写真)と違います。
青森市・石江神明宮狛犬吽2側面

















尾端が鳥居側に流れている阿形。
青森市・石江神明宮狛犬阿2側面


















手水舎、右に山の神が祀られています。
青森市・石江神明宮手水舎と庚申碑
















山の神。 前に紙垂(金属製)が張られている。
山神が祀られていることから、自然豊かな所だったことが窺えます。
青森市・石江神明宮・山神
















拝殿。
青森市・石江神明宮拝殿
















書家・英堂拜書による扁額「神明宮」。
青森市・石江神明宮扁額














注連飾りで見ずらいですが、向拝は「唐獅子」です。
青森市・石江神明宮拝殿向拝「唐獅子」














木鼻「唐獅子・象」。
青森市・石江神明宮木鼻左青森市・石江神明宮木鼻右
社殿は権現造り、玉垣内の本殿は鰹木を乗せた入母屋造り。
青森市・石江神明宮本殿
















本殿琵琶板三面に蛙股「牡丹」。
青森市・石江神明宮本殿後ろの蟇股












境内左に、自然石上部に月・太陽が刻まれた明治34年(1901)建立「庚申」、右は庚申信仰と深い関わりのある道の神、寛政10年(1798)建立「猿田彦」のようです。 
青森市・石江神明宮・庚申碑と石仏















境内は広く、北東側は遊具等が置かれています。
特に注連縄が掛けられた御神木は無いようですが、参道の傍らにそれらしき大樹があります。
青森市・石江神明御神木
















新幹線待ち時間、知らない町を探索するのも楽しみですね。



東北の桜紀行・城下町角館 盛岡城址 弘前城址を訪ねて

桜並木に佇む武家屋敷が調和する城下町角館、南部氏の居城「盛岡城址」、足を伸ばし弘前城址の桜など物見遊山の旅を楽しみます。

角館は、慶長7年(1602)16000石で入部した蘆名義広(盛重→義勝に改め)が、古城山北側の城下を自然災害等の地の不利から、新たに古城山南側に町割りした町で、秋田藩の支藩では最大の城下町として仙北地方の政治経済・文化の中心地として栄えました。
角館駅

角館駅














町は南北に細長く、北側に武家屋敷(内町)、南に町人町(外町)を配置されています。
先ず城下南側、田町武家屋敷通りへ。 新潮社は、当町出身の佐藤義亮氏が明治37年(1904)創設、新潮社文学館入口には、戦後出版の第1号「雪国」のオブジェがあります。
角館町・新潮社記念文学館・オブジェ「雪国」

















往時、城下北側は佐竹家臣団が統治し、南側の田町は今宮家臣団の中心地でした。
記念館向かいに今宮家家臣団だった黒塀・冠木門の「西宮家」。
角館町田町上丁・西宮家

















明治中期に建てられた西宮家母屋。 敷地南・北側に明治中期~大正期築の蔵5棟があり、当家最古の明治27年築の文庫蔵には人力車・玩具や生活用具等が展示されています。
田町上丁・西宮家全景

















田町下町辺りの濃淡の枝垂れ桜、更に南下すると角館鎮守神明社があります。
角館町下新町・大田家前

















樹高も6~7m有りそうです。
角館下新町の桜















北上して下新町通りへ、まず見ごたえある太田家(非公開)の枝垂れ桜が目に飛び込み、斜向かいに嘉永6年(1853)創業「安藤醸造」。
安藤家は享保期からの地主で、醸造業(味噌 醤油 漬物等)を営み、明治中期築の煉瓦蔵(市有形文化財)は、現存する蔵では東北地方最古だそうです。
角館下新町・安藤商店















塀沿いの仕込水は、創業時より味噌や醤油の醸造で使用されている井戸水です。
角館下新町・安藤家の井戸水

















2本北側の西勝楽町通りへ進むと成就院薬師堂、奥に古刹・報身寺。
角館西勝楽町・成就院・薬師堂

















角館のメイン通りと云えば、往時の町割りが残る武家屋敷通り(東勝楽丁通り)ですが、既に多くの観光客で賑わっています。  
屋敷門前の枝垂桜(国天然記念物)は、寛文4年(1664)佐竹北家2代佐竹義明の正室の輿入れの際、嫁入り道具と共に京都三条西家から苗木3本を家臣団の屋敷に植え増やしたのが始まりとか。
この一角は角館重要伝統的建物群保存地区に指定され、“みちのくの小京都”と呼ばれる情緒を醸しています。 町内の樹齢300~400年を経た大樹等400本、内162本が国指定天然記念物です。
武家屋敷通り

武家屋敷通り。













代々主水を名乗る小田野家(市史跡)は、佐竹北家臣の分家で、主屋は明治33年(1900)の大火後の再建です。
角館東勝楽丁・小田野家

















北側の河原田家(市史跡)は、明治中期築の武家住宅の間取りを踏襲した建物。
角館東勝楽・河原田家玄関

















黒塀にはこの様な出窓風の飾り棚が多く見られます。  入口近くにあることから、来客等や開門しなくても通りの様子が見られる為なのでしょうか、又は庭先の四季の花等を活けて飾る等したのでしょうか。 いずれにしてもステキな塀ですね。
角館東勝楽丁・河原田家黒塀































古泉洞(武家そば)は江戸期の寺子屋跡。看板で見落としますが正面小壁一面に唐獅子の彫刻、1・2階の唐破風に豪華な懸魚が施されている。
店先に石燈籠や馬の水飲み場(左写真の右)、右角に馬繋ぎ石(右写真)等、城下町時代の遺構があります。
角館・古泉洞前の石塔等角館・古泉洞前の馬繋ぎ石
奥まった所に大勢の人だかり、観光に一役買っている秋田犬「武家丸君(3才)」。
武家町通り・秋田犬















蘆名義勝の家臣・青柳家は敷地3千坪、前に馬繋ぎ石を置く薬医門は万延元年(1860)建立。
角館表町下丁・青柳家門

















南下して、秋田在三ケ寺(補陀寺・秋田市) 最禅寺・湯沢市)の一つ・曹洞宗寺院「丁寧寺」へ。
城下の町割の礎を築いた蘆名義勝が創建した名刹で、菩提寺でもある。  山門(史跡)前に明和元年(1615)建立「結界石」、「是より山頂百五十米」と道標を兼ねた百穂之華塚等の石仏石塔群があります。
角館花場下・丁寧寺本堂

















今夜の宿、盛岡へ。
盛岡城址公園北側に南部藩主4神を祀る櫻山神社、本殿右に市民から親しまれている烏帽子岩があります。
盛岡・櫻山神社拝殿

















内丸緑地に延宝7年(1679)鋳造「時の鐘」(奥州路磐手郡盛岡県城北更鐘)(県有形文化財)。  藩政(4代南部重信)時代、城下に時を知らせた2口の梵鐘の1口で、昭和28年(1953)頃まで約280年間に渡り、時を知らせていました。
盛岡城址内丸緑地・潘政時代の時鐘

















東側の掘割。
盛岡城址公園の堀割

















南部氏の居城「盛岡城(不来方(こずかた)城)」は、石垣造り三大名城(会津若松城 白河小峰城)の一つ。
啄木は盛岡中学時代、時折教室を抜け出しては二ノ丸で文学の夢を育み、 25歳の時、当時を偲び「十五の春へ」を発表しています。
 ニノ丸北側に石川啄木歌碑「不来方の お城の草に 寝ころびて 空に吸われし 十五の心」。
盛岡城址公園
二ノ丸跡。














夕映えに染まる頃、仕事帰りのサラリーマンや小グループが続々と、今日は花見会で盛り上がりそう。 
盛岡城址公園。二ノ丸跡で















夕陽を浴びた花の色は、昼間より一段と輝きを増しています。北側からの三ノ丸石垣と枝垂桜。
三の丸石垣と桜















北上川・海運橋から夕日に染まる岩手山(標高2038m)。
北上川から岩手山















2日目は桜の名所・弘前城(国史跡)を巡ります。
新青森駅から乗り込んだ奥羽本線(3両編成)は、汗ばむほどの超満員です。 弘前駅前から巡廻バスがピストン運行していますが、小回りが利くレンタサイクル(500円/日)で弘前城へ。

弘前公園は桜まつりの開催中、東京ドーム1個分(50ha)の広さを誇り、約2600本の桜で染まっています。
植物園東側の堀の桜並木、綺麗ですね。
弘前城・東門手前の堀















三ノ丸東門(国文化財)は、屋根に鯱(鋳鉄製)をあげた脇戸付櫓門で築城時造営。
弘前城三ノ丸東門















門正面、絵画の様。
弘前城三の丸東門正面の桜
















石垣工事が見学できます。
弘前城と石垣修理

















石垣修理説明板。
弘前城・平成の石垣修理説明板



















下乗橋。
弘前城・下乗橋(二ノ丸→本丸へ)

















本丸唯一の遺構、天守(三階櫓)。
弘前城南東から















全てに番号札が付けられた石垣、展望台近くで見られます。
弘前城石垣修理















文化8年(1811)築「天守」全景。
弘前城全景















各階毎に藩政期の資料が展示され、3階には本丸の模型や3代津軽信義公が使用した家紋「杏葉牡丹紋」入り駕篭、写真等が展示されています。
弘前天守・城内模型

















天守西側から望む岩木山。
弘前天守から岩木山















東側から展望台、右奥に修理中の石垣。
天守から展望台

















天守西側の枝垂れ。
弘前城・本丸前の桜

















鷹岡橋から本丸北側の石垣。
弘前城址・鷹丘橋















園内にはウラジロモミ、ネズコ、ソメイヨノ等の古木が県天然記念物に指定されています。
二ノ丸近くのソメイヨシノは、明治15年(1882)植樹で国内最大の幹周5.37mを持つ古木です。
弘前城・古木の桜(東内門近く)

















昨日は好天に恵まれましたが、今日は夕方から小雨の予報です。 三の丸の駐輪置場に着くやいなやパラパラ降りだしました。 
ここから800m程南の金剛山最勝院と弘前八坂神社へ急いで向かいます。
右に文武両道の社として崇敬される弘前八坂神社、五重塔で知られる最勝院を参拝しました。
大字銅屋町・弘前八坂神社・最勝院


















駅への途次、再び雨脚が強くなりましたが、次第に小雨に。
新幹線発車迄30分程あり、付近散歩中に石江神明宮を参拝、
寺社巡りと桜を満喫した花見旅行でした。








弘前市大字銅屋町・弘前八坂神社と最勝院

弘前城の南800m、弘前八坂神社(銅屋町80)と最勝院を参拝しました。

八坂神社の創建年代は不詳ですが、延暦年間(782~806)開基の大円寺の鎮守社として、京都・八坂神社を勧請したのが始まりです。 
境内地は寺沢川と土淵川の合流地点で、弘前城の南側防衛拠点に適地だったことから、正保4年(1647)共に城下から現在地に移され、大円寺には3代信義公の守り本尊「大日如来」、牛頭天王を祀りました。
明治初期、大円寺跡地に最勝院が移った際、牛頭天王社から現社名に改め、本地仏「牛頭天王像」は最勝院護摩堂の本尊となり、新たに素佐之男命を勧請。

祭神「素佐之男命 奇稲田姫命 草野姫命 菅原道真公」を安置、家内安全 縁結び 学問上達等文武両道に御霊験新たかで、銅屋町 桶町 鍛治町 新鍛冶町 北・南川端町の産土神として信仰されています。

境内へは北・西側2ヵ所あり、弘前八坂神社の扁額「八坂神社」を掲げた一ノ鳥居(両部鳥居)と金剛山最勝院山門が北向きに並びます。
弘前市大字銅屋町・弘前八坂神社と最勝院山門
















参道は神仏分離(境内分離)の名残から、途中で直角に右に折れ、扁額「八坂神社」を掲げる二ノ鳥居(台輪鳥居)。
弘前八坂神社二の鳥居
















桜の大樹の傍らに、側面「御大典記念」、正面「奉献」と刻まれた自然石の手水鉢。 
弘前八坂神社手水鉢
















構え型狛犬(ブロンズ)は昭和11年(1936)建立。
弘前八坂神社狛犬吽弘前八坂神社狛犬阿
後ろ足を横に張りだすバックスタイル。
弘前八坂神社狛犬吽バック弘前八坂神社の狛犬阿バック
社殿は昭和24年(1949)再建、入母屋造の拝殿、左に社務所があります。 
弘前八坂神社拝殿

















鍛治町奉納の扁額「八坂神社」。
弘前八坂神社拝殿扁額












本殿は一間社神明造、傍らに唄を刻んだ「西〇陣亡之碑」があります。
弘前八坂神社本殿
境内真中に満開の桜、御神木を撮るのをウッカリしました。
弘前八坂神社境内
















境内から最勝院・五重塔。
弘前八坂神社境内から最勝院五重塔
















境内には魚鳥供養塚や氏子奉納の石碑等多くの石塔群が並びますが、中でも塀沿いに剣を持つ2石像を台石に「天満宮碑(歌碑)」があります。
弘前八坂神社・南側の石碑群
















一ノ鳥居から銅屋町の町並み。
弘前八坂神社境内から一ノ鳥居
















次いで隣の金剛山光明寺最勝院へ。
最勝院は、天文元年(1532)弘信上人が堀越城下に堂宇を建立したことに始ります。
慶長14年(1609)、2代津軽信枚公が弘前城を築城し、2年後鬼門除けとなる田町へ移転して、弘前八幡宮の別当となりました。又、12か寺の東塔寺院を従えるなど、藩永世祈願所として篤い保護を受けています。 
寛永3年(1626)津軽真言五山の筆頭となり、藩内寺社を統括する立場で社人をも支配していました。
神仏分離で廃寺11か寺を合併し、旧大圓寺(南津軽郡大鰐町へ移転)跡の現在地に移転、伽藍等全てを受け継いでいます。
院号は護国三部経の一つ、金光明最勝王経に因みます。

山門(仁王門)は弘法大師入定1150年忌記念で造営、同時に参道整備も行われました。
弘前市銅屋町・最勝院山門
















山門前の狛兎、正面に「卯歳一代様」の文字も。 何故、兎なのかと思われますが、本堂には卯年生まれの方の守り本尊「文殊菩薩(秘仏・空海作)」が安置されているからです。
最勝院山門前の狛兎左最勝院山門前の狛兎右
第三十七世昭典住職揮毫による山号扁額「金剛山」。
最勝院山門扁額















仁王像(金剛力士像)。
弘前市・最勝院山門仁王像左弘前市・最勝院山門仁王像右
妻壁には「牡丹」彫刻が施されています。(八坂神社境内から)
彫刻最勝院山門右小壁の牡丹














参道沿いに様々な表情の三十三観音。
最勝院参道
















五重塔(国文化財)は、初代津軽為信の津軽統一で戦死した敵味方の将士供養の為、大圓寺6世京海が建立。 完成前に京海が没した為、深く帰衣していた3代信義公・4代信政公により約10年の歳月を掛け寛文7年(1667)竣工しました。 
最勝院五重塔と桜
















総高31.2m、文化財の五重塔としては最北端に位置する。
最勝院五重塔
































手水舎(総ヒバ)は入母屋造り、東西南北の力神(下写真)が梁を支えています。
最勝院手水舎
















左から:北(正面)、東(左)、南(後ろ)、西(右)。
最勝院手水舎力神(北)最勝院手水舎力神・東最勝院手水舎・力神南最勝院手水舎力神(西)
逆梵字・光明真言が彫られた格天井。
格天井最勝院手水舎・梵字入りの天井
正面に本堂、本尊「金剛界大日如来」を安置。
最勝院本堂
















智山化主、第65代龍心大僧正揮毫の扁額「最勝院」。
最勝院本堂扁額













本堂左にかつて大圓寺本堂だった護摩堂(宝形造り)、厄病除けに御霊験あらたかな本尊「牛頭天王」を安置。
最勝院・護摩堂
















額周囲に象形文字等が入れられた扁額「密厳舎」。
最勝院・護摩堂扁額













祭壇に本尊「牛頭天王」、正面小壁に扁額「牛頭天王」、天明4年(1784)奉納「御所車」や「四季の草花」を描いた絵馬が掲げられている。
最勝院護摩堂内
















文久2年(1862)建立「狛犬」、牡丹・葉の陽刻を施した六角形二段の台座に立膝座り、5本指を持ち蛙の様な顔付です。
幕末期としては異色な感じで興味深いですね。  傍らには石仏石塔群が祀られています。
最勝院・護摩堂狛犬左最勝院護摩堂・狛犬右
何と表現したらいいんでしょうか、後ろ姿は更にユニーク。
阿吽共に前足を伸ばした側に体が傾き、吽形(左)は4本の鬣?の内1本が長く尾も垂直、阿形は少し後ろに反れている。
最勝院護摩堂狛犬左バック最勝院護摩堂狛犬右
東側に五智如来堂(本尊・五智如来像)、社殿前に庚申碑が並ぶ庚申堂(本尊・青面金剛)、聖徳大師堂、薬師堂(本尊・薬師瑠璃光如来)、文殊堂が祀られています
最勝院・聖徳太子堂他
















六角堂と呼ばれる如意輪観音菩薩堂は、江戸期・元和元年(1864)城下本町の豪商一野屋が嫡男の菩提を弔う為造営、本尊「如意輪観世音菩薩」を安置。 平成18年(2006)老朽化で修復されている。
最勝院・六角堂
















小型の狛犬(吽形)は正面向き、建立年代不明ですが堂造営時の頃かもしれません。
最勝院六角堂・狛犬吽


















悪霊を寄せ付けない鋭い眼光。
最勝院六角堂・狛犬吽 (2)最勝院六角堂・狛犬吽バック
構え型の様な阿形は、背中に垂れる尾端と鬣も吽形より長い。
最勝院六角堂・狛犬阿
















尾の下の形、ふくらはぎ辺りにすね毛があります。
最勝院六角堂・狛犬阿2最勝院六角堂・狛犬阿バック
手水舎近くの白モクレンも満開です、境内から山門方面。
最勝院境内から山門方面














御朱印。
御朱印弘前市・最勝院

















岩手県盛岡市・櫻山神社

「鶴岡城」三ノ丸鳩森下曲輪跡に鎮座する櫻山神社(内丸1-42)を参拝しました。
当社は江戸中期の寛延2年(1749)、8代藩主利視公が初代信直公の御遺徳を偲び、本丸東側の淡路丸に神殿を造して御神霊を勧請、淡路丸大明神としたのが創始とされます。
櫻山と称された淡路丸から、文化9年(1812)11代利敬公により櫻山大明神に改められ、6年後に南部家初代・光行公が合祀されました。
明治初期の廃城後、御神体は妙泉寺山(茄賀野村)に仮遷座され、後、下北山・聖寿禅寺跡に再遷座されましたが、明治中期に城地が南部家に払い下げられた為、同33年(1900)東に中津川が流れる丘陵上の現在地に奉遷鎮座されました。
祭神「南部光行公(南部家初代) 信直公(初代藩主) 利直公(3代藩主)大正元年合祀) 利敬公(11代藩主)大正元年合祀」を安置。

参道は約100m、R455号から南西に伸び県庁前交差点沿いに一ノ鳥居、ニノ鳥居、三ノ鳥居と建てられています。
盛岡市内丸・櫻山神社鳥居

















神門前に昭和12年(1937)建立「狛犬」、旧藩御雇鳶元二番組・盛岡消防組の奉納です。
盛岡・櫻山神社神門前の狛犬吽盛岡・櫻山神社吽狛犬側面
阿形は旧藩御雇鳶元一番組が奉納。
盛岡・櫻山神社神門前の狛犬阿盛岡・櫻山神社神門前の狛犬側面阿
神門。
盛岡・櫻山神社神門
















南部家は、鶴からの瑞兆がもたらされたことから、家紋(定紋)「向鶴」を用いていましたが、時には替紋として「武田菱 花菱 九曜紋 松笠」を使用していました。
神門正面に南部氏家紋「南部鶴」、替紋「武田菱紋」入りの扁額「櫻山神社」。
側盛岡市・櫻山神社神門・外側扁額
















神門後方の扁額「尊皇愛國」。
盛岡市・櫻山神社神門・内側扁額














門を潜ると右に手水舎傍らに南部氏家紋・神紋「向鶴(南部鶴)」、手水鉢左に南部家江戸屋敷に祀られていた「おもかげ地蔵尊」が祀られています。
安政大地震(1855)で江戸屋敷は全壊しましたが、死者・けが人等被災者が少なかったのは御神徳によるものと信仰されてきました。
盛岡市・櫻山神社手水舎
















社殿前に大正2年(1913)建立「狛犬」
盛岡市・櫻山神社拝殿前の狛犬吽盛岡市・櫻山神社拝殿前の狛犬阿
丘陵上の社殿は明治33年(1900)造営。 「拝殿」
盛岡城址・櫻山神社拝殿















拝殿扁額「櫻山神社」。
盛岡城址公園・櫻山神社拝殿扁額
















石垣上、本殿右の巨岩は築城時の掘り下げで出現し、その形状から「烏帽子岩」と呼ばれます。かつて、ここが祖臣の神域だったことから、代々藩主が“宝大石”と崇め、藩のお守り岩として崇敬されてきました。
又、出隅の御神木「ケヤキ」が、境内を見下ろすように石垣に根を張っています。
盛岡城址・櫻山神社本殿と烏帽子岩
















本殿(流造り)と同じ大きさの烏帽子岩(高さ約6.66m)、この日も多くの方々が「お守り岩」として親しまれている烏帽子岩を参拝していました。
櫻山神社烏帽子岩
















本殿の階段には南部氏家紋に因む鶴が置かれています。
盛岡城址・櫻山神社本殿側面

















烏帽子岩の右に、往時は榊山稲荷と称していた古社「南部稲荷神社」、傍らに小祠が祀られています。
盛岡城址・櫻山神社境内社稲荷神社
















御神木の傍らに、桶下正光歌碑「踏まれても 根強く生る道草の や可て來る春 花も咲くらん
盛岡城址・櫻山神社境内から
















西側の木製鳥居(台輪鳥居)。
盛岡・櫻山神社西鳥居
















桜の花びらが貼られた御朱印。
定紋「向鶴」(中央)、替紋「武田菱(右上) 花菱(右下) 九曜紋(左上) 松笠(左下)」。
櫻山神社御朱印







     
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