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我が家の春爛漫。

今年も我家のシンビジュームが満開になりました。
例年、株分けする為、鉢数は多いのですが、今年は花芽を持ったのが約半数の鉢だけ。
3本立てが数鉢で、殆どが1本でした。来週辺り最後の4鉢が開花します。
2019年シンビジューム

















1ヵ月近く鉢植えで楽しみ、切り花にしてもかなり長く楽しめます。
2019年シンビジューム



















埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)のマンホール

岩槻市は、平成17年(2005)4/1さいたま市に編入合併して、さいたま市岩槻区となりました。

埼玉県岩槻市(さいたま市岩槻区)・カラー汚水(黒文字)


本町、R122号舗道で撮影。



カラー汚水用には「人形のまち いわつき」、 岩槻城址公園にある「岩槻城城門(黒門・文化財)」とサクラ(上)、
菖蒲池に架かる朱塗りの「八ッ橋」(右下)、
公園近く(北西)の「時の鐘」(左下)、市の花「ヤマブキ」が三分割でデザインされています。









埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)・カラー汚水


岩槻駅東口付近で撮影。





「人形のまち いわつき」、「おすい」文字部分を白色にしたカラー汚水用。










埼玉県岩槻市(さいたま市岩槻区)・汚水カラー枠無し








枠無しカラー汚水用。










埼玉県岩槻市(さいたま市岩槻区)・汚水枠付き


本町で撮影。






「人形のまち  いわつき」文字無しの同デザイン汚水用。










さいたま市岩槻区)・汚水










枠無し、「おすい」文字が大きめ、鍵穴1カ所の同デザイン汚水用。








埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)・JIS汚水(亀甲)









中心に「下」(下水)入りの「市章」、「汚水」文字のJIS規格汚水用(亀甲)。









埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)・仕切弁S


岩槻駅付近で撮影。




4分割に「市章」、下に「S」、左右に「仕・弁」の仕切弁。







岩槻市(さいたま市岩槻区)・カラー仕切弁100


愛宕町で撮影。




「市章」、「02 100」のカラー仕切弁。









岩槻市(さいたま市岩槻区)・カラー泥吐弁75







「市章」、「02 75」のカラー泥吐弁。








埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)・泥吐弁


岩槻駅付近で撮影。




4分割に「市章」、「泥・吐・弁」文字の泥吐弁。










埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)・カラー空気弁


宮町で撮影。





「市章」、「空気弁」文字入りの丸型カラー空気弁(亀甲・ドット)。










埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)・カラー丸消火栓


愛宕町で撮影。






丸型カラー消火栓。









埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)・カラー角消火栓


本町で撮影。





「市章」、斜め分割式角型カラー消火栓。















さいたま市岩槻区本町の久伊豆神社

明神さまで親しまれている岩槻総鎮守「久伊豆神社」(宮町2-6-55)を参拝します。

(由緒)第29代欣明天皇の代(539~71)、出雲の野見宿彌を祖とする豪族土師氏が当地移住の折、大己貴神(大国主命)を勧請したのが起源とされます。
久伊豆神社とは元荒川を中心とする県一部だけに見られ、平安期には久伊豆信仰として、元荒川周辺の武士集団の崇敬を集めていました。
総本社は、久伊豆神社郡で唯一平安期の「延期式」にも記載され、江戸期まで久伊豆大明神と称した古社「玉敷神社」(加須市)とされています。

文明10年(1478)岩槻城築城の際、天門(乾・北西)にあたることから城内総鎮守となり、以後、江戸期を通じ城内・城下9ケ町総鎮守として歴代城主の篤い崇敬を受けてきた武州岩槻総鎮守です。
大正25年(1926)郷社に、昭和20年(1945)県社に列している。

南向きの表参道、社号標「武州岩槻総鎮守 久伊豆神社」、狛犬。
さいたま市岩槻区・久伊豆神社参道口
















参道は一直線に北に伸び、境内(202ha)に茂るスダジィ・杉・楠・欅等の社叢は、「社叢ふるさとの森」に指定・「埼玉自然百選」に選定されています。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社参道
















当社の狛犬は4対です。
右の岩槻保育園の先に大正11年(1922)建立「狛犬」、鬣が長く阿形は舌を見せています。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社2対目狛犬吽さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社参道途中2対目の狛犬阿
吽形(左)は中央で別れた尾に深い溝が刻まれていますが、阿形は溝が無く左右に分岐する辺りで刻まれています。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社参道途中の2対目狛犬吽バックさいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社参道途中の2対目狛犬阿バック
「二の鳥居」手前に石灯籠、傍らに「猿田彦大神」。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社二の鳥居
















文化2年(1805)渋谷町講中(日光御成道・岩槻宿内)により建立された道の神「猿田彦大神」、太陽の神ともされ太陽が陽刻されています。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社参道途中の二の鳥居横の猿田彦神




















鳥居の先、右に岩槻城明戸口から移された「明戸庚申社」(祭神猿田彦神)、交通安全 開運徐災に御霊験あらたかです。
さいたま市岩槻区・久伊豆神社の明戸庚申社
















社殿左の石灯籠2基は、嘉永元年(1848)久保宿町・大工町により奉納されています。
右の石灯籠は、安政4年(1857)伊勢太々講(だいだいこう)が奉納、前に「親子の唐獅子」(左右玉垣に子獅子)、玉垣に「牡丹」が陽刻されています。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社明戸庚申社前の唐獅子親子

















向かい(参道左)には、四季折々の風情を醸す昭和7年(1932)元貴族院議員齋藤喜八氏が奉納「枯山水の庭園」。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社枯山水の神苑
















庭園右奥に大正15年(1926)造営「旧社務所」。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社の旧社務所















多くの奉納額が掲げられた神楽殿、4壇の雛人形が飾られています。
その左奥にクジャク小屋、日露戦役記念碑 従軍記念碑などがあります。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社神楽殿















社務所の先に子取り・玉取りの平成5年(1993)建立「狛犬」、少し上向きで阿吽が逆位置です。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社狛犬(左阿)3対目さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社狛犬(右吽))3対目
手水舎。
明治11年(1878)奉納「手水鉢」の正面には、幕末三舟の一人・高橋泥舟筆による「奉納」文字が刻まれています。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社手水舎
















竜口。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社手水鉢の竜口
















埼玉県における板碑は、国内最多とされているそうです。
手水舎右、玉垣前に鎌倉後期~室町期造立の梵字を刻む「青石塔婆」(緑泥片岩)群があります。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社手水舎奥の青石塔婆群















右の玉垣沿いに二股に分かれた縁結びの木「モッコク」、右に御神木「シイ」。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社拝殿前のモッコクの木・御神木シイ
















拝殿前に大正15年(1926)建立「狛犬」。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社拝殿前狛犬吽さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社拝殿前狛犬阿
吽形(左)と阿形を比べると、尾の高さ・形や巻毛の数が違いが一目瞭然です。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社拝殿前狛犬吽バック2さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社4対目阿バック
平成26年(2014)造営された入母屋唐破風の「拝殿」
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社拝殿(斜めから)
















明治15年(1882)造営の流造り「本殿」。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社本殿

















社殿左に商売繁盛・五穀豊穣の神、境内社「伏見稲荷神社」(祭神宇迦之御魂神)、後方左に「役割石」があります。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社境内社伏見稲荷神社
















本殿後方に火防・五穀豊穣の神、境内社「榛名神社」(祭神火産霊神 埴山昆売神)。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社境内社榛名神社
















社殿右に境内社「北野天神社」(祭神菅原道真)。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社境内社北野天神宮
















北野天満宮の傍らに神使「撫で牛」。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社境内社北野天満宮の撫で牛














絵馬掛け前には十二支台座に親子の「叶い戌」(子育て戌)。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社境内社北野天満宮横の叶い戌















御神札所には、つるし雛やたくさんの雛人形が飾られています。
さいたま市岩槻区宮町の久伊豆神社御神札所の雛人形1















クジャクは、昭和13年(1938)旧皇族浅香宮鳩彦殿下より賜ったクジャク3羽の末裔です。
さいたま市岩槻区宮町・久伊豆神社のクジャク
















クジャクと桃の花を持つ2人の女の子が描かれた「救邪苦キャンドルナイト」・御朱印。
さいたま市岩槻区本町・久伊豆神社御朱印






















さいたま市岩槻区・愛宕神社の大雛壇飾り

岩槻駅から徒歩7分程、愛宕神社(本町3-21-25)の大雛壇飾りを見学しました。

由緒:岩槻城の築城(長禄元年・文明10年築城説)で、城下町と城郭を一体化する為、8キロにわたり土塁とその外側に外堀が造られた際、発見された小祠を土塁上に祀ったのが始まりとされます。
岩槻城(岩付城)大構の遺構「土塁」上に、寛永期(1624~45)創建の愛宕山満蔵院三光寺(明治維新で廃寺)の境内に、松尾社 稲荷社と共に祀られた境内社3社の一つ。
火防 安産 子育てに御霊験あらたかな祭神「迦具士命」を安置。

社号標「愛宕神社」の先に鳥居、参道は東800mの岩槻城に向いています。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社鳥居















少し早すぎて境内は静かです、大雛段飾り(土・日8:00~)で賑わう前に参拝します。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社境内
















手水舎。
岩槻区・愛宕神社手水舎















昭和6年(1931)再建「狛犬」、台石正面に「親子亀・波」陽刻が施されています。
一見似ていますが、石工(吽形田中事次郎、阿形栗原竹之助)の違いが判ります。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社狛犬吽埼玉県岩槻区本町・愛宕神社狛犬阿
吽形(左)の尾は丸みを帯びていますが、阿形は幅広で尖っています。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社狛犬吽バック埼玉県岩槻区本町・愛宕神社狛犬阿バック
石段左に松尾神社(大山咋命 伊弉諾命 伊弉冉命)、稲荷神社(倉稲魂命)、天神社(菅原道真)を奉る「三社祠」。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社境内社三社祠

















三社を奉る本殿はこけら葺き・流造り。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社三社祠社殿
















間もなくこの石段に雛人形が飾られます、脇に西鳥居建設碑、右奥が女坂です。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社石段
















神紋「隅立て四ツ目紋」の神殿幕が掲げられた入母屋造り唐破風の拝殿、前に神紋入り天水桶一対。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社拝殿
















社殿は小さいですが、欅の木目が際立つ彫刻が施されています。
向拝「目に彩色が施された龍」、懸魚「鳳凰」。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社向拝

















木鼻「唐獅子・獏」
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社左木鼻埼玉県岩槻区本町・愛宕神社右木鼻
拝殿内。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社拝殿内















社殿は権現造り、南側からの本殿。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社本殿
















拝殿左に「本殿境内修復愛宕会館建設記念碑」、傍らに石祠。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社拝殿左の石碑と石祠















女坂上り口に朱の鳥居が立つ「稲荷社」、右に切妻流造りの社殿。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社境内社稲荷社
















左後方に「稲荷大明神」、傍らに対のない神使「狐」が置かれ、「北側に社務所があります。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社境内社稲荷社横の狛狐
















石段(雛壇)に300体以上の雛人形が飾られた大雛壇飾り。
これらは地域住民の方々から寄せられた人形だそうです、流石に人形の町・岩槻ならではです。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社大雛段飾り
















拝殿前から雛壇。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社拝殿前からおお雛壇
















最上段は一際大きな雛人形です、大垂髪(おおすべらかし)・金銀を織り込んだ豪華な衣装、亀・松・桃などを描いた扇子が見えます。
おひな様の後ろ姿
















大雛壇飾りは、岩槻中心市街地の有志の方々が、市民のための良い街づくりを目的に始まったそうです。
境内では、衣装を纏い桃の花を手に踊る子供達、豪華衣装の等身大の顔出し雛人形、ふれあい雛などを楽しむ人たちで賑わっていました。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社社殿前から境内
















江戸期、「岩槻・久保宿」は日光御成道の宿場町として賑わいました、神紋「隅立て四ツ目紋」の御朱印。
埼玉県岩槻区本町・愛宕神社御朱印























当日、うれしいご縁がありました。
早朝、強風が吹き荒れる境内で写真を撮り終えた時、声を掛けて下った方のご自宅に招かれ、手作りの可愛い雛人形を頂きました。
岩槻区・雛人形












宮町・久伊豆神社を参拝後、駅に戻る途中には、各人形店に雛人形が展示されています。
矢作人形店の「雛人形」。
岩槻区・矢作人形店の雛人形
















宮中ひいな遊びに使われた雛道具「富獄三十六景のハマグリ」。
岩槻区の矢作人形店の雛道具(ハマグリ)














岩槻駅(東口)  昭和4年(1929)11/17開業 業務委託駅。
駅スタンプも雛人形です。
岩槻駅岩槻駅S













帯と兵児帯の飾りを利用した春らしいテーブルランナー

子供時代に使った兵児帯、何十年もタンスで眠っていたせいか全体にシミだらけです。
使い道もない為、ざっくり切って捨てるつもりでしたが、箪笥を見たら未使用の同系色の帯を発見。
この二つを組み合わせテーブルランナーを作りました。
兵児帯















帯中央に花弁と刺繍が入っています。
帯の刺繍
















両側に兵児帯の飾りを挟み縫いした春にピッタリのテーブルランナー。
名古屋帯のテーブルランナー


















宮城県黒川郡大和町の吉岡八幡神社

吉岡八幡神社(吉岡町裏39)は、大和町立吉岡小学校の北西に鎮座。

信夫郡領主・飯坂宗康の氏神として信夫郡飯坂に奉られましたが、後、飯坂氏を嗣いだ政宗公3男・伊達宗清が養母・飯坂と共に仙台市泉区松森に奉じました。
慶長16年(1611)大和町鶴巣下草に、元和2年(1616)今村吉岡城を居城として移った宗清により、2年後現在地に遷座され、黒川郡総鎮守としました。
明治5年(1872)村社に列し、45年神饌幣帛料供進神社に指定。
祭神「応神天皇」 配祀「大歳神 事代主命 保食神 竃神」を安置、
合祀社「秋葉神社(迦具土神)天神社(菅原道真)」。

文化11年(1814)造立「石鳥居」(明神鳥居)
宮城県黒川郡大和町吉岡町裏・吉岡八幡神社社頭















参道沿い右(東)奥に、翁が美濃国で詠んだ「藤乃實は 俳諧にせん 花の阿と」(ふじのみははいかいにせんはなのあと)と刻まれた寛政11年(1799)建立「芭蕉墳」。
右には吉岡八幡神社完成記念碑、戦役記念碑があります。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社芭蕉墳

















明和元年(1764)造立「随神門(楼門)」、右に「神馬舎」、前に馬攊神碑。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社隋神門
















随神門前に明和2年(1765)本村商人25名が奉納した「狛犬」、吽形(右)は角を持ち阿吽が逆になっています。、
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社隋神門前の狛犬阿黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社隋神門前の狛犬吽
阿形(左)の尾は小判型、吽形は風化ではっきりしませんが尾端の下に溝が彫られているようです
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社隋神門狛犬阿バック黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社狛犬吽バック
門の神「左大臣・右大臣」(豊石窓神・櫛石窓神)。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社隋神像(左)黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社隋神像(右)
手水舎。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社手水舎
















参道沿い右に樹齢400年の御神木「イチョウ」。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社境内右側に御神木イチョウ
















広々とした境内。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社境内
















県指定文化財の前社殿は昭和62年の落雷で焼失、現社殿は平成元年(1989)造営された石の間造り(権現造り)、拝殿は入母屋造り。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社拝殿
















拝殿扁額「黒川鎮守八幡宮」。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社拝殿変額「黒川鎮守八幡宮
















本殿(西側から)。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社本殿
















社殿左(西)に境内社「春日神社」(流造り)、祭神「武甕槌命」 配祀「経津主命 天児屋根命 萬幡媛命」を安置。
黒川境内社春日神社
















神楽殿の右に庚申塔9基が祀られています。
黒川郡大和町吉岡・吉岡八幡神社神楽殿右の庚申郡

















参道沿い右の石灯籠近くに、宝暦貳年(1752)造立、30数名の奉納者名が刻まれた自然石の手水鉢がありますが、刳り貫かれた左側は折れた様です。
黒川郡大和町吉岡の吉岡八幡神社境内の手水石





















宮城県富谷市富谷町の熊野神社

熊野神社(富谷新町16)は、旧奥州街道富谷宿の入口(東)に鎮座。
平安末期頃、熊野詣が武士の間で広がり、東北地方に熊野神社が勧請されたと伝わっています。
当社の創建年代は不明ですが、元和4年(1618)富谷宿の開設と共に東方の熊野囲いから現在地に遷座されました。
明治41年(1908)日吉神社 雷光神社を合祀しています。
祭神「熊野夫須美命 伊弉諾命 伊弉冊命」を安置。
富谷市富谷新町・熊野神社社頭

















鳥居を潜ると右に地蔵菩薩立像等石仏石塔郡が祀られています。
富谷市富谷町新町・熊野神社地蔵菩薩他
















左に火伏の神「秋葉神社」、境内に山神 庚申 馬櫪神等の石塔群。
富谷町新町・熊野神社境内社秋葉山神社















右には神仏習合の名残「鐘楼」、正面に「拝殿」。
天保期から明治期(1830~900)頃、富谷では句会が盛んだったことから、句会の絵馬が多く奉納されています。
富谷市富谷町新町・熊野神社鐘楼 (2)
















当社には2対の狛犬がいますが、2対ともに阿吽形が逆になっています。
昭和51年(1976)建立「狛犬」、左が舌を出す阿形。
富谷市富谷町新町・熊野神社狛犬阿1対目富谷市富谷町新町・熊野神社狛犬吽1対目
右に自然石を刳り貫いた手水鉢。
富谷町新町・熊野神社手水鉢
















拝殿前に正面向きの安永5年(1776)建立「狛犬」。
風化が進んでいますが、頭部の角(吽形・右)、饅頭(阿形)が分かります。
富谷町新町・熊野神社狛犬阿2対目富谷町新町・熊野神社狛犬吽2対目
阿形(左)の尾はY字の先で分岐し、右側が下に向き丸まっていますが、吽形の尾先は分岐しています。
富谷町新町・熊野神社2対目狛犬阿バック(左)富谷町新町・熊野神社2対目狛犬吽バック(左)
阿・吽形の台石に刻まれた建立年代(安永五丙申歳)。
富谷市富谷町新町・熊野神社狛犬台石












拝殿扁額「熊野神社」。
富谷町新町・熊野神社拝殿扁額
















入母屋唐破風の本殿。
扁額「熊野神社」、奉納額が掲げられています。
富谷町新町・熊野神社本殿
















本殿右の石仏は本尊(3神)なのでしょうか、又は釈迦三尊?。
富谷町新町・熊野神社境内の石仏1























奥州街道⑬~(2)大沢2丁目バス停~大衡村役場

駅近くのホテルを7時にチェックアウト後、仙台駅から南北線で泉中央駅へ、8:07発のミヤコーバスで昨日の大沢2丁目バス停に戻り歩きます。

行程:仙台駅‥泉中央駅・・大沢2丁目バス停(8:20)~大沢2丁目の坂~金玉神社~富谷市標識~大清水の石盥~あけの平団地入口交差点~富谷源内地区旧道~富谷町一枚沖交差点~八雲神社~富谷宿・入口の枡形(三叉路)・町並み・常夜灯・恋路の坂・茶畑跡・毘沙門堂・旧家・内ケ崎酒造(検断・本陣)・内ケ崎作三郎生誕地・中宿の景・富ケ丘公園・御休処富谷宿/仙台以北の諸藩宿札・名望家(脇本陣)・旧家・宿出口(枡形)・内ケ崎家別邸~御所橋~代官松~八雲神社~北雲台~西沢集落~いぼ取り太子堂~七つ森の景~三ケ森遺跡~大和町標識~吉田川~高田一里塚/奥道中歌碑~松島道追分標識~吉岡宿・九品寺~龍泉院~志田町の町並み~吉岡宿・上町三差路・天皇寺・上町枡形・上町町並み・本陣跡・叶蔵・酒の穀田屋・吉岡八幡神社・大和町武道館・高札場跡・中町枡形・店蔵・早坂酒造店跡・宿出口・出羽海道追分道標~溜池~田圃道~大衡城遠景~昌源寺~昌源寺坂~旧奥州街道図~旧奥州街道~大衡城址碑・大衡城址~大衡村役場~車窓の大衡城~仙台駅

「仙台市」(青葉区中央)
仙台駅西口。
仙台駅西口














(泉区泉中央)
泉中央駅  平成4年(1992)7/15開業。(ペデデッキから)
仙台市泉区・南北線泉中央駅
















(大沢2~3丁目)
大沢2丁目バス停で下車、R4号の1本東側の「緩い坂」を北上します。
仙台市泉区七北田大沢の大曲坂
















養護老人ホーム手前で右折し、突き当りの丁字路を左折して上ると、杖を奉納する習わしから座頭神様と呼ばれた「金玉神社」があります。
往時、京への旅の途次で追剥に遭い、追剥に朝晩お経を唱えるように指示して絶命した南部藩・座頭金玉の墓とされ、元は奥州街道近くに祀られていましたが、泉大沢土地区画事業で現在地に遷座されました。
仙台市泉区・金玉神社















「座頭・金玉墓(五輪塔)」、前に祠(金玉明神)。
仙台市泉区・金王神社本尊
















「富谷市」(上桜木~大清水~清水下)
国道に合流、20m先で「富谷市」へ入ります。
黒川郡富谷町は、平成28年(2016)10/10に単独市制施工し、県下14番目の市となる。
宮城県富谷市・富谷市標識














緩く長い下りの前方には市街地が広がり、右段上に[大清水の石盥」(市文化財)があります。
富谷市桜木のR4号
















現在は枯れているようですが、言い伝えによれば、往時、武士新妻豊前が病で倒れた家臣に飲ませようと、槍先で岩を掘ると冷水が湧き出たとされ、昭和中期(1960)頃まで四季を通じ冷たい清水が湧き出していて、街道を往来する人々の喉を潤していたそうです。
大清水の石盥」左右には文字が刻まれ、傍らに由来碑があります。
富谷市桜木・大清水の石盥1
















左車線に「東北自動車道(直進)・仙台北部道路迄2K」標識があり、歩道橋が架かる「あけの平団地南入口交差点」を過ぎると、所々に国道左右沿いの旧道が残されています。
富谷市大清水・R4号
















(富谷源内~〃一枚沖~〃堂ノ前)
あけの平団地北入口交差点で左下に並行する静かな「旧道」へ、400m先で再び国道に合流。
富谷市富谷源内・国道左の旧道
















富谷町一枚沖交差点」で右前方へ。
富田市富谷一枚沖・富田一枚沖交差点
















緩やかな上り坂となり、右高台に祭神「素戔嗚尊(牛頭天王)を奉る「八雲神社」、参道口には馬櫪神と馬頭観世音が祀られています。 
富田市富谷堂ノ前・八雲神社参道口
















江戸三大飢饉の一つ・天保(天保4年1833~)の大飢饉で、陸奥国や出羽国は大被害となりました。特に仙台藩は隔たった米作政策から甚大な被害となり、貧困層の多くの百姓が餓死しています。
この大飢饉で当地も疫病が蔓延し、牛頭天王を祀ると疫病が平癒すると信じられていた事から、槻木(柴田郡柴田町)の入間田から祇園社が勧請されました。
杉林の社叢に佇む社殿、左には出羽三山、庚申塔(天保3)が祀られています。
富田市富谷堂ノ前・八雲神社社殿
















(富谷町新町~富谷新町)
仙台城築城(慶長5年1601)により、城下を通るようになった奥州道(仙台以北)ルートが大きく変更され、富谷市を通過するようになりました。次宿・吉岡宿までの距離が長い為、伊達政宗は吉岡黒川氏家老・内ケ崎筑後に命じ、元和4年(1618)13戸で富谷宿を開設。2年後(1620)名を織部と改めた内ケ崎氏は、正式に富谷宿を発足させ初代検断・本陣を努め、後に近隣の村人が移住して安永年間(1772~81)には101戸となる。
富谷宿の長さは約400m、天保13年(1842)頃には宿屋 酒屋 醤油等25種、75軒の店が軒を連ねていました

突き当りの三叉路で右(東)に折れますが、ここが「富田宿入口」です。
富谷市富谷新町・富谷宿入口の三叉路
















正面に元和6年(1620)宿場開設に伴い、現在地の東・熊野囲から宿場入口に遷座された「熊野神社」、家内安全 子孫繁栄等御霊験あらたかと信仰されています。 ※詳しくはこちらを富谷市富谷新町・熊野神社社頭


















宿場町の趣を伝える町並み
富谷市富谷新町・富谷宿入口の町並み
















恋路の坂入口に「木製常夜灯」。
富谷新町・富谷宿恋路の坂入口の常夜灯















アララギ派歌人・原阿佐緒と帝国大学教授・石原純博士の恋に因み“恋路の坂”と呼ばれる細い坂道、恋人同士の二人がよく歩いた富が丘公園に至る小路です。
富谷市富谷新町・富谷宿の恋路の坂
















途中右の空き地は「茶畑跡」のようです。
富谷は、江戸期より茶処として知られ、大正末期頃まで富谷茶が生産されていました。
富谷市富谷新町・富谷宿恋路の坂途中の茶畑跡
















(富谷町裏~富谷新町)
車道に合流、南側高台に「明歴稲荷大明神」(倉稲魂命)、「毘沙門堂」(毘沙門天)、「天満宮」(菅原道真公)3社が祀られています。(左から)
中央の毘沙門堂は勧請年代不詳ですが、安永3年(1774)の「風土記御用書出」には本尊や例祭等が記されてた古社、参道沿いに大小の地蔵菩薩、六地蔵石憧、石塔群が祀られています。
富谷市富谷南裏・毘沙門堂
















街道へ戻り、斜向かいに薬医門を構えた旧家
富谷市富谷新町・富谷宿仲宿の旧家















右隣に検断・肝入を努め、宿開設後に本陣を努めた寛文元年(1661)創業「内ケ崎酒造店」、県下最古の現役の酒蔵です。
富谷市富谷新町・富谷宿検断・本陣跡内ケ崎家
















向かいに分家で大正~昭和中期の政治家「内ケ崎作三郎生誕地」、敷地には木造建物や蔵が残されています。
富谷市富谷新町・富谷宿本陣向かいの内ケ崎作三郎生誕地
















中宿からの景(坂下方向)。
富谷宿本陣辺りから坂下方向
















先の三叉路の右手(南)の丘陵は、明治24年(1891)開園「富ケ丘公園」です。
かつては歌人原阿佐緒と石原淳博も訪れ、園内からは七ツ森 船形山(1500m) 栗駒山(1626m)等が望めます。 
富谷新町・富谷宿の富ケ丘公園
















御休処富谷宿」は、天保14年(1843)創業「佐忠」が、明治末期に呉服商として建てた店蔵です。
富谷市富谷新町・富谷宿の御休処富田宿
















仙台以北の6藩の諸大名(松前 弘藩 黒岩 八戸 盛岡 一ノ関)は、参勤の際は富谷宿に投宿しました。右側に各藩の宿札(レプリカ)が展示されていますが、内ケ崎家・名望家(後に述)には弘前・黒岩藩を除く当時の札が保存されています。
富谷市富谷新町・富谷宿のお休処の宿札
















脇本陣を努めた「名望家」(屋号・気仙屋)は、盛岡定御宿 松前定御宿 八戸定御宿の関札が残され、又、東講 浪速講等江戸や大阪の旅籠格付けの講元から認定された旅籠でもありました。
明治9・14年(1876・1881)明治天皇は、東北北海道御行幸(9・14年)の際、当家で御小休されています。
富谷市富谷新町・富谷宿の脇本陣跡名望家
















宿外れの旧家「ギャラリーなごみ」。
富谷市富谷新町・富谷宿北口近くのギャラリーなごみ
















宿出口で街道は左(北)に折れ、正面に本陣「内ケ崎家別邸」。
明治後期、内ケ崎文之助は屋敷地3500㎡に社会救済事業として、宮床伊達の館跡から移植した桜や楓等四季折々の眺めが楽しめる回遊式庭園を築造、元首相若槻礼次郎が名付けた対山閣は、河北新報社の観光百選となっている。
富谷市富谷新町・富谷宿出口
















西川に架かる御所橋
富谷市富谷新町・西川の御所橋
















(富谷西沢~〃ひより台~〃坂松田~〃西沢)
富谷中央公民館は、藩政期に大谷郷を除く38カ村を領した代官所跡です、明治初年に役場に、後、昭和中期までの101年間にわたり富谷小学校校舎となりました。
前庭には、代官所当時からの樹齢200年を超す「代官松」(市天然記念物)があります。
富谷市富谷西沢・富谷中央公民館の代官松
















公民館北側の高台に、堂ノ前・八雲神社(前述)同様、大飢饉の疫病平癒で勧請された「八雲神社」(祭神素戔嗚尊(牛頭天王)」。
富谷市富谷ひより台・八雲神社















富谷小学校の北側に本陣内ケ崎家墓所「北雲台」。
富谷市・富谷坂松田・内ケ崎家墓所(北雲台)
















「北雲台」説明板。
富谷市富谷坂松田・北雲台説明板
















公民館先のY字路を左へ、西沢集落を北上します。
富谷市富谷西沢の旧道
















(三ノ関太子堂上~〃東沖上~志戸田野田~〃塩釜)
1.5K程進み、右からの車道合流手前に聖徳太子碑を奉る「いぼ取り太子堂」。
鳥居右に、正面(街道側・東)は几号入り「距仙臺元標五里 不」、左面(南)「陸前國黒川郡富谷村」と刻む明治22年(1889)建立「里程元標」があります。
富谷市三ノ関太子堂上・いぼ取り太子堂















明和9年(1772)太子講(職人講)造立「聖徳太子碑」、横に石仏。
祠内には沢山の小石が奉納されていますが、供えてある小石でいぼを摩れば消えると信仰され、治ると倍の小石を奉納する習慣があるそうです。
富谷市三ノ関太子堂上・聖徳太子碑1
















国道に合流、左には雪を頂く「七つ森の景」。
富谷市三ノ関・R4号からの七つ森の景















先の信号交差点で右に並行する旧道へ進み、志戸田バス停(R4号)の後方(東)の宮前バス停(旧道)前に「三ケ森遺跡碑」。
「舌状に張り出た丘陵上に立地し、古くより古や石器が散布していた縄文・平安・中世~近世の複合遺跡で、特に平安初期の区画溝は古代黒川地方の中心的施設との関連性が考えられる」(説明板)
富谷市志戸田の・三ケ森遺跡
















「黒川郡大和町」(吉田南谷地~吉岡上道下~〃下蔵)
吉田川の手前で「大和町」に入ります。
大和町は昭和30年(1955)4/20、1町4村(吉岡町 宮床村 吉田村 鶴巣村 落合村)合併で発足。
黒川郡大和町吉田南谷・大和町標識
















高田橋で吉田川を渡ります。
吉田川は、北泉ケ岳(県立自然公園船形連峰内)北麓に源を発し、県中央を西から東に流れ、鳴瀬川に合流。
黒川郡大和町・吉田川
















次いで洞堀川を渡り、大和町吉岡道下交差点の手前右に、生垣に囲まれた「高田一里塚」。
昭和後期頃まで国道東側車線に残されていた西塚で、北東方向へ移植されました。
黒川郡大和町吉田・高田一里塚1
















傍らに平成11年(1999)建立「奥道中歌碑」、文政2年(1819)紹介された仙台以北(仙台~三厩)の宿駅を盛り込んだ歌で、碑には仙台宿・国分(町人町)から一関宿(一関市五代町)までが刻まれています。
国分の町よりここへ七北田よ 富谷茶のんで味は吉岡 寒いとて焚かれぬものは三本木 雪の古川 荒谷つめたや おもひきり日は高清水 宿とりの杖築舘て道いそぐとは あれ宮野 沢辺の蛍草むらに鳴く鈴虫の声は金成 うわさする人にくせ有壁に耳 口のあけたて一関なり
黒川郡大和町吉田・高田一里塚横の奥道中歌碑















先の信号交差点が松島道との追分(県3号)です、往時は追分地蔵道標がありましたが九品寺(後述)に移設されています。
この交差点を左折すると吉岡宿に入ります。
黒川郡大和町吉岡東下蔵・R4号松島道追分手前の標識1
















(吉岡志田町)
「吉岡宿」は、江戸初期(元和元年~2年1615~6)伊達河内守宗清(政宗3男)が吉岡所(吉岡城)築城の際、侍屋敷 足軽屋敷 寺社を整備し、伝馬町(上町 中町 下町)を設置して整えました。
黒川郡の中心で、出羽街道 松島道との追分から多くの物資が集められ、交通の要衝として栄えました。
本陣1軒、町並みは上町 中町 下町で構成され、文化年間(1804~18)の戸数は140軒。

宿入口右に、伊達宗清の吉岡への移封で、鶴巣下草から現在地に移転した浄土宗「九品寺」(本尊阿弥陀如来)。
山号扁額「蓮台山」が掲げられた山門前に、地蔵菩薩 歌碑等石仏石塔群が祀られています。
黒川郡大和町吉岡志田町・九品寺山門
















山門前右の宝暦7年(1757)「南無地蔵菩薩(追分地蔵道標)」は、道標を兼ね「右せんだい道 南無地蔵菩薩 左まつしま道」と刻まれ、交通の要所だった松島道との追分(前述)に建てられていました。
黒川郡大和町吉岡志田町・九品寺山門前の追分地蔵道標















吉岡宿は藩直轄領ではない為、助成金が無く運営に困難を極めていました。
造り酒屋「穀田屋」高平十三郎(後に述)と茶製造「菅原屋」笠原篤平治は、貧困にあえぐ住民達の為に8年掛けて捻出した1000両(現在の1~2億円)を藩に貸し付け、師走に受け取る利子100両を住民に配分して宿場を運営、その為、幕末まで住民は減らなかったと云います。
境内には宿困窮解消に尽力した9名、後世に伝えようとした先人達10名の功績を讃えた「国恩記顕彰碑」(右)、菅原屋篤平治夫妻墓(中央)、篤志家法名碑(左)があります。
黒川郡大和町吉岡志田町・九品寺の国恩記顕彰碑

















曹洞宗「龍泉院」(本尊釈迦如来)は、寛永5年(1628)鶴巣下草から現在地に移り、8世榮洲瑞芝和尚は九品寺・国恩記顕彰碑(前述)を著している。
黒川郡大和町吉岡志田町・龍泉院
















志田町の町並み、その先で上町に入ります。
黒川郡大和町吉岡志田町の町並み















(吉岡上町~〃天皇寺~〃上町~〃町裏~〃中町~〃下町)
先の三叉路で右折(北)すると上町ですが、左折して南西300mの天皇寺へ立ち寄ります。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿上町枡形
















臨済宗「天皇寺」は、伊達宗清が下草城から吉岡城に移る際、現在地に移されました。
江戸期造営の茅葺屋根の山門や庫裡(町文化財)、本堂裏手に政宗の意向を汲むひさごの池があります。
黒川郡大和町吉岡天皇寺・天皇寺入口
















伊達河内守宗清墓」(享年35歳)、死亡の際に家老を含む家臣7名が殉死している。
黒川郡大和町吉岡天皇寺・天皇寺の伊達宗清墓
















政宗側室で後に宗清の養母となった「飯坂の局墓」。
黒川郡大和町吉岡天皇寺・天皇寺の飯坂の局墓1
















三叉路に戻り、先の「上町の枡形」で左(西)へ折れます。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿の上町枡形















緩い上りの「上町の町並み」、左は出隅に看板「浅多」を掲げた酒・肥料の浅田商店。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿の上町の町並み1
















右のコンビニ跡は「吉岡宿本陣跡」、吉岡宿本陣案内所となっています。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿本陣跡1















突き当りを右折、七十七B/K手前左に明治期に建てられた商家の蔵「叶蔵」。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿上町の叶蔵

















斜向かいに「酒の穀田屋」。
菅原屋と共に、吉岡宿の運営に尽力した商人高平十三郎(屋号・穀田屋 九品寺で延べ)の流れをくむ酒屋。
2016年、國恩記に基づく映画「殿、利息でござる」が上映されました。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿穀田屋
















穀田屋の先で中町に入ります。
吉岡小学校の北側に、伊達宗清に伴い現在地に遷座した伊達氏一族・飯塚氏の氏神「吉岡八幡神社」。
朱の随身門は明和元年(1764)造営、12月の「島田飴祭り」は、400年の歴史を持つ縁結びの神事で知られています。
※詳しくはこちらを
宮城県黒川郡大和町吉岡町裏・吉岡八幡神社社頭















右(東)に昭和5年(1930)「吉岡小学校」の講堂として建てられ、体育館や集会場として使用されている「大和町武道館」。
黒川郡大和町吉岡町裏・吉岡小学校講堂
















中町に戻り左に薬医門を構えた上州屋(酒店)、斜向かいに屋根看板の「大ケ森屋」、笠原餅店の右隣に「高札場跡」。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿高札場跡1















中町の枡形で左に折れ下町へ。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿下町への枡形1
















左に店蔵
黒川郡大和町吉岡下町・吉岡宿の蔵造り
















左に下町一の大店だった「早坂酒造店跡」。
黒川郡大和町吉岡下町・吉岡宿の早坂酒造店
















出羽海道中山越え(右筋)の追分となる「宿出口」の三叉路で右折します。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿出口の三叉路
















北西角に「奥州海道中山越え」と刻まれた「道標」(左)、案内図、街道図があります。
黒川郡大和町吉岡上町・吉岡宿出口の出羽海道中山超え追分道標
















「黒川郡大衡村」(大衡石神沢~〃沢田~〃松本~〃寺沢~
60m先で県唯一の村「大衡村」に入り、下ると左に溜池があります。
往時の街道は、溜池の北東角の三叉路から北上してR4号手前から北東へ伸びていました。
黒川郡大衡村・ため池1
















国道に合流、横断して田圃の一本道を進みます。
黒川郡大衡村大衡沢田・田圃の一本道1
















左には「大衡城」(後述)が見えます。
黒川郡大衡村大衡沢田の田圃道からの大衡城















先のY字路の左に曹洞宗の古刹「昌源禅寺」(本尊釈迦牟尼仏)。
天正9年(1581)創建され、寛永12年(1635)伊達家臣戸田定隆の竹ノ内内の居住に伴い楳田から移された戸田氏菩提寺。参道を上ると、山号扁額「宝峰山」を掲げた「山門」(棟門)は宝永2年(1705)造営です。
黒川郡大衡村大衡松本地内・昌源寺山門
















Y字路の右筋が「昌源寺坂」。
黒川郡大衡村大衡松本・昌源寺坂1















昌源寺坂を上ると「旧奥州街道図」と説明板が設置されています。
残念なことに、第二仙台北部中核工業団地造成で旧道が無くなり、代替えの散策路(赤点線)が作られたと記されていました。
大衡村の旧奥州街道図1























然し、その先に少しの旧道が残されています。
黒川郡大衡村大衡松本・昌源寺坂先の旧奥州街道1
















いつまでも残してほしいですね、杉林の旧道は70m程で県道大衡落合線に合流。
黒川郡大衡村大衡松本・旧奥州街道の杉林1
















左折して善川東岸の高台の大衡城址へ。
大衡城は天文13年(1544)下草城主で治部大輔の大衡宗氏により築城され、越路館・塩浪館とも称されました。天正18年(1590)秀吉の葛西大崎一揆により没収され、後、伊達政宗所領後に廃城となる。
天守閣を模した建物は、青少年交流館・民族資料館となっています。
黒川郡大衡村大衡松本・大衡城1
















左(南東)側に明治百年記念で建立された「大衡城址碑」、歩いてきた田圃道や吉岡、大衡村の町並みが望めます。
黒川郡大衡村大衡塩浪地内・大衡城址碑1
















民俗資料館には庚申講掛軸、昭和初期の脱穀機等当時の生活道具、寛永18年(1641)検地帳等が展示されています。
「伊達家・大衡家の甲冑」。
大衡城址内の展示室・甲冑
















大衡村唯一の無形文化財の「大瓜神楽の面」。
黒川郡大衡村・大衡城址民族館・大瓜神楽の面1














今日はこれを撮る為に大衡村役場で終了です。
南側のバス停前に「天皇皇后両陛下御植樹記念碑」、バス乗車時間まで約1時間程あり、役所ロビーで休憩がてら展示されている写真や特産品など見学しました。
大衡村役場
















高速仙台大衡線・大衡村役場バス停(17:15発)を出発、バスの車窓からライトアップされた大衡城址
黒川郡大衡村大衡松本・バスからの大衡城1















仙台駅に到着(18:43)。
夕食に牛タン弁当を買い込み、18:43発のやまびこ156号で帰途へ着きます。
仙台駅
















2019・2・5(快晴)












宮城県黒川郡大衡町のマンホール

大衡村は、県中央に位置する県下唯一の村です。
宮城県黒川郡おおひら・カラー汚水(グリーン)


大衡平林、大衡村役場の敷地内で撮影。






カラー汚水用(グリーン)には「村章」、村の花「キキョウ」、「汚水」文字がデザインされています。








大衡村役場内には、カラー違い2種類が展示されています。
宮城県黒川郡大衡村・カラー汚水(グリーン・役場展示)









黄緑色の汚水用。










宮城県黒川郡大衡村・カラー汚水用(役場展示)










「おすい」文字無しのキャメルカラーの汚水用。











宮城県黒川郡大衡村・汚水


大衡石上神沢で撮影。






「村章」、村の花「キキョウ」だデザインされた枠付き汚水用。







宮城県黒川郡大衡村・汚水JIS







中心に「村章」のJIS規格汚水用(絣模様)。









宮城県黒川郡大衡村・汚水枡


大衡平林で撮影。




「村章」、JIS規格汚水枡(凹型テトラポット)。






黒川郡大衡村・カラー仕切弁


白石市福岡長袋山下で撮影。




「村章」、カラー仕切弁。
※白石市に設置された越境マンホールです。







宮城県黒川郡大衡村・カラー仕切弁HPPE150


ときわ台で撮影。






「村章」、「HPPE 150」のカラー仕切弁。






宮城県黒川郡大衡村・カラー仕切弁PE50


大衡平林で撮影。




「村章」、「PE 50」のカラー仕切弁。








宮城県黒川郡大衡村・カラー圧力弁PE150







「村章」、「PE 150」のカラー仕切弁。








宮城県黒川郡大衡村・仕切弁外枠付き


大衡塩波で撮影。





「村章」、5分割の外枠付き仕切弁。








宮城県黒川郡大衡村・カラー防火貯水槽


大衡平林で撮影。





中心に「村章」、5個の八角形内に「防火貯水槽」文字、
下部に「二重八角形」、周囲に「Y・ドット」の幾何学模様を配したカラー防火貯水槽。








宮城県黒川郡大衡村・消火栓









消火栓(七宝・ドット)。










宮城県黒川郡大衡村・空気弁








カラー空気弁(七宝・ドット)。










宮城県黒川郡大衡村・カラー消火栓


ときわ台で撮影。






「村章」、「梯子車」のカラー消火栓。









宮城県黒川郡大和町のマンホール

宮城県黒川郡大和町・汚水


吉田〆切で撮影。






汚水用には「町章」、町の木「モミジ」がデザインされています。








宮城県黒川郡大和町・汚水枡(モミジ)


吉岡東下蔵で撮影。





「町章」、町の木「モミジの葉」の汚水枡。







宮城県黒川郡大和町・汚水枡(モミジの木凸)


吉岡上町で撮影。





「町章」、町の木「モミジ」、小さな「おすい」文字の汚水枡。







宮城県黒川郡大和町・汚水枡(モミジ・凹)1






「町章」、「モミジ」、「おすい」文字、「枠」が凹型の汚水枡。









宮城県黒川郡大和町・カラー仕切弁


吉田〆切で撮影。





六角形に「町章」、中心に「縦の鍵穴」、周囲に3×2本のライン入りのカラー仕切弁。







宮城県黒川郡大和町・カラー仕切弁40


吉岡東下蔵で撮影。





「町章」、№40のカラー仕切弁。







宮城県黒川郡大和町・カラー仕切弁DIP75


吉岡上町で撮影。




「町章」、「DIP 75」のカラー仕切弁。






宮城県黒川郡大和町・カラー仕切弁PE75







「町章」の左右に「三角形」、「75 PE」のカラー仕切弁。








宮城県黒川郡大和町・空気弁


吉岡上道下で撮影。



「町章」、角型カラー空気弁。







宮城県黒川郡大和町・消火栓


吉岡上町で撮影。




角型カラー消火栓。







宮城県黒川郡大和町・防火貯水槽


吉岡天皇寺で撮影。






中心に「大和」文字、円内に「防火貯水槽」文字の斜め分割式防火貯水槽。







宮城県黒川郡大和町・量水器






「町章」、カラー量水器。





宮城県黒川郡大和町・排水弁


吉岡上町で撮影。




六角形に「町章」、「縦の鍵穴」、周囲に2×3本線のカラー排水弁。






宮城県黒川郡大和町・排水弁50PE






上と同デザインですが、中央の帯に「50PE」、下部に「排水弁」文字、ドットを入れたカラー排水弁。







宮城県黒川郡大和町・排水弁50VP


吉岡天皇寺で撮影。





「町章」の左右に「三角形」、「50 VP」のカラー排水弁。








宮城県黒川郡大和町・止水栓


吉岡町裏で撮影。



「町章」、止水栓。














仙台市泉区市名坂・二柱神社

二柱神社(市名坂西裏61)は南北線八乙女駅の北東800m、徒歩で7分程です。

平安中期(万寿2年1026)、当初は北東500mの修壇林(現・北七田東裏)に創建されたのが起源。
天正期(1573~93)、豪族国分氏の荘園、宮城郡南部から名取郡33ケ村の内、8ケ村(市名坂 北七田 北根 野村 上谷刈 右内 桜森 鶴谷)の総鎮守となる。
江戸初期の万治期(1658~60)、市名坂と北七田に奥州街道北七田宿が開設され、寛文2年(1662)現在地に遷座、明治5年(1872)北七田の村社に列しました。

社名に因む夫婦神(二柱)から縁結びの神として広く信仰され、又、「仁和多利大権現」とも称され、子供の無病息災を守る“おぼっこ神様”として御霊験あらたかな社として崇敬されています。
祭神「伊邪那岐命 伊邪那美命」を安置。

旧奥州街道沿いの参道口に灯籠と一ノ鳥居。
仙台市泉区市名坂・二柱神社参道口の一の鳥居
















鳥居に掲げられた石扁額「二柱神社」。
仙台市泉区市名坂・二柱神社一の鳥居扁額















西へに伸びる参道は約150m、途中に石灯籠が奉納された先に二ノ鳥居。
境内には昨日の節分祭のテントが残されています。
仙台市泉区市名坂・二柱神社二の鳥居
















手水鉢。
仙台市泉区市名坂・二柱神社手水舎
















拝殿前に玉取り・子取りの「狛犬」、当社は阿吽が逆になっています。
仙台市泉区市名坂・二柱神社狛犬阿仙台市泉区市名坂・二柱神社狛犬吽
権現作りの社殿は昭和16年(1941)造営、千木・鰹木の乗せた向拝切妻造りの拝殿。
仙台市泉区市名坂・二柱神社拝殿
















拝殿扁額「二柱神社」、幸せをもたらす七福神・商売の神「大黒天(五穀豊穣)・恵比寿神(商売繁盛)」・俵・破魔矢等の藁飾りが奉納されています。
仙台市泉区市名坂・二柱神社拝殿扁額
















本殿。
仙台市泉区市名坂・二柱神社本殿

















社殿左に神輿殿。
仙台市泉区市名坂・二柱神社神輿殿

















金色の紙垂が置かれた神輿、前に大黒天像。
仙台市泉区市名坂・二柱神社神輿1

















耕作の神として信仰された七北田地区の雨乞いの神、寛文7年(1667)造立「横山雷神」。
元は横山の高台に祀られた雷神社の本尊で、人々は干ばつの時に雷神社で太鼓等を叩きながら雨乞いをし、“おなり神社”として崇敬されてきました。横山団地造成で路仏となり、昭和中期に境内に移されました。
仙台市泉区市名坂・二柱神社雷神
















境内に祀られている山神(文化8・文政6)・湯殿山・馬頭観世音(安永6)・庚申等石塔群。
仙台市泉区市名坂・二柱神社石塔群
















沢山の絵馬が奉納された絵馬掛け、おみくじ掛け。
仙台市泉区市名坂・二柱神社絵馬掛け
















雷太鼓、鬼、干支(亥)絵馬の御朱印。
仙台市泉区・二柱神社御朱印



















宮城県仙台市青葉区青葉町・鹿島神社

鹿島神社は、南北線北仙台駅から徒歩数分の北山丘陵上の東側に鎮座。
弘安2年(1279)、4代伊達政依により伊達郡桑折町に勧請され、慶長9年(1604)城下北側の丘陵上に別当光明寺と共に遷座されました。
祭神「武甕槌神 経津主神」を安置。

扁額「鹿島神社」を掲げた主の一ノ鳥居。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社一の鳥居
















参道口左右には、文化・嘉永~明治期に建立された観世音、庚申、山神、湯殿山等石塔群が祀られています。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社参道口石塔群
















上り口左の境内図。
仙台市青葉区青葉町の鹿島神社石塔群説明版














二ノ鳥居。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社二の鳥居
















正面向き、小ぶりな明和6年(1769)建立「狛犬」。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社狛犬吽仙台市青葉区青葉町・鹿島神社狛犬阿
鬣は吽形(左)が短く、尾も小さい、阿形の尾は背中まで八つ手の様に広がっています。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社狛犬吽バック仙台市青葉区青葉町・鹿島神社狛犬阿バック
権現作りの社殿は昭和8年(1933)造営、拝殿は切妻造り。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社拝殿
















流造りの本殿。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社本殿
















本殿右に安永8年(1779)造立「舟形地蔵菩薩立像」。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社地蔵菩薩像




















仙台七基の一つ・鹿島崎鎮守、又、安産祈願の為に勧請され、祭神「武甕槌神」を奉る境内社「塩竃神社」。
左右には山神 庚申 古峰神社等石仏石塔群があります。
仙台市青葉区青葉町・鹿島神社境内社塩釜神社



















宮城県仙台市青葉区・青葉神社

青葉神社(青葉町7-1)は仙台市の北側、北山丘陵に鎮座。
明治維新以前は城内に鎮座していましたが、明治6年(1873)政宗公を慕う旧藩士3名を含む有志達が、藩祖伊達政宗公を奉る社として県に願い出、翌7年(1874)伊達家の菩提寺でもある北山五山の一つ・東昌寺(伊達家菩提寺)から西側の敷地の提供を受け、県社に列したのを機に社殿を造営しました。
当社は春の大祭(5/24~25)、例祭(10/9~10)の2回執り行われますが、仙台市の「仙台 青葉まつり」は昭和中期まで当社が政宗公の命日(5/24)に行っていた春の例大祭に由来している。
又、宮司は政宗公の忠臣片倉小十郎景綱の子孫にあたる16代目当主が勤めておられます。

祭神「武振彦命(藩祖伊達政宗公)」を安置。

北上する奥州街道が東(右)に折れる正面、社頭に社号標「青葉神社」、常夜灯、大鳥居(明神鳥居)。
仙台市青葉区北山・青葉神社社頭
















左右の柱には月・太陽、額束には政宗公の兜「三日月型」。
仙台師青葉区北山・青葉神社鳥居










後方には東日本大震災で倒壊した先代の鳥居のモニュメント、柱には天・人・地を表す古代文字(ヲシテ)、世の平穏を願う和龍、震災月日(平成23年3月11日)が刻まれています。
仙台市青葉区北山・青葉神社先代の鳥居
















石段を上ると昭和18年(1943)建立「狛犬」、この踊り場で参道は左に分岐しますが、直登する創建時の参道はそのまま残されています。
仙台市青葉区北山・青葉神社狛犬吽仙台市青葉区北山・青葉神社狛犬阿
左(西)に分岐した正面に灯籠、ここで右(北)に折れます。
仙台市青葉区北山・青葉神社参道途中の石灯籠
















鋭い牙を持つ子・玉取りの昭和9年(1934)建立「狛犬」。
仙台市青葉区北山・青葉神社2対目狛犬吽仙台市青葉区北山・青葉神社2対目狛犬阿
吽形(左)の尾はまっすぐ立ち、阿形の中央部分の尾端は束ねるように内側に丸くなっています。
仙台市青葉区北山・青葉神社2対目狛犬吽バック仙台市青葉区北山・青葉神社2対目狛犬阿バック
広い境内は高木の大樹が多く、参道沿いには様々な形の灯籠が奉納されています。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社参道
















明治21年(1888)設立「通町小学校」は、神社の梵天講社を使用して開校されました、参道沿いに「梵天講社跡碑」(標柱)があります。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社参道沿いの灯籠
















手水舎、右には本殿に合祀された政宗公の正室「旧愛姫社」の鞘堂。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社手水舎
















手水鉢には兜を持つ甲冑姿の伊達政宗公、龍。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社手水鉢の政宗公
















樫と寄り添うように御神木「スギ」。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社御神木






























権現造りの社殿は昭和2年(1927)造営、伊達家家紋「竹に雀紋」を染め抜いた神殿幕を掲げた拝殿。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社拝殿
















扁額。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社拝殿変額













拝殿の扉や殿内の神殿幕、飾り金属等に付けられた家紋(竹に雀紋/三引両紋)、殿内には奉納絵馬や、城内で時を知らせていた5代吉村公の代の「時の太鼓(社宝)」(京都・橋村利右エ門利重作)が現在も市街に時を知らせています。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社拝殿内















境内東側、神池の中島に明治12年(1879)創建の境内社「祖霊社」。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社境内社祖霊社
















履堂には家紋「九曜紋」の神殿幕、政宗公の忠臣達を奉る本殿。
仙台市青葉区青葉町・青葉神社境内社祖霊社本殿















御朱印。
仙台市・青葉神社御朱印






















奥州街道⑬~№(1)仙台駅~大沢2丁目バス停

東京駅始発(6:04発)の東北新幹線で仙台駅に8:00到着、東口付近でこれを撮りながら散歩後、地下鉄南北線で五橋駅で下車し、前回⑫の青葉区五橋・森重旅館前からスタートします。

行程:五橋駅・・仙台宿・五橋小新堂のだるま・森重旅館(9:06)・交差点・賢聖院二十三夜堂・柳町大日如来堂・南町通り・(旧地名)南町碑・青葉通り・里程元標/芭蕉の辻碑・門モニュメント・作並街道・元祖仙台駄菓子本舗熊谷屋・安田畳店・横山味噌醤油店・玄光庵・通町熊野神社・検断井澤家・覚範寺・青葉神社・東昌寺・光明寺・鹿島神社・佐台陸羽街道踏切・堤町天神社・佐大商店/堤焼登り窯・御仲下会所~青笹不動尊~北根3丁目交差点~泉区標識~杉ノ田旧道~仙台藩刑場跡~南北線八乙女駅~七北田川~七北田宿・宿入口枡形・善正寺・町並み・二柱神社・浄満寺・宿北口~日露戦役記念碑~R4号沿い~R4号高架~大沢2丁目バス停(16:02)・・泉中央駅・・仙台駅(泊)

「仙台市」(青葉区1~2丁目)
仙台駅(東口) 明治20年(1887)12/15日本鉄道駅として開業。
仙台駅東口仙台駅S











(青葉区五橋~〃北目町~〃一番町)
五橋交差点南東角の五橋小新堂一角に、右手に煙管を持つ「だるま像」。
昭和初期に置かれた赤だるま像で、仙台空襲(1945 7/10)では眼球(ガラス)が溶けましたが、延焼を免れています。
仙台市若林区清水小路・五橋小新堂角のだるま像
















荒町交差点(R286号)を横断した右に旧地名「清水小路碑」、先の左に「森重旅館」、突き当りの三叉路を右折(北)します。
仙台市若林区五橋・森重旅館















先の交差点からは広い道幅になり、右折すると大通り(R286号・五ツ橋交差点)です。
仙台市青葉区五橋・田町通り
















(青葉区北目町~〃一番町)
先の十字路を過ぎると、城下二十四町の一つ・四伝馬町の一つで高札場が置かれた北目町です。

“二十三夜さん”で親しまれている「賢聖院二十三夜堂」は、平安中期(康暦2年1069)北目(太白区)に創建、慶長5年(1600)伊達政宗により現在地に遷座され、仙台で唯一の午年生まれの守り本尊「勢至菩薩」を安置しています。
仙台市青葉区北目町・賢聖院二十三夜堂
















江戸期、境内は伝馬期間(12/20~25)の仲日に縁日が出て賑わいました。 寺名は縁日(23日)の夜、人々が集い勢至菩薩の化現である月の出を待つ二十三夜講を行っていたことに由来。

社殿は宝形造り、前に涎掛けの狛犬(年代不明)、参道沿い左に馬頭観音・千手観音・聖観音等6地蔵「石憧」、右に地蔵菩薩(寛政6年)が祀られています。
青葉区北目町・二十三夜堂社殿

















北目町交差点(変則十字路)を直進(北)した正面に、扁額「柳生山教楽院 大日如来」を掲げる山門が建つ「大日如来堂」。
慶長6年(1601)、伊達政宗が城下の町割りに用いた縄の灰塚跡に、大日如来を安置する堂を建立し城下鎮護としたのが起源とされます。後に焼失しましたが、昭和28年(1953)柳町(伊達氏御譜代町の一つ)の人々により再建されました。
仙台市青葉区一番町・柳町大日如来
















ここは旧柳町の東端で、昭和中期に(46年)に一番町となりましたが、“柳町の大日さん”で親しまれ、未・申年生まれの一代守り本尊として信仰されています。
台石「守護申・守護未」に「狛申」、「狛未」。
仙台市青葉区北目町・大日如来堂の狛申・狛未
















左(西)へ進み、五ツ橋通りで右折して国分町通りへ、次いでで南町通り を横断しますが、この通りから北上した芭蕉の辻(後に述)までは、市電「芭蕉の辻線」が運行されていた為、国分町通りの中でも最も道幅が広くなっています。
仙台市青葉区一番町・南町通りの右側
















青葉通り手前、左のNTT東日本仙台ビルの東側に正面(東)「南町」、右面(北)「電話横町」と刻む明治33年(1900)建立「南町碑」があります。
南町は昭和45年まで存続していた旧地名で、伊達氏の御譜代町(大町 肴町 南町 立町 柳町 荒町)の一つ。
仙台市青葉区一番町・NTT東日本の南町道標
















ケヤキ並木が続く青葉通りの左側(西)です。
杜の都を代表するこの通りを左折すると青葉城址、右折は仙台駅西口に至ります。
仙台市大町・青葉通り
















(青葉区大町)
青葉通りを横断、50m先の信号交差点(変則十字路)は、江戸期の城下町割りの基点とされた「芭蕉の辻(札の辻)」で、高札場が設けられていました。
仙台藩は往来する人達に藩の威光を示す為、辻の四つ角(東西南北)には同じ高楼を備えた城郭風建物を造営し、犯罪人の鋸引きや立ち晒しの刑場にも利用されていました。

左の安田生命ビル前に正面(東)「道標」、左(南)「南 江戸日本橋迄 六十九次 九十三里 奥州街道」、右(北)「北 津軽三厩迄 四十五次 百七里二十二丁 奥道中」と刻む昭和45年(1970)建立「里程元標」、右に由来を刻む「芭蕉の辻碑」。
仙台市大町・芭蕉の辻の碑・道標
















芭蕉の辻(信号交差点)を過ぎた南側から振り返った写真ですが、辻の南側(手前)は北側より狭い道幅の変則十字路となっています。
これは昭和3~19年(1928~1944)まで、南町通り(前に述)から辻手前までの0.3キロ区間(2駅・郵政局前~東一番丁~芭蕉の辻)が、仙台市電「芭蕉の辻線」の路線だった名残です。
現在は想像できませんが、往時は十字(東西・大町通り/南北・国分町通り)に川が流れていたそうです。 又、江戸期には版木の出版地でもあり、江戸後期「仙俯年中往来」には、辻界隈を中心として歳の市で賑わったと記され、
江戸後期の藩医・狂言師仙柳亭綾彦(通称即休)は、「布を織る芭蕉の辻ぞ賑はしき 人の往来もたてぬきにして」と詠んでいます。
仙台市大町・芭蕉の辻
(青葉区国分町2~3丁目~二日町)
広瀬通り(R48)を横断すると正面に門風のモニュメント、ここからは飲食店等が続く賑やかな通りとなります。
次いで、北西(県庁舎一体)にあった政宗公の祈願寺・定禅寺(廃寺)に因む定禅寺通りを横断します。
仙台市国分町・国分町通りの門
















先で作並街道(県31号)を横断、ここから青葉神社の門前までの市道(青葉神社通線)は、“青葉神社通り”と呼ばれる参拝道です。
仙台市・作並街道(県31)















(青葉区木町通~柏木~通町)
通称「青葉神社通り」を進むと、左に元禄8年(1695)創業「元祖仙台駄菓子本舗 熊谷屋」。
50~60種ある駄菓子は、素材を生かした素朴な形と味わいが人気です。
仙台市青葉区木町・元祖仙台駄菓子本舗・熊谷屋
















次の十字路角(南東)に正面(西)「北鍛冶町」、左(北)「北五番丁」と刻まれた旧地名碑がありますが、正保期(1644~8)に北鍛冶町以西に侍屋敷が配されていました。

先の信号交差点を渡ると、右に明治期築の木造建築「安田畳店」。
仙台市青葉区柏木・安田畳店
















左の横山味噌醤油店は、明治6年(1873)雑穀商として創業し、42年(1909)味噌醤油を醸造、銘柄「ヤマミズ極味噌」など仙台味噌の老舗です。
大正9年(1920)築「店蔵」は仙台市景観重要構造物に指定され、敷地には藩政期当時の敷地割りが残されています。
仙台市青葉区柏木・横山味噌醤油店の店蔵
















先の信号交差点を左折、右に慶長5年(1600)青葉城築城で青葉山から現在地に移転した曹洞宗「玄光庵」、龍泉寺の末寺で仙台七福神・寿老人を祀っています。
左(西)には元和元年(1615)創建、本尊「釈迦牟尼仏」を安置する曹洞宗「全玖院」が並びます。
仙台市青葉区通町・玄光庵
















街道沿い、玄光庵の東参道に仁王像
仙台市青葉区通町・玄光庵街道側入口















右(北)隣に往時、熊野三所大神宮と称された「通町熊野神社」。
※詳しくはこちらを
仙台市青葉区通町・熊野神社
















通町公園の三叉路手前に「検断・井澤家」。
仙台市青葉区通町・旧検断井澤家















(青葉区北山~青葉町)
北上してきた街道は、北山丘陵に突き当たり右(東)に折れていきますが、丘陵上には鎌倉期(1185~333)、仏教を深く進攻した4代伊達政依が、仙台城の鬼門除け・城下の北の守りとして創建した臨済宗5寺を元とした北山五山(輪王寺・資福寺・覚範寺・東昌寺・光明寺)があります。
臨済宗・覚範寺は、伊達政宗が父・輝宗の菩提寺として創建、政宗の仙台移封と共に山形県遠山から移されています。
仙台市・覚範寺本堂
















境内北西に、元和9年(1623)没した政宗の生母「保春院(義姫)墓」(右)、陸奥国黒川郡吉岡城主で寛永11年(1634)35歳で没した「伊達宗清供養塔」(政宗3男・左)、左側に家臣達の五輪塔が祀られています。
仙台市青葉区北山・覚範寺の保春院墓所
















北山丘陵で直角に右(東)に折れる正面に、仙台藩祖・伊達政宗公(神号武振彦命)を奉る「青葉神社」、境内の「祖霊社」には政宗公の忠臣達が祀られています。  ※詳しくはこちらを仙台市青葉区青葉町・青葉神社拝殿

















東昌寺」は、弘安6年(1283)4代政依が創建した五ケ寺の一つ。
慶長5年(1600)伊達郡桑折町から北山に移され、かつての西側境内地に青葉神社が鎮座しています。
仙台市青葉区青葉町・東昌寺参道口
















参道口の地蔵堂には、蓮の花、宝珠を持つ二人の天女の「天井画」が描かれています。
仙台市青葉区青葉町・東昌寺参道口の地蔵堂内の天井画





















境内北東に、種子が丸い実を(径2.2㎝)をつけることに因む樹齢500年・樹高20m「マルミガヤ」(国天然記念物)、政宗公が城下鬼門除けに植えたと伝わり、代々藩主の食用ともなったことから御前ガヤとも呼ばれています。
仙台市青葉区青葉町・東昌寺のマルミガヤ
















東昌寺の東側に、初代伊達朝宗公夫人・光明寺殿の菩提寺である臨済宗「光明寺」。
伊達政宗は、慶長18年(1613)宣教師ルイスソテロと共に家臣支倉六右衛門長経を慶長遣欧使節団として、エスパーニャン・ローマに派遣、墓地北西にアジア人唯一のローマ貴族、フランシスコ派カトリック教徒となった「支倉六右衛門長経墓」、右にルイスソテロ碑があります。
仙台市青葉区青葉町・東昌寺の伝・支倉常長墓(五輪塔)















[鹿島神社]は、4代伊達政依により伊達郡に勧請され、後に別当光明寺と共に北山に遷座されました。参道口や境内には石仏石塔群、境内社塩竃神社が祀られています。 ※詳しくはこちらを仙台市青葉区青葉町・鹿島神社二の鳥居
















街道は緩く北東へ向きを変え、陸羽街道踏切で仙南線を渡り、次いで川を渡ると仙台宿北口にあたる堤町に入ります。
仙台市青葉区葉山町・仙南線踏切















(青葉区堤町~北根)
先の三叉路奥に享保16年(1731)創建「堤町天神社」(祭神菅原道真公 雷神)。
享保期に伊達氏臣島田源之亟が当地開墾の折、出土した道真公の神像(銅製)を奉っています。
仙台市青葉区堤町・堤町天神社















堤町は江戸期より堤焼の町として知られ、窯元が軒を連ねていました。
佐大商店」は、大正7年~昭和56年(1918~81)まで生活用品(ドンブリ・甕等)を焼く窯元で、町唯一の登り窯が残されています。
仙台市青葉区堤町・佐大ギャラリー
















建物左の緩い坂に沿うように、建物後方に大正7年(1918)建造「登り窯」(杜の都景観重要建造物)があります。
東日本大震災で一部崩壊がありましたが、多くの方々の支援の下、修復されたそうです。
仙台市青葉区堤町・佐大ギャラリー登り窯
















坂下の焚き口です、焼き上がりまでは不寝の番で大変だったとか、当時を振り返るように説明頂きました。
仙台市青葉区堤町・佐大ギャラリー登り窯の入口















 
清水町宿の根子町人形は、堤人形の流れを汲む人気の土産物で、白石宿で実物を拝見しました。(⑧に記載)。
左の「つつみのおひなっこ」で、小さな堤人形を街道土産に買い求める予定でしたが生憎の休業日、佐大商店にもカラフルで愛らしい十二支の玩具(非売品)等が展示されていました。
仙台市青葉区堤町・佐大ギャラリーの堤人形
















道(変則十字路)を挟んだ北側に「御仲下会所跡」。
伊達藩は城下に持ち込まれる品から税を徴る番所を、東の原町・西の八幡町・南の河原町・北の堤町の4カ所に設置、ここには平成13年(2001)に解体された会所の梁を使用した記念板があります。
仙台市青葉区堤町・御仲下改所
















県道を進み、右の仙台北郵便局の斜向かいに、泉の畔の石碑を祀ったのが始まりとされる「青笹不動尊」、天保9年(1838)造立の本尊「不動明王」を安置。
罪人は、裸馬に乗せられ城下引き回しの末、仙台藩刑場(後述)へ引かれていきますが、その途次で青笹の葉が生い茂る泉で末期の水を飲まされた云われ、約100m北の崖下から現在地に遷座されました。
仙台市青葉区堤町・青笹不動尊
















約1.4K先の北根3丁目交差点で県道22号の東側に並行する右前方の旧道へ。
青葉区仙台市青葉区北根・北根3丁目交差点
















(泉区虹ヶ丘~七北田杉ノ田)
約900m程先で泉区に入ります。
仙台市泉区虹ヶ丘・泉区標識















虹の丘交差点で右下の県道22号に並行する旧道へ。
仙台市泉区七北田杉ノ田の旧道
















杉ノ田交差点手前の左段上に、地蔵菩薩・南無法連華経等石仏石塔群が祀られた「仙台藩七北田刑場跡」。
元禄3年(1690)米ケ袋刑場(青葉区米ケ袋)から移され、明治初期までの約178年間に渡り、磔・火あぶり・斬首等で一般庶民7千人余りが処刑されています。
延享3年(1745)、5代藩主伊達吉村公夫人・長松院の遺言により刑場南に河南堂、北に河北堂を建立し、死者を弔う為の仏堂としました。
仙台市泉区七北田・仙台藩刑場跡 (2)















奥州街道(旧R4号)の東側から現在地に移された地蔵菩薩坐像
仙台市泉区七北田・仙台藩刑場跡の地蔵座像1
















右に「於節地蔵」とも呼ばれる明和6年(1769)建立「於節供養塔」。
領主飯田能登道親の妻於節は好色な夫に苦悩し、それに同情した家臣日塔喜右衛門と恋仲に。 宝暦2年(1752)桃生郡女川村(河北町)鎮守「薬師神社」祭礼の日、飯田能登道親は於節と臣日塔喜右衛門に切り殺されている。逃亡の末、二人は囚われの身となり、その秋に喜右衛門は磔刑、於節は打首刑に処せられました。
仙台市泉区七北田・仙台藩刑場跡のおせつ供養塔 (2)
















(八乙女中央)
杉ノ田交差点で右前方へ、すぐ先で八乙女駅の高架を潜ります。
南北線「八乙女駅」 昭和62年(1987)7/15開業。
仙台市泉区八乙女中央・南北線八乙女駅1















七北田川(延長40.9K)は、江戸期には流れる村の名に従い冠川 神降川 根白石川 岩切川 今市川等と呼ばれました。 船形連峰・泉ケ岳(1175m)を水源とし、仙台市と多賀城市を流れる。
仙台市泉区八乙女・七北田川
















(市名坂町~七北田東裏~七北田町~北七田白水沢)
七北田宿は、江戸前期(万治1658~)に七北田・市名坂に開かれ、交通の要衝として栄えました。街道中央に流れていた用水堀は、明治期に両側に付け替えられている。
七北田橋を渡ると、北七田宿入口の枡形跡
仙台市泉区市名坂町・七北田宿入口1
















宿入口左に元亀元年(1576)創建「善正寺」(本尊阿弥陀如来像)、寛永中期(1636)坂下から現在地に移転した浄土真宗の古刹。山門の工事で、門前の明治天皇御駐輦址碑は別の場所に移転されているようです。
仙台市泉区市名坂・善正寺
















北西に万寿2年(1025)創建「二柱神社」(祭神伊邪那岐命 伊邪那美命)、当地豪族国分氏の荘園33ケ村の内、市名坂・北七田等8村の総鎮守。
仁和多利大権現とも称され、子供の無病息災を守る「おぼっこ神様」として御霊験あらたかとして信仰されています。
仙台市泉区市名坂・二柱神社1
















市名坂交差点を過ぎた宿中心街の町並み
仙台市泉区市名坂・七北田宿の町並み1
















宿外れ左に慶長元年(1596)創建「浄満寺」、鎌倉期の本尊「阿弥陀仏」を安置。
明治初期まで平安期の武将安倍貞任の子孫が門徒だったと伝わっています。
仙台市泉区七北田・浄満寺
















すぐ先のY字路が宿北口です、西250mの愛宕山の頂には旧七北田村の鎮守「愛宕神社」が祀られています。
街道はこの分岐を左へ進みます。
仙台市泉区七北田・七北田宿北口のY字路
















(七北田山ノ寺~将監殿~大沢)
街道は国道4号の左(西)側を緩やかに蛇行しながら北上、途中の三叉路右に明治40年(1907)建立「日露戦役記念碑」、東300mには曹洞宗の古刹「洞雲寺」があり、先でR4号に合流します。
仙台市泉区山ノ寺・日露戦役記念碑
















国道歩道を進みます。
仙台市泉区・国道
















大沢境で左の旧道へ、将監殿で国道高架を潜り右側へ。
仙台市泉区将監殿・R4号高架
















旧道辺りから強風が吹き始め、みぞれ交じりの小雨が降ってきました。
先で東北自動車道を潜り、「大沢2丁目バス停」16:06発で泉中央駅へ。
仙台市泉区大沢・大沢2丁目バス停1

















南北線・泉中央駅(16:20発)から仙台駅(16:55着)に戻り、今夜の宿泊ホテルへ。
2019・2・4(晴後曇り・小雨)





宮城県仙台市青葉区通町・通町熊野神社

通町熊野神社(通町1-3-16)は、地下鉄南北線・北四番丁駅の北西750mに鎮座。
創建年代は不詳ですが、人皇第83代土御門天皇の代(1199~209)に勅宣により、宮城郡荒巻邑(村)の総鎮守として篤く信仰されてきた古社。
寛文7年(1667)現在地に遷座され、宝暦3年(1763)「御縁起録」には、往時は熊野三所大神宮と称されたとされます。
明治12年(1879)村社に列し、祭神「伊弉册尊 速玉男尊 黄泉津事解男尊」を安置。

奥州街道沿いに社号標「邨社熊野神社」、銅扁額「熊野神社」を掲げた鳥居。
仙台市青葉区通町・熊野神社
















鳥居を潜ると右に先代の手水鉢が置かれ、横に湯殿山が祀られています。
仙台市青葉区通町・熊野神社・湯殿山と手水鉢
















左に手水舎、左は玄光庵の東参道になります。
仙台市青葉区通町・熊野神社手水舎
















入母屋造りの神楽殿。
当社の「黙劇の十二坐神楽」(市無形民俗文化財)は、関東風の軽妙さと品格を保つなど、仙台においても、他の神楽と異なる舞型も多い古い形を継承していることから、城下最古の神楽と云われています。
仙台市青葉区通町・熊野神社神楽殿
















垂れた耳や大きな目、小ぶりの体躯の正面向きの狛犬(年代不明)、角を持つ吽形(左)の台石正面に文字が刻まれていますが読み取れません。阿形は宝珠でしょうか。
仙台市青葉区通町・熊野神社狛犬吽仙台市青葉区通町・熊野神社狛犬阿
後ろから拝見すると、吽形(左)は大きさからやはり角を持っています、それにしてもモダンな鬣や珍しい形の尾が印象的です。
仙台市青葉区通町・熊野神社狛犬吽バック仙台市青葉区通町・熊野神社狛犬阿バック
権現作り社殿は享保7年(1722)造営、高欄を巡らした拝殿は入母屋造1間向拝。
仙台市青葉区通町・通町熊野神社拝殿
















拝殿扁額「熊野神社」。
仙台市青葉区通町・熊野神社拝殿扁額













拝殿内、三つ巴紋を配した燭台や太鼓、幣殿と本殿の祭壇。
仙台市青葉区通町・熊野神社拝殿内
















社殿左に切妻造りの大日如来堂。
仙台市青葉区通町・熊野神社境内社大日如来堂
















堂内。
仙台市青葉区通町・熊野神社境内社大日如来堂内
















参道沿いに明和2年(1765)造立「大日如来坐像」、石祠等石塔群が祀られています。
仙台市青葉区通町・通町熊野神社境内社大日如来堂参道の大日如来像






















宮城県富谷市のマンホール

平成28年(2016)10/10、黒川郡富谷町は市制施工で富谷市となる。
(旧)黒川郡富谷町の「町章」、町の木「マツ」、町の花「キク」は市制施工後も同じです。
宮城県黒川郡富谷町・汚水(枠無し・松)


富谷新町で撮影。






市の木「マツ」、「市章」、「とみや おすい」文字の汚水用。









宮城県黒川郡富谷町・汚水(松)鍵穴違い


桜木で撮影。






鍵穴違い(市章の下)の汚水用。









上2枚の汚水用との相違点(〇)。
富谷市汚水相違点







宮城県黒川郡富谷町・汚水(松)枠付き赤点


大清水下で撮影。






同デザインですが、上部の矢印部分()が違う枠付汚水用。









宮城県富谷市・汚水(上部の違い)








枠無し汚水用。











宮城県黒川郡富谷町・汚水親子(松)


三ノ関太子堂上で撮影。





外枠付き親子蓋(テトラポットの亀甲模様内に亀甲)の汚水用。







宮城県黒川郡富谷町・汚水JIS規格


富谷西沢で撮影。






「市章」、「汚水」文字のJIS規格汚水用。









宮城県黒川郡富谷町・汚水(歩道タイル)


あけの平団地北入口交差点付近で撮影。






中心に「市章」、「とみや おすい」文字の歩道タイル受枠の汚水用。








宮城県黒川郡富谷町・汚水JIS


富谷一枚沖で撮影。





「市章」、「おすい」文字、下部に「中-400」のJIS規格汚水用(ブロック)。








宮城県黒川郡富谷町・汚水枡(プラ)


富谷新町で撮影。



「市章」、「おすい」文字の汚水枡(プラ)。







宮城県黒川郡富谷町・消火栓(コンクリート枠)


富谷一枚沖で撮影。




「市章」、コンクリート受枠のカラー消火栓(アーガイル・ドット)。







宮城県黒川郡富谷町・カラー空気弁1


富谷新町で撮影。




「市章」、外枠付カラー空気弁(アーガイル・ドット)。






宮城県黒川郡富谷町・カラー空気弁







「市章」、左右(2個づつ)・下に鍵穴の角丸型カラー空気弁(チェーン・ドット)。






宮城県黒川郡富谷町・空気弁


大清水下で撮影。




「市章」、コンクリート外枠付き空気弁(アーガイル)。








宮城県黒川郡富谷町・空気弁(コンクリート枠)


富谷西沢で撮影。



左よりに「市章」、左右に「鍵穴」、
コンクリート外枠付の斜め分割式空気弁(ブロック)。






宮城県黒川郡富谷町・仕切弁(外枠)


大清水下で撮影。





「市章」、コンクリート外枠付き仕切弁。









宮城県富谷市・カラー仕切弁


富谷一枚沖で撮影。





「市章」、カラー仕切弁。







宮城県富谷市・仕切弁1


富谷源内で撮影。




内側丸内に「市章」、「仕切弁」文字が小さいカラー仕切弁。






宮城県富谷市・防火水槽


大清水下で撮影。





「市章」、「消防車と放水中の消防士」、
下部に「富谷町(旧黒川郡富谷町)文字の防火水槽。









宮城県富谷市・量水器

富谷新町で撮影。




「市章」、量水器。











宮城県泉市(現・仙台市泉区)のマンホール

泉市は昭和63年(1988)3/1仙台市に編入、仙台市の政令指定都市移行により平成元年(1989)4/1仙台市泉区になりました。
宮城県泉市(仙台市泉区)・JIS規格汚水(枠付き)


泉区市名坂町で撮影。







「市章」、「汚水」文字のJIS規格汚水用。









宮城県泉市(仙台市泉区)・JIS汚水


泉区八乙女中央で撮影。







外枠の模様、幅違いのJIS規格汚水用。








宮城県泉市・角消火栓


泉区七北田杉ノ田で撮影。





「泉市」、コンクリート受枠の空気弁(亀甲模様が凸)。







宮城県泉市(仙台市泉区)・空気弁








亀甲模様が凹の空気弁。






仙台市マンホールはこちらを









思い出の雛人形。

今年は早めに雛人形を飾りました。
ケース入りの小さな木目込み人形ですが、飾ると必ず母が見に来て「かわいい!」の一言。
段飾りの様な豪華なものではないのですが、私には母との思い出が詰まった一番かわいい人形です。
雛人形
















宮城県仙台市のマンホール

仙台市・汚水(ハギ・汚水専用)


青葉区春日町で撮影。





「市章」、市の花「ハギ」、上部に「S-Ⅱ」、
下部に「汚水専用」文字の汚水用。









仙台市・汚水(萩・S-1)


宮城野区榴岡で撮影。






上部が「S-1」の汚水用。










仙台市・カラー汚水(ゴールデンスランバー)


青葉区桜が丘公園・杜の都レンガ下水洞窟前で撮影。







映画「ゴールデンスランバー」のカラー汚水用。








宮城県仙台市・汚水(コンクリート)


太白区長町で撮影。







「市章」、受枠歩道タイルの汚水用。










宮城県仙台市・JIS規格汚水







「市章」、「汚水」文字入りJIS規格汚水用。










仙台駅東口・榴岡交差点から楽天生命パーク宮城野((下写真)に至る宮城野通りの左右歩道に、21個の汚水カラーマンホールが設置されています。
楽天生命パーク宮城野














仙台市・カラー汚水10








「スタジアムはもう目の前!」。











仙台市・カラー汚水11








「スタジアムまで323m 歩くと5分」。











仙台市・カラー汚水6







「スタジアムまで636m 歩くと8分」。











仙台市・カラー汚水17









「スタジアムまで667m 歩くと9分」。










仙台市・カラー汚水20









「スタジアムまで1345m 歩くと17分」。









仙台市・カラー汚水1







「YOHOKU RAKUTEN GOLDEN EAGLES」、
「スタジアムまで1409m 歩くと18分」、
外周に「仙台市下水道」文字。










仙台市・カラー汚水2







「硬式ボール」、
「三歩さがって写真をとってね!」。











仙台市・カラー汚水3








「榴岡小学校のお友だちがかきました」、「ようこそ笑顔あふれる仙台へ」。










仙台市・カラー汚水4








「伊達政宗公の三日月兜を被り、バットを持つマスコットキャラクター」。









仙台市・カラー汚水5









マスコットキャラクター「走るクラッチーナ」、「交通安全」、「がんばれ楽天イーグルス」。








仙台市・カラー汚水7








「スタジアム、マスコットキャラクター」。










仙台市・カラー汚水8








マスコットキャラクター「クラッチーナ・スイッチ」、「七夕祭り」。










仙台市・カラー汚水9







「誰の足あとかわかるかな?」、
「マスコットキャラクター」と「キャラクターの足











仙台市・カラー汚水12







マスコットキャラクター「クラッチ・クラッチーナ」、「騎馬の伊達政宗」、「七夕祭り」、「観覧車」。











仙台市・カラー汚水13








「東北6県」、マスコットキャラクター「クラッチ」、「YOHOKU RAKUTEN EAGLES」。










仙台市・カラー汚水14







マスコットキャラクター「クラッチ」、「三歩さがって写真をとってね」。











仙台市・カラー汚水15








マスコットキャラクター「クラッチーナ」。










仙台市・カラー汚水16









「クラッチ・クラッチーナ・スイッチ」、「硬球」、「ロゴマーク」。










仙台市・カラー汚水19








「1st TIMEJAPAN CHAMPIONS 2013」。











8仙台市・カラー汚水18








「七夕飾り・ロゴマーク入り硬球・鳥・昆虫・野菜等」。











仙台市・カラー汚水21







「伊達政宗公の三日月兜、バットを持つユニホーム姿のクラッチ」。











宮城県仙台市・JIS規格雨水


青葉区青葉町で撮影。







「市章」、「雨水」文字のJIS規格雨水用。








宮城県仙台市・JIS斜め雨水







「市章」、てまり模様の斜め分割式のJIS規格雨水用
(市章が横向きです)。








仙台市・JIS雨水受枠付


宮城野区榴岡で撮影。





丸型コンクリート受枠付のJIS規格雨水用。










宮城県仙台市・仕切弁


太白区長町で撮影。





「市章」、受枠コンクリートの仕切弁。








宮城県仙台市・カラー仕切弁(200)


宮城野区榴岡で撮影。




「市章」、200Φのカラー仕切弁。







宮城県仙台市・角カラー消火栓


青葉区一番町で撮影。





「仙台市」、「消火栓」文字の角カラー消火栓(黄)。







宮城県仙台市・消火栓


宮城野区榴岡で撮影。






「仙台市」、「消火栓」文字の受枠歩道タイルの角消火栓。







仙台市・丸空気弁


太白区長町で撮影。





「市章」、「仙台市水道局」文字、丸型コンクリート受枠の空気弁。








仙台市・角カラー空気弁








「仙台市」、「空気弁」文字の角カラー空気弁(青)。







仙台市・排水栓付空気弁


青葉区一番町で撮影。






「仙台市水道局」文字のカラー排水栓付空気弁。






宮城県仙台市・排水栓


青葉区堤町で撮影。






上2枚と同じですが、亀甲模様が凹の排水栓。






仙台市・バタ弁


青葉区大町で撮影。




「市章」、400Φのバタフライ弁(蝶形弁)。






仙台市・ソフト150








「市章」、150Φのソフトシール弁。






仙台市・ソフト200







200Φのソフトシール弁。







仙台市・ソフト300






300Φのソフトシール弁。







仙台市・ソフト


仙台駅西口付近で撮影。





「市章」、受枠コンクリートのソフトシール弁。






仙台市・量水器(積載禁止)


太白区長町で撮影。



「市章」、「積載禁止」文字の量水器。







仙台市・量水器






「市章」、量水器。






仙台市・国分町親交会


青葉区一番町・国分町通りで撮影。






国分町通りに設置されていましたが、汚水枡と思われます。
「七夕飾り」、「天の川」、右上に「おりひめ・ひこぼし」、下部に「国分町親交会」文字。













ウールニットのハイネックプルオーバー

冬にピッタリ、暖色系の赤のプルオーバーを作りました。
ウールニットのプルオーバー

生地:モヘア入りウールニット(赤)。


ハイネック、袖口中心にボックスタック、左にに1本の片寄せタック入り、着丈59㎝。













以前作ったタックスカート(グレー)と合わせてみました。
プルオーバー






























     
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